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ボスニア紛争と知られざるPR作戦②~ユーゴ紛争前史

前回はこちら。

 本題に入る前に、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の背景を説明しておこう。


 多数の民族・宗教が入り混じり、複雑な歴史をたどったバルカン半島には、かつてユーゴスラビア連邦という国が存在した。冷戦中、カリスマ的な指導者であるティトーの在任中は安定していたが、1980年にティトーが死ぬと民族対立が表面化。東西冷戦の終結を機に、スロベニアなどの各共和国が独立し、連邦は解体した。

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 この地域の歴史は現代史だけでも複雑なので、年表形式で整理しておこう。

1991年 スロベニア・クロアチア・マケドニアが独立宣言、ユーゴスラビア紛争開始。
1992年 ボスニア・ヘルツェゴビナが独立宣言し、ボスニア紛争が始まる。セルビアとモンテネグロからなる新ユーゴスラビア連邦が成立。
1995年 ボスニア紛争、クロアチア紛争が終結。
1998年 コソボ紛争が勃発。
2003年 新ユーゴスラビア、セルビア・モンテネグロに改称。
2006年 モンテネグロ独立。
2008年 コソボがセルビアより独立宣言。

 ざっと以上のような経過により、現在は「ユーゴスラビア」という国名はなく、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアという国になっている。また、セルビアの自治州だったコソボが2008年に独立を宣言しているが、一部の国の承認を得られていない。


 ユーゴスラビアが解体する過程により、20世紀最後の10年間は絶え間ない流血が続いた。本稿で取り上げるのは、一連のユーゴスラビア紛争の中でも、最も混迷を極めたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争である。

続きはこちら。


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