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道徳バカ、哲学バカ、倫理学バカに元東京大学非常勤講師が送るお年玉!

こんにちは、学部生時代、哲学教授や倫理学教授にプログラミングで色々哲学等のモデルを実装して反論しては「生意気だ!」とのみ怒鳴られ続け、理由は説明されず、全然それらの学問を信じていない元東京大学講師、とつげき東北です。

今回は、2000年にもわたって何一つ生み出してこなかった「哲学」及びその一分野としての「倫理学」、さらにそこと関連する「道徳」について、未だに頑なに信じている「道徳バカ」から、私がよく言われる「コピペ」レベルの「反論」を潰していきます。

なぜこれを書いているか

本当にもう、世の中は「道徳バカ」で溢れているんです。
どんなにロジカルに説明してもまったく理解しない。
ただの大衆ならそれでいいですよ。
倫理学教授なんかも、本当に何もわかっていないからヤバイって言ってるんですよ。

最近も、「命は大切かどうか」について、医師の方から「大切である」系の6,000字ほどの文章を添削したのですが、私の明確な回答は「命は大切でもなんでもない」というものでした。

他にも「フェミニズムの道徳的正しさ」を語っている人が「道徳や生産性は大切」というので「道徳の定義は?」と聞いたら、「永久に話しあっていくもの」とのみ答えられて、吐きそうになりました。
永久に話した結果としての「道徳」に基づいてから、フェミニズムの正しさを語らないと意味ないですよね。
そして永久に話すなら、私に言わせれば「道徳なんてゴミ」です。永久に。

他、「生命の価値は金銭より重い」という命題を掲げていた人がいたので、「その謎の命題をどうやって証明するのか」と聞いたら、モゴモゴと何か言っただけで、結局ブロックされました。
私は「生命の価値」の「大切さ」は、それを決定する権限がある者の判断にほかならず、今の世界ではおおよそ金銭で大勢の生命が搾取されていると考えています。

1レス論破

1レス論破の例。
「金銭は、それ自体がさらなる金銭を生みださない、生みだすのは生命を有する人間だから、金銭の価値が生命に勝てるはずがない」らしい。
いやいや。反例を考えつかないのはなぜ。

「金銭を生みだすこと」が勝手に「価値」とされているし、「カエルの生命」は別に金銭を生みださない。
そもそも私の例示のように「A国がB国に対して、金銭でもってC国に戦争を仕掛けてくれ」と頼み、C国の人間が大量に(ほぼ全員が)殺害されることは想定できるが、その場合でもA国とB国の間で金銭が流通していれば、C国人が全員死んだところで、何ら金銭の価値が減るわけでもない。

凍結

……と思ったら、凍結されていました
おそらく理由は「ロジックがない人だから」。

絶望

こういうのも絶望的ですね。
「なぜ命は大切なのか」と聞いた結果がこれです。
そもそも「命題」の意味を知らない
「命題」とは「AはBである」という形をとります。
それはそうと、「命は絶対的な価値がプラスである」ってなんなんだろうね。
結核菌とかも命があって絶対的なプラスなんでしょうか。
その後の発言は単なる不規則発言です。

すうがく

すごいいい加減……。
価値不明な人間Xと、もの「A」の総価値を比較しようとしているが、その価値とやらは、平均0、標準偏差1の標準正規分布に従う、くらい考えないのかしら。
もし大量虐殺快楽殺人犯「X」がいたとして、価値はそれでも絶対に正だとするのでしょうかね。Xの価値が負で、物体Aの価値(例えば0)の方が高い場合、「XHV>HAV」は成立しませんし、何より、この考えが仮に正しいとしても「数学的帰納法」などどこにも出てきていない
論理や数学がまったく理解できていないのに、使おうとするのはダサいです。

まあこんなのは昔からの話ですが、今回あえて掘り返して、さらには、よくある「倫理学とか勉強してみました」系の学生、教授あたりからよくあるテンプレ反論に反撃しておきます。

おさらい:ベンサム「最大多数の最大幸福」の数学的誤謬

この部分は過去の記事のおさらいで、簡単にかいつまみます。
読んだことがある方は飛ばして結構です。

「最大多数の最大幸福の単純化」
この世に、AさんとBさんの2人だけがいる。
この2人の「最大多数の最大幸福」を計算する。
何か前提を置かないと話にならないので、ここでは、もらえるお金の量がx円のとき、Aさんはa(x)=xだけ幸福になり、Bさんはb(x)=xだけ幸福になるとしよう。
AさんとBさんの幸福量の合計値Gは、
G=a(x)+b(x)

である。
では、2人に「合計で100万円」をあげるとする。おれってなんて太っ腹。
というかこの実験を続けるために金が必要だから、noteを購入してくれ。

100万円のうちy万円だけAさんに渡し、のこりの(100-y)万円をBさんに渡しますか。
すると、幸福量合計Gは、
G=a(y)+b(100-y)=y+(100-y)=100
と計算できる。
ん、Gはyに依存しないぞ!?

ということは、Aさんが100万円独占しても、50万円ずつ分け合っても、「最大多数の最大幸福」は同じになるぞ!
おい!
それでいいのか!
それがいいのか!?

いやいや、そんなことはないでしょう。
ね、お金の量がそのまま「幸福」にイコールになるわけがないよね。まあ、貯蓄がほとんどない人が100万円もらったらすごくうれしいけど、億万長者が今さら100万円もらっても、大したことないもんね。そういう概念を入れるために、a(x)やb(x)を、少し違う関数に書き換えてみよう。

そうだ、シグモイド関数を使おう。
しかも、人によって幸福度が変わる点も着目して、別々のシグモイド関数を使う。
「人によって10万円の価値は異なる」
みたいな、現実的な話をモデルに入れるということ。

シグ

こういうやつよ!
色々なパラメータなどで、分布が変わる。
まあそんな数学の話はええから、このそれぞれの曲線をみてみなはれ!
心の眼でみてみなはれ!
例えばこのうち左側の水色の線は、割と横軸が少な目で縦軸がMAXになってるね。さっきの話で言えば、「50万円でもう十分満足!」
みたいな感じかな。
一番右の青っぽい色の線は、
「100万円もろてもまだ満足しませんわ。50万円とか言語同断!」
というイメージ。

AさんもBさんも青の線、「強欲」だった場合を考える。
fa(x)=右側の青色の線
fb(x)=右側の青色の線
(1)Aさんに100万円、Bさんに0円あげた場合
G=fa(100)+fb(0)=0.93+0.3=0.96
(2)Aさんに50万円、Bさんに50万円あげた場合
G=fa(50)+fb(50)=0.4+0.4=0.8
(3)Aさんに0円、Bさんに100万円あげた場合
G=fa(0)+fb(100)=0.3+0.93=0.96

あかんやないか!!
「公平に分ける」ことが最悪で、「片方が搾取する」のが最高に善いことになっとる!! ベンサム最低やないか!
ということで、まだまだ考えなければならないことが色々出てくるぞ。
3人だとどうよ、共同体の大きさ依存性はいくつよ、パラメータ増えたらどうよ……と、たった2人の共同体で「最大多数の最大幸福」を追求するにしても、簡単にいくつも問題が指摘できる。

現実にはどうか?
実際の世界では、お金が欲しい人もいれば、名声が欲しい人もいる。健康が欲しい人もいれば、若さが欲しい人もいる。なんならもう死にたいという人すらいる。
f(x)
とか言ってるけど、実は、
f(X) Xは多数の変数によって作られるベクトル量
なんよね。
それさ、たった「お金」ですら、「2人」ですら最大化できなかったのに、どうやって「最大化」の計算ができるかね。
てか、もっともっと問題はあって、例えば同じ人でも、明日デートなのにお金がないー!って人は今すぐ10万円欲しいだろうけど、ヒマな時はべつにそこまで10万円いらないよね。

では、おさらいはここまでで、さらに発展させていきましょう。

あくまでこう置いてみる前提

以下の前提で少し進めます。

私の判断は全て正しい。
それが論理的であってもなくても、倫理的であってもなくても、道徳的であってもなくても、どんなに矛盾しているようにあなたがたから見えようとも、私の判断は全て正しい。
私にとっての正しい規範は、正しい私が利益を得ることであり、それ以外ではない。

では、始めてよろしいでしょうか?

とあるネット上の知り合いの私への評価

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はい、先ほどの私の前提を思い出しましょう。

>「道徳は⽭盾している」と主張する⼈間が出す具体例の1つに、「他者への迷惑をかけたらいけない」という原理が挙げられる

それは「普通の人向け」の説明の時です。
「私が正しい」が前提なのだから、そんな「普通の人向けの原理」は知りません。

>だけど、これってただ単に迷惑糾弾論者の意⾒を粗く抽象化しているだけで、実際は
>①⼈に迷惑をかけたらいけない
>②だがしかし犯罪者に(法的に抑圧する等して)迷惑をかけるのは許容する
>この①、②って、①の趣旨を細かく精緻化すれば、実際は全く⽭盾していない両⽴可能な論理だと思う

だから、私は他人の道徳が「論理的に」矛盾しているかどうかなんてまったくどうでもいいですね。前提より、私の利益が増えることが私にとっての唯一正しい規範だからです。

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>こういう⾵に、主張の前提や対象範囲を1つ1つ丁寧に分析していけば、結局は「複数の道徳的主張が⽭盾してしまう」なんて状態は起こり得ないのではないだろうか︖

「私だけが全て完全に正しく、他は全て間違っている」という私の大前提によって矛盾のない「道徳」に基づけば(反論があったら出してみてください、無理だから)、即時で「そちら側」の道徳は矛盾であると導けますね。

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もともとがこのレベルの発想から始まっています。
「善悪を相対化している人」は、「既存の道徳信者よりも相対的に高い位置にあると信じている傾向」にあるというけど、私は私だけが正しいと言っているので、この発言は完全に誤りです。

>善悪の存在に違和感を覚える者は、「より洗練された高次元の道徳性」に無意識の内に従属してしまっており

それは頭の悪い哲学者とか倫理学者であり、私ではないです。
少なくとも私は自覚的であるに決まっているし、私にとっては知性も論理も倫理も哲学も何もかも関係ないわけで。
そんなこともわからないのでしょうか。

この人には何度も警告したんです。
そのレベルで哲学は2000年止まってるのだから、もっと考えないとダメだよ、と。

著書にも明記しているのに。

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本当の本当に「自分だけが正しい」と考えている人相手に、「高次の道徳がどうの」「矛盾が導けるかどうかどうの」なんて全く関係ないわけですよ。
そんなもの、神の前では些末だからです。「論理学的正しさ」なんてものは全く必要ないんです。

このことの哲学的な、あるいは現実的な意味

著書でさんざん書いたので、本当に繰り返しになるけども、重要なことなので、わかりやすく順を追っていきます。

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