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日蓮はなぜ元寇を予言できたか

    日蓮は、鎌倉時代に法華宗(日蓮宗)を開いた僧侶です。他宗派や鎌倉幕府に対して厳しい批判を展開し、幾度も弾圧を受けました。

    日蓮は「立正安国論」を著し、「誤った信仰が正されなければ、天災や外国からの侵略を招く」と主張しました。これは、1268年の元からの国書到来と、1274年・1281年の元寇(文永・弘安の役)を予言したものとして知られています。

    日蓮とその弟子たちは、「予言の的中」を受けてその主張をさらに先鋭化させることになります。日蓮の予言的中はただの偶然だったのでしょうか。それとも、日蓮には未来を予知する神通力があったのでしょうか。

    歴史学者の網野善彦氏は、「日本とは何か」
(講談社学術文庫)において興味深い見方を示しています。

 1268年、津軽の十三湊を本拠地とした安藤氏が、アイヌの蜂起によって討たれました。日蓮の書状にはこのできごとへの言及があり、北方世界にも強い関心を持っていたことがうかがえます(同書P57~58)。

 また、文永の役で蹂躙された対馬の模様も、日蓮の書状には出てきます。「男たちは殺されるか捕虜になり、女たちは手のひらに穴をあけられ、船に結びつけられた」などと記されています。

    日蓮は、鎌倉から遠く離れた地域の情報を得ることができていました。日蓮は情報収集の能力が高かったのでしょう。情報を伝えたのは主に交易民と考えられ、大陸の動向についてもある程度確度の高い情報を得ていたと推察されます。

 日蓮の「予言」は、こうした広範囲の情報収集を背景にしているのではないか、というのが網野氏の見解です。一定の説得力のある推論だと思いますが、いかがでしょうか。

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