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本当に「高潔な名君?」~ローマ五賢帝の実像(前編)

 西暦96年から180年まで帝政ローマを支配した5人の皇帝は、「五賢帝」と呼ばれる有能な君主でした。


・ネルウァ
・トラヤヌス(トップ画像の人物)
・ハドリアヌス
・アントニヌス・ピウス
・マルクス・アウレリウス・アントニヌス
…の順に即位しています。
 

 トラヤヌス帝時代はローマ帝国の最大版図となるなど、五賢帝の時代、帝国は概ね平和と繁栄を享受し、最盛期を実現しました。

五賢帝のイメージは18世紀のもの

 ネルウァからアントニヌス・ピウスまでの皇帝は、「元老院議員の中から有能な人物を養子に迎え後継者にしたため、名君が相次ぎ、善政が敷かれた」といわれます。そのため、世界史の授業で習ったときは、多くの人が高潔な賢者たちのイメージを持ったでしょう。


 しかし、こうした「賢人たち」のイメージは、18世紀の歴史家ギボンによってつくられたものです。近年の研究によれば、実態はどうもそれとは異なっていたようです。

望んで養子をとったわけではない?

 まず、「五賢帝は国家のために賢人を後継者にした」というイメージ自体が虚像に過ぎません。なぜなら、最後のマルクス・アウレリウス帝以外は血縁関係のある後継者に恵まれていないからです。

 老齢のネルウァ帝は即位当初から政情不安の只中に置かれ、トラヤヌスを養子にして後継者に指名しますが、実際は政治的力学の関係上やむなくトラヤヌスを後継者として受け入れた、というのが真相のようです。

後継者指名の遺書は捏造されたのか?

 さて、そのトラヤヌス帝ですが、遠征先から帰る途中、後継を指名しないまま没してしまいます。このとき、「養子に指名された」とされたのが、トラヤヌスの従兄弟の息子ハドリアヌスでした。

 トラヤヌス帝の妃ポンペイア・プロティナが遺書を書きかえ、亡夫がハドリアヌスを養子にしたと捏造した疑いがあるのです。この疑惑には多くの論争がありますが、真相は定かではありません。


 ハドリアヌス帝が即位した直後、4人の有力な元老院議員が処刑されました。ハドリアヌス帝の脆弱な支持基盤を固めるための陰謀であったと考えられます。その治世の間、ハドリアヌスは名君どころか、血塗られた暴君として恐れられることになったのです。

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