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子規が遺したもの(9月1日)

まもなく、正岡子規の命日(9月19日)がやってきます。
彼はその晩年、「病床六尺」という随筆を書きました。「日本」という新聞に毎日連載され、死の2日前まで書きつづけられたのです。

詳細はこちらに。

119年前の今日、死を目前にした子規は何を書いていたのでしょうか。

【以下、青空文庫より引用】

 いよいよ暑い天気になつて来たので、この頃は新聞も読む事出来ず、話もする事出来ず、頭の中がマルデ空虚になつたやうな心持で、眼をあけて居る事さへ出来難くなつた。去年の今頃はフランクリンの自叙伝を日課のやうに読んだ。横文字の小さい字は殊に読みなれんので三枚読んではやめ、五枚読んではやめ、苦しみながら読んだのであるが、得た所の愉快は非常に大なるものであつた。費府(※)の建設者とも言ふべきフランクリンが、その地方のために経営して行く事と、かつ極めて貧乏なる植字職工のフランクリンが一身を経営して行く事と、それが逆流と失敗との中に立ちながら、着々として成功して行く所は、何とも言はれぬ面白さであつた。この書物は有名な書物であるから、日本にもこれを読んだ人は多いであらうが、余の如く深く感じた人は恐らくほかにあるまいと思ふ。去年はこの日課を読んでしまふと、夕顔の白い花に風が戦いで初めて人心地がつくのであつたが、今年は夕顔の花がないので暑くるしくて仕方がない。
(九月一日)
(※=フィラデルフィア)


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