【書評】萩原淳『平沼騏一郎』(中公新書)
1939年8月、敵対していたはずのナチスドイツとソ連が突如独ソ不可侵条約を結び、世界を驚かせました。
日本の平沼騏一郎内閣も衝撃を受け、「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」とする声明を発して総辞職しました。
一般的に、平沼騏一郎の名は「欧州情勢は複雑怪奇」という「迷言」とともに記憶されています。もう少し詳しい人でも、右翼的思想の持ち主であったこと、戦後A級戦犯として裁かれ終身刑になったことを知っている程度でしょう。
あまり評判がいいとは言いがたい人物で、研究も多くありません。一般に求めやすい形の評伝は本書が初めてです。
ほとんど知られていない平沼騏一郎の実像に迫った意欲作といえます。
司法官僚としての実績
東京帝国大学を首席で卒業した平沼は、司法省に入省してそのキャリアをスタートさせました。
優秀な司法官僚として、今日にもつながる検察制度を確立したのは平沼の知られざる業績です。一方、社会主義を警戒し、大逆事件においては強引な捜査によって幸徳秋水らを死刑にしました。
検事総長と首相に就任した平沼は、「司法と行政の頂点を極めた唯一の政治家」です。
平沼は右翼・国家主義者か
平沼は社会主義に代表される外来思想を敵視し、対抗策として日本古来の思想に傾倒していきます。国家主義団体「国本社」を設立するなど、平沼は政治家・軍人・右翼思想家などに幅広い人脈をつくりました。
しかし、筆者は「平沼は盲目的に天皇を崇拝していたわけではない」と評価します。あくまで外来思想への対抗策として、天皇中心の国家主義を利用したのだというのです。
穏健・現実的な外交観
現実の政治に対応する平沼の考えは、後のA級戦犯とは思えないほど穏健です。例えば、
・天皇が政治に関わることには否定的
・国際連盟脱退には反対
・中国との開戦にも反対
・天皇の権威を脅かすため、ファシズムにも反対
・ソ連への対抗上英米との対立も望まない。したがってドイツ・イタリアの同盟も否定的
しかし、平沼が首相になるころには軍部の力が大きくなりすぎており、彼の考えで外交を修正することは不可能な段階になっていました。
平沼の考えは妥当で現実的とはいえ、彼の出す意見は観念的で具体性に欠け、多くの人を動かす力を持っていなかったように感じます。
平沼は確かに秀才だったと思いますが、国を破滅から救うには限界があったと言えるでしょう。
功罪両面があり、評価の難しい政治家ではありますが、非常に興味深く読むことができました。
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