花も仕事も性器のことも、分け隔てなく。句集『汗の果実/松本てふこ』鑑賞。
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松本てふこさんは1981年生まれ、2019年発行の『汗の果実』が、第一句集となります。現代の東京を生きる会社員、という属性は私と大きく変わらないはずなのに「え、そんなことも句になるの?」というような、日常の中の当たり前すぎて目に止めなかった素材や、「え、そんなふうに詠んでしまっていいの?」というような、日常の見え方がガラリと変わるようなことを、分け隔てなく、淡々と句にしています。
さらっと詠まれているのに、じわっと刺さる。大袈裟な感動ではなくって、ちょっとした面白さと気づき。そしてシニカルだけど、やさしい世界。いかに自分が生活の中にある「ひかるもの」を、取りこぼしているのかということに、松本さんの句を読むと気付きます。
また、こちらの句集は帯が素敵なんです。漫画家の鶴谷香央理さんの線画のタッチと「空しいとは豊かなことであると教えてくれました。」という帯文がグッとくる方には、この世界は刺さると思います。
桜が咲いている時期の昼間、どこにいる?まあ、会社員なら、大体会社にいますよね。ソメイヨシノは、街路樹になっていたり、小さな公園やちょっとした広場にも木があったりするので、通勤途中にも目にするし、ビルの上からもよく見える。桜がすごいっていうことより、ただこの詰られている状況の中にぽつんと桜が見えるのが、虚しさを増幅させる木がする。
そして、会社やめたしの句は言葉の勢いがすごく、落花飛花、降ってくるような桜の中で、押さえきれない会社やめたい感情が溢れ出てくるのがめっちゃリアルだなって思います。
「平日」は、日常的に使う言葉ですが、俳句ではあまり目にしない気がして、目を引きました。この一言だけで、通勤中なんだな、とわかります。平日で、正直気乗りがしなくても、つつじは朝の光の中で生き生きとしている……そんな気持ちが伝わってきます。
「けふ」は今日。つまり、今日あった嫌なことをギギギと思いながら、湯たんぽに(湯を)注いでいるのです。誰かに聞いてもらうまでもなく、己の中で処理をしなければいけない小さな怒りは、生きているとそこそこに溜まります。もしかしたら、そこには自分の無力さへの怒りも含まれているかもしれません。それを誰かに当たるのでもなく、SNSに愚痴るのでもなく、ただただ静かに、自分の足元を温め快適にする湯たんぽに注ぐことで、じっとりとエネルギーを再利用するのです。そういう営みは、多分思ったよりもみんな、日常的にやっていることだったりします。
めっちゃ軽い!でもめっちゃわかる!ポリエステルという言葉を持ってくることもあまり俳句では見ないと思うのですが、それが不思議なくらいはまってる。春風に対する思い入れも何もなさそうな感じも好きです。ポリエステルの軽くて淡い色のショールやスカートが、それこそユニクロやGUに並んでいる感じ。それらを気楽にまとって、風に揺らして行く。その力の入らなさが、今の時代っぽくていいなぁと思います。
さて、この記事のタイトルに「性器」という字を入れました。これは、私がこの句集の中の性器の句が好きだからです。特にこれ。
こんなフラット(?)なちんちんの句は初めて見ました。(ちんちんの句はあまり日常的に見るものではないですが)
このちんちんに、性的な要素は感じません。そして、なんかやさしくてちょっと弱々しい。身体的な男性(男性器保持者)が詠んだら、多分、こうはならないのではないか。もちろん絶対とは言い切れませんが、自分の体の一部であり、血が通っていることを実感として知っているパーツは、そうそう朧めいたりはしないでしょう。でも、身体的女性の場合、ちんちん無いし。存在は知ってるけど、性的な関わりから離れた所にあるちんちんというものは、確かになんとなくぼんやりと遠い気がします。(ちなみにこれは自分の子供の、母親から見た幼い子供のちんちんの句ではなくて、大人のちんちんの句だと思います)「朧(おぼろ)」は春の季語で、大気が霞んでいる状態の夜のことを言います。おぼろ月のおぼろです。
他にも好きな句を五句ほど上げさせていただきます。
上にも含めましたが、句集の中には、他にも性器や身体を詠んだ句があります。どれも視線がさらりとしていて、性的な事柄にドキッとする感じもなく大袈裟でも下品でもなく、当たり前にそこにある「もの」として読めるところが面白いなぁと思います。
こうした、性器ないし性と繋がる体の部位や、身体的な生理現象について、俳句の短い器で詠み込むのはあまり簡単なことではないと思います。表現が強すぎてしまったり、イロモノっぽくなってしまったり、品がない、詩がない、と言われてしまいがちな気がする。もちろん、句のテーマの中に性、性愛を詠み込む作風はありますが、そうした作品こそ直接的に性器の名称は出てこないことがほとんどだと思います。
でも、体のパーツも生理現象も日々の営みに、普通に存在するものです。その普通の世界の中で、松本さんはそれこそ花鳥風月や日常や仕事と分け隔てなく、目に映るものを、世界を、淡々と詠んでいく感じがする。そして、普段あまり人が目に留めない瑣末なところにも、豊かな詩情あると気づかせてくれるのです。
普段あまり詩を読んだりしないよーって方や、感情が震える表現をあまり好まない方。あるいは「絶対泣けるラストシーン!」という帯が、苦手だなーって思う方。
そういう感覚を持っている方にもおすすめです。
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松本てふこさんの句は、以下のアンソロジーにも収載されています。
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