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NOと断る訓練。結果報告。そして自身の承認欲求の強さにビビる。

結果からいうと“4年やってきたコーチを辞める”という作戦は失敗に終わった。皆宣言したのに。そして、自分の承認欲求に強さに改めて気づいた。
そんなやっぱりNOが苦手な男の話にお付き合いください。

 私は出身高校のハンドボール部の外部コーチをもうかれこれ4年続けている。スポーツトレーナーの仕事をしながら休みの日は練習にいくという生活を送っていた。

4年という歳月。最初の頃に比べると仕事の内容も変化し、プライベートな時間を削って参加することに限界を感じ、徐々にいける頻度が下がっていた。そして3ヶ月間行けない期間が続いた。

一方、部活をする高校生にとっては大事な大事な高校総体までの大事な3ヶ月。厳しい練習を重ねて苦しさに耐えながら、チームとしては最後の大会に向けて熱を帯びていく。

そこに3ヶ月ぶりに行く私。そして、辞めると宣言する予定。


練習会場に行く道中。車を運転しつつ、遠くの春の新緑を眺めながら感じたこと。
「おいおい気まずいな!」
「サボってたわけではないが、申し訳なさを感じる」
「どんな感じで行けばいいのかな?」

という不安である。
ずる休みして再び学校に行くときのあの謎のドキドキ感。皆どんな顔で、どんな気持ちで受け入れてくれるだろうか。そんな不安が高まるほど、それと一緒に心拍数も高くなっていった。

そしてその不安は的中する。
久しぶりに練習場に顔を出すと、監督も選手も他人行儀な感じ。なんとなく蚊帳の外にいる感じで。

話しても何かリアクションが悪い。
それは当然か。高校生、監督からしたら一生懸命やってる中全然来なくなったコーチ。大会まで切羽詰まってくる中で何しにきたと思っても仕方ないだろう。

そう思ってるから思ってないかは本来はわからないはず。他人の心は読めないから。

「仕事が忙しくてどうしようもない!!無理なもんは無理なんよ!!」

と開き直れれば良いのだが
相手の身振り話し方、表情を見てそう感じてしまうと身動きが取れなくなってしまう。
わりと冗談をかましながら話すほうなのだが、そうなってしまうと動悸がするし、言葉が出なくなる。得意のマッスルジョークも一ミリも出せず、俺ここにいていいのかなと水の中にいるのような息苦しさを感じる。
そんな時に自分の承認欲求の強さに吐き気がする。

そんなメンタルの中勇気をだして監督に「ちょっと練習に参加するの難しいかもしれないです」と伝えた。

帰ってきた答えは

「来れる時でいいから来てくれ。いつでも大丈夫だから」


それを言われると辞めますとは言えなかった。
その監督の優しさが僕には辛かった。
本来は仕事、プライベートの時間を作って、自分の人生を優先させるために辞めるという決断をした。それを伝えにきたのだが、辞めますと宣言することはできなかった。その優しさに甘えて嫌われることを恐れたのだ。

結果として私は前には進めなかったのだが、改めて気づいたことがある。

「なんだかんだ言うて、嫌われるのめっちゃこえぇぇ」

ということだ。
他人の評価を気にする必要はない!自分の人生を歩むんだ!
という系の自己啓発を何冊も読んで心に刻み込んだはずだった。noteに書いて宣言して発破をかけたつもりだった。

でも実際、その状況に立つと怖かった。
「受け入れらず、嫌われること」
を心から怖がってることを。

追い風には強いが向かい風には滅法弱い自分に気づいた。
変わりたいなぁと思って頑張ったがなかなか難しいことにも。

このNOと言えなかった経験から私が気づいたこと。それは

承認欲求と向き合う=人生と向き合う

ではないかということである。
誰かに嫌われないような選択してきた私が言うのだから間違いはない。
自分で選択したい、でも嫌われたくない
というジレンマの中でも苦しんでる。

ただ、この強烈な承認欲求を真っ向から否定したところで何も変わらない。人生とは向き合えない。それを今回学んだ。
それを含めた私だから。とカッコつけて行ってみる

今まで蓋をしてきた見たくない部分を見る作業は辛い。なので怖いので皆さんに話して紛らしながら向き合っていきたい。
私はすぐ快楽(サウナ)に逃げる弱い人間だから。

逃げるは恥だが役に立つ

この言葉、最近の座右の銘です。
では心の避難所(サウナ)にいってきます。
ではまた。

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