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アメリカ大統領選挙と情報戦⑥~「テフロン大統領」レーガンの強み

前回はこちら。

「イメージ重視」の選挙を語るうえで、共和党の大統領であるロナルド・レーガンについて外すわけにはいかない。元俳優である彼と彼のスタッフたちは、「どのようにテレビに映ればいいか」を熟知していた。大統領の行動が、どのようにテレビのニュースで報道されるか。それを逆算しながら、「絵になる」パフォーマンスをしていたと言ってもいい。

パフォーマンスと実際の政策は別?


 例えば、パラリンピックの開会式に臨む大統領や、高齢者向け住宅の開所式を訪れた大統領の姿が映し出される。これを見た国民の頭には、「レーガンは、弱者に優しい信頼できるリーダーだ」とインプットされる。
 周知のとおり、実際のレーガンは「小さな政府」を目指す新自由主義の政策を実行していた。障碍者や高齢者の福祉のための予算は、彼自身の主導で削減されていたのだ。

負けたら雲隠れ

「強いアメリカ」を掲げたレーガンだが、外交での失態もある。中東レバノンの内戦に多国籍軍を結成して介入したが、多くの犠牲を払った末に撤退を余儀なくされたのである。1983年10月23日にはベイルートで海兵隊基地が爆破され、200人を超える兵士を失っている。


 レーガンが撤退を決断したのは1984年2月のことだが、米軍が撤退した日、大統領はメディアの前から姿を消していた。テレビに映らないようにすれば、米国による軍事介入の失敗とレーガンを結びつけられずに済む。


 アメリカに手痛い記憶を残したベイルート海兵隊基地爆破事件のわずか2日後(1983年10月25日)、レーガン政権は中米の小国グレナダに侵攻している。この時には、勝利に喜ぶレーガンの姿が惜しげもなくテレビカメラの前で披露された。なんとも都合の良い話である。

イメージに傷がつかなかった理由とは

 好感度ばかりを重視し、政策を議論せず、失政は覆い隠す。もちろん、こうした態度は同時代の政治家や知識人、ジャーナリストに批判されている。それにもかかわらず、レーガンの人気は落ちなかった。何をしても傷つかないことから「テフロン大統領」とあだ名されたほどである。


 結局のところ、普通の人は深刻な現実を突き付けてくる人よりも、現状を肯定してくれる人に好感を持つ。「アメリカの強さ・繫栄」を前面に出すレーガンは、必ずしも政策が評価されたわけではないにもかかわらず、人としては好かれた、というわけである。
 1984年11月の選挙でも、レーガンは民主党モンデール候補に圧勝し、再選された。

 こうした「イメージ重視」の政治や選挙は、しばしば相手候補の人格を傷つけるネガティブ・キャンペーンにも発展する。その中には、大統領としての資質に無関係な内容や、根拠のない虚偽情報、悪質な印象操作も多く含まれる。その傾向が顕著に現れたのが、レーガン政権の副大統領であるブッシュが勝利した、1988年の大統領選挙である。

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