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【閉鎖病棟】①ひとつ前へ進むこと

今まで、
よくも平気でいたものだ。

こんなにも、騒々しく息苦しいところに。

入院は、急性期症状の改善を目的として。最低でも3ヶ月、長ければそれ以上。

私の入院に関して。

「娘さんは、しっかりしている。
 十分に、回復が望めるでしょう。」

担当医師は、こう話していたそうです。


私が母と、この精神科病院へ来たのは、確か。
つい先日、30歳の誕生日を迎えたばかりの日で。

暑くもなく。
寒くもなく。

ちょうどいい。

何をするにも、とっても快適な。

10月の、ある日のことでした。


それから4ヶ月。
そのうち保護室に2週間。


私の入院治療が始まりました。


保護室で過ごした2週間。そこから先に進むための一歩は、思ったよりも時間が必要でした。


「私の部屋」の鍵が開いて。
「保護室」の扉の鍵が開いて。

私は、閉鎖病棟の病室へと移動することになりました。

だけどそこは、
とても騒々しくて、息苦しくて。
こんな世界を思うと、酷い眩暈がする。

悲しくなる程に、ここにいるのがしんどい。


いつから私は、
こんなにも弱っていたのかと。

そんなことばかりを考えていました。

だから私は、しばらくの間、
食堂とトイレに行く以外の全ての時間を、
ベッドの上で過ごしていました。

何かをするでもなく。
誰かと話をするでもなく。


体は、たまに拭けばそれでいい。

そして、よく眠っていました。


すると、しまいに、寝れなくなって。眠剤をもらえるまで、座っていました。

寝れないなら、寝なきゃいい。

今なら簡単に思う事も。
そのころはまだ、考えられなくて。

夜になると聞こえてくる、
耳障りな寝息や、
定期的に近づいてくる足音。

時々、照らされる眩しい光や、
遠くに聞こえる看護師たちの話し声。

そんな全てが嫌でした。

煙草が欲しいな…。


その頃の私は、

煙草も、
携帯電話も、
ジュースを買いに行く小銭も、
伸びたムダ毛を処理できるカミソリも、

まだ、何も持っていなくて。

傍にあるのは、
洗面器と、
タオルと、
歯ブラシと、
少しの着替え。

全てに、恥ずかしいくらいに、大きく名前が書いてあって。
それらが、母の字だとわかったのは、少し後になってからでした。

精神科病院への入院方法は、少し複雑。でも、これは患者の事情が様々で、それほどに複雑ってこと。

精神科病院への入院は、大きくわけて2つ。

本人の意思による入院。
強制的な入院。

それを入院方法として分けると、3つ。

任意入院
医療保護入院
措置入院

となります。

そのうち、私は医療保護入院の扱いとされていました。

4ヶ月の入院期間中。
私は、保護室→閉鎖病棟(女子)→解放病棟(男女混合)と病棟を移動しています。
解放病棟への移動時には、入院形態を任意入院へと変更しています。


精神科病棟では、患者たちがそれぞれに、

自分は…
保護だの、
強制だの、
措置だの、
任意だの、

って、そんな話もよくしています。


「私は警察に通報されちゃってね。
 措置入院なのよ。
 だから簡単には出られないのよね。」

煙草を吸いながら、いつもこう笑って嘆いていた方もいました。
私とは話が異なって、少々面倒そうだと感じました。

そんな彼女も、
私よりもひと月先に、笑って退院していきました。

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