第6話 社会人時代(東芝エレベータ編)

大学4年生の時、就職活動中にたまたま母方の祖父に相談したのをきっかけに受けた会社、それが東芝エレベータ株式会社だった。

本当たまたま祖父に母親が相談したことがきっかけで、祖父から「とし(私の名前は利夫だから)、東芝エレベータを受けたいのか?」と言われたから、「受けれるならお願いしたい」と電話で話した記憶がある。

正直、サッカーをしに大学に行ったような人間だから、どこかの会社で働きたいなんて大層なビジョンも持ち合わせておらず、今思えば良くも悪くもこだわりが無いため、本当どこの会社でも良かった。

何故祖父がこの会社に口利きできるのかすら聞く必要も無いレベルだったので流れに身を任せていたら、母親から東京に面接に行かなきゃいけないと連絡があった。
東京までの旅費も出るということだったので、正直「スゲー待遇のいい会社だな」と思った記憶がある。

そんな話を母親としていた時に、初めて爺ちゃんってどういうコネ持ってるの?と聞いたら、東芝エレベータの初代社長だということを言われた。

東芝エレベータがどんな会社かも調べてなかったし、それが凄いのかすらも良く分からなかったが、何気に世界の6~7位くらいの会社(日本では3位)なので、その会社を作ったのは凄いなと思う。

ちなみに元々は東芝にいたようで、有名経営者の土光敏夫さんの右腕のような感じだったとのこと。
東芝では元々世界1位のオーチスという会社のエレベーターをOEMしていたが、この分野は間違いなく世界に出れるという土光さんの考えにより、OEMを止めて東芝エレベータの立ち上げに祖父が抜擢されたとのことだった。

そんなこんなで、何気に超凄いコネを使っていることすら分からず東京まで面接に行くことになった私。

面接で何を話せば良いか等のマニュアルを見るのも好きではなかったため、体一つで勝負に行った私。

まず東京での面接は前日にホテルに泊まって良いとのことからスタート。
超VIP待遇である。
そして入社試験に行くと、まずは筆記試験があった。

試験用紙を見ると、全く分からない。
今まで勉強というものをしてこなかった罰がまさかここで来るとは。
自己採点であるが、多分0点だったと思う。

そして面接なると、その時の総務のトップだった常務が対応をしてくれた。
凄さも全く分からない無知のため、普通に熱意だけは熱く伝えた。

どうしてこの会社を受けようと思ったか、どういう仕事をしたいか等を聞かれたと思うが、会社を受ける動機が不純なため、祖父が初代社長だったため、それを超えたいとかなんだか言った記憶がある。
そして今も言って良かったなと思ったことは、何をしたいかとか正直分からないが、1番難しい部署に入れてほしいと豪語したのを覚えている。

試験0点の人間が、本当、命知らず、世間知らずの発言をしてしまったのを心からお詫びしたいと思う。

そんなこんなで面接も終わり、常務から一言、一応今回の入社試験は祖父のこともあるが落ちる可能性もあることは理解してくださいと言われた。
当然と言えば当然である。

そんな感じで東京から戻ったが、これが私と東芝エレベータとの出会いであった。

しばらくして、実家だったか祖父に行ったのか分からないが、無事採用の連絡が来たと母親から伝えられた。
後日談であるが、当時の社長は祖父が初代社長をしていたときの新人社員だったそうだ。
本当、祖父の力だけでこの就職活動をすり抜けていった私である。

そんなこんなで入社式、高卒、大卒合わせて200人近くの採用があったと思うが、各々に番号が振られており、私が1番の番号を頂いた。
何から何まで祖父様様である

入社式=入寮式であり、約1か月間、機械の勉強、知識の勉強を皆でした。
そうして自分の部署が告げられ、配属となったのはリニューアル営業。
なんだそれって感じである。
ただ、配属されてから分かったことだが、ここから今に続く私の人生最高の経験のスタートであり、最高の修行の始まりでもあった。

リニューアル営業は精鋭部隊が入る部署、何故かというと、エレベータの営業には大きく分けて3つの部署がある。

まずは新設営業(設計事務所やゼネコンなどに営業)、そして次がメンテナンス営業(設置後のエレベータのメンテナンスやアフターフォローの業務)、そして最後がリニューアル営業である。

この部署に新人で配属されたのは私が初めてであったが、なぜ新人で入るのが初めてだったのかがすぐに分かった。
新設営業は、基本的にはカタログベースで仕事が出来る。
メンテナンス営業も日々の継続業務が主であるため、流れ作業的なものである。
その点リニューアル営業は、設置当時の数十年前に「一生、東芝で面倒を見ます」と言っていたエレベーターを、ある日得体のしれない自分のような営業が行き、お宅のエレベーターは地震があったら大変なことになります。部品供給も厳しくなってきており、新しい法律にも合致していないため交換してもらわないといけません」
的なことを言い、説得して交換をしてもらうという、とんでもない部署であった。

この時初めて、面接時に豪語した1番難しい部署で働きたいといった自分の発言通りになったのだと震え上がった記憶がある。

ちなみに良かったのは、この部署は当たり前だが新規のエレベーターを売る訳なので、今の建築基準法や消防法などを知らなければいけない。
そして古いエレベーターを交換するので当時の建築基準法や機器も勉強をしていないといけない。
そして最後に、お客様と直で交渉を行うためメンテナンスの営業すらしなければいけないという、何でもできるスペシャリストでなければいけないという仕事であった。

そんな歴戦の強者が集まる部署に、得体のしれない小物が入ってしまった。
会社も東大、慶応、早稲田等の早々たる経歴を持った人間も沢山いる中、函館大学という、これまた得体のしれない人間が入ってしまい、場違いだったと今考えれば思う。
ただ、良くも悪くも頭が馬鹿なので、当時は社長を目指していたのはここだけの話である。

そんな部署で30歳まで仕事をしていったが、とても分かったことが1つだけある。
それは馬鹿と頭の良い人の決定的な違いである。

それは何かというと、頭の良い人はミスをしないということだ。
馬鹿は小さなミスを沢山する。
それ以上でもそれ以下でもないということを私は学んだ。

これはあくまで営業的な部分だけをさしているが、頭が良ければ営業がたくさん取れるわけでもないと思う。
確かに分析能力などはあるかもしれないが、大事な違いはそんなところではないことを今ではわかる。

それを教えてくれたのが、私が2番目についたチューター(新入社員や若手社員に対して、仕事の内容を中心に指導する役割の人)の佐藤さんであった。
この方は私の人生の師匠であると言っても過言ではない。
ずっと営業でNO1の成績を上げ続けてきた生きた伝説のような人であり、社内でも有名人だった。
そんな人に私はずっと教えを頂くことが出来たのである。

でも、最初は本当に大変だった。
自分でも言葉が出ないくらいミスが出る。
それはそうだろう、皆が一生懸命試験勉強というミスをしてはいけないという訓練をしてきた中で、試験そのものを経験したことが無い、勉強をしたことが無い人間が同じ空間で仕事をするものだから、最初から取り組む姿勢が違うのである。

ミスをするたび佐藤さんから、「浦上!(私の名前)、今日飲みに行くぞ!」と告げられる。
飲み=反省会なのだが、何回行ったか想像できないくらい佐藤さんには二人で反省会をしていただいたものだ。

反省会で言われるのは、必ず「お前はバカだな」「お前はバカなんだよ」最後には「おい、バカ」と言われる。
これだけ書くと超アウトな上司に見えてしまうが全然違う、佐藤さんには愛がある。
最初は真剣に怒られ、私も毎回本気で反省する。
でも次第に、「お前は本当にバカだな」と言いながらニヤニヤしだして、最後には「お前はバカだ」と言いながら、「でもお前はそれでいい」と言ってくれた。

バカなりにも一生懸命して、ミスも沢山するが、全部そのミスを助けてくれた。
そして営業とは何かを0から傍で教えてくれた。
教えてくれたというか背中で見せてくれた。
そのおかげで佐藤さんに1000回以上バカと言われた男がNO1の成績を出せるようになった。

東大、慶応、早稲田、頭の良い人間は世の中に数えきれないくらいいる。
でも、頭が良いだけが全てではない。
営業の話になってしまうが、営業はお客様が何を思っているのか、何をしたいのか、何を知りたいのか、それをヒアリングする能力が重要である。
そして最も大事なのが、「その人間は信用に値するのか」が全てである。
例えバカでも、この人間から買いたいと思われれば物は売れる。
だからと言ってバカのままでいいわけでは無い。
お客様のために命の削ってでもやり切るという思いがきちんと伝わりさえすれば、一緒に最後は感動が出来るのである。
それを私は言葉や知識ではなく、佐藤さんの背中から教わった。

それをするためには当たり前だが、人間性だけでは駄目で、やはり相当な勉強も必要である。
結局勉強も大事になってくるが、それは人を幸せにするための知識を持つということであり、ただ単に勉強をするというものとは完全に違う。
そこの中心点に位置する物は、「思いやりの心」なのである。
思いやりの心があれば、勉強をしていてもそれは勉強という概念にはならず
当たり前にやるべきことという認識で脳は捉えるので、全く苦にならないのである。

脳は本当に馬鹿なので使い方次第で良くも悪くもなるが、上手に使うことで無意識レベルで行動をルーティーン化できるので、これを使わない手は無い。
最近ディープラーニングという言葉がAIにより流行っているが、人間も基本的な考えはロボットと同じである。

話はそれてしまったが、佐藤さんのおかげでその後東芝エレベータを辞めた後の新聞屋でもずっとNO1の営業成績を出せたのは、誰よりもバカだと言われた経験に他ならない。

ちなみに上記にも書いたが、私はトップの成績を出した後、東芝エレベータを辞めた。
辞めた理由はプライベートなことがあるため、全てを書くことはできないが、書けることだと、東芝本体が米国の原発(ウエスチングハウス)で失敗したことにより、社内が完全に壊れてしまったことだろう。

具体的には、私はエレベーター部門しか知らないが、当時は17時になれば電話は完全に切断(鳴っていても取ってはだめ)、総務が見回り帰れと超しつこく煽る、半期ごとの予算はとんでもない上り幅で実現不可能な数値を組まれる。

そんなんだから、従業員たちは社内で愚痴しか言わなくなる。
私はお客様のために仕事をしたい人間なので、お客様のためにできないことが最も苦痛だった。
それと同時に周りの愚痴を聞くことも辛かった。
実際に実行に移そうとまで思ったが、社長まで行って俺に成果報酬で仕事をさせてほしいと懇願しようと思った。
もっともっと仕事が出来るのに、沢山のお客様を東芝ファンにして幸せにできるのに、残業代を削減したい会社の意向で17時に帰れと言われ、一体どこを向いて仕事をしているんだろうと感じた。

ちなみに一つ、また脱線になるが、バカな自分が何故自信を持つことが出来たかになるが、佐藤さんのおかげで自分のスタイルを確立できたことが最も重要だが、そのスタイルとは何かと気になるかと思う。

それは上記にも書いたが、思いやりに他ならない。
その例として、リニューアル営業は古くなったエレベーターがある物件の所有者に突然営業を仕掛ける。
最初の窓口は管理会社経由だったりするが、話を聞きたいとなればマンションの理事会に行き説明をする。
今まで高いメンテナンス料を払っていたのに、得体のしれないリニューアル営業という人間が突然現れ、お宅のエレベーターはすでに20年以上を経過しており、地震対策も施されておらず、省エネでもなく、安全対策もままならない状態だ。
部品も供給が厳しいため、500万や1000万かかるが交換をして欲しい(実際には、交換しないと知りませんよという無責任なこと)と要請を行うのである。

リニューアル営業なりたての頃は、やはり「突然そんなこと言われても」とか、「いきなり来てふざけるな」と怒られるような感じのことも多々あった。
ただ、心から本気で思いやりの精神でやることを学んでから、お客さんからプレゼンの後に「よく教えてくれた、ありがとう」と拍手をもらうことが度々起こった。
こちらは押し売りに行っているのに、なぜか感謝されるという不思議な矛盾、当たり前だが本気で押し売りなどはしていないが、事実として交換して欲しいというお願いをしに行っている以上押し売りに他ならないのであるが、人と人との思いで繋がろうとすれば、きちんと通じるという体験をした。
こういう事から、もっとたくさんの人を幸せにしたい、仕事がしたいという思いから社長に直談判しに行こうと思っていた。
ただできなかった理由は、尊敬する安井さんという上司がいたから、その人を飛び越えていくと迷惑がかかるという思いで、結局断念し、悶々として最後には会社を辞めるという結論に至ったというのが1つの理由でもある。

辞めるときには沢山の人に止められた。
私も祖父のこともあるし、社長を目指していたため、逃げるようで多少辛い思いはあったが、正直、エレベーターだけが人を幸せにするツールでは無いと分かってしまった。
正直、別にどんなものを売ったとしても人を幸せにできる。
むしろその時その時に変化できなければ存在価値など無いとさえ思っている。
その考えは今でも心の中心にあるが、生きるということはきっとそういう事だろう。

辞めたときは九州支店にいたが、転勤をしたときに総務の人から東京からエースが来たから嬉しいと言われたと同時に、エースだから1億円は売るんでしょうねとある意味、嫌味的な感じに受け取れるようなことを言われた。
九州の営業が1人半期3000万売れれば良い方という市場環境であったため、1億円なんて出来ないと思われていたが、言われたことが悔しくてそれも達成した。

もちろんエレベーターのリニューアルなんて営業をしてすぐにやりましょうとなる訳が無いので、種まきをしてきてくれた沢山の人たちのお陰が全てではあるが、半年くらいで約100件の提案をお客様にできたことの方が自分としてはやり切った感があった。

前の日記にも書いたが、人間なんてちっぽけな存在だ。
自分がいくら一生懸命やろうと、別に何物にもならない。
視点をどこに置くかで物事の見方が変わるが、例えば宇宙的な考えで行けば、今までの歴史もある中で、この広大な広さの中で、自分が一生懸命エレベーターを売ろうが、世の中のために良いことをしようが別に何にもならない。

例えば別の視点で見れば、宇宙を人間の体として考えると、自分などミクロのミクロな存在であり、体の中を循環はしているかもしれないが、役目を果たせば消滅し、また復活する。
その中には沢山の細胞があって、良い細胞もあればガンのような悪さをする細胞も有ったりする。
それも含めて身体という概念で宇宙を考えると、出来るなら良い細胞でいたいなと思う。

自分という枠で考えても、色々な物事を考えている自分は身体のどの部分に存在をしているのだろう。
脳も細胞の集まりである。
細胞の塊に心や思考があるのか、それともミクロの細胞のどれかに自分が存在しているのか、はたまたロボットのように、この身体は借り物のようになっており、どこかのタイミングで魂的なものがこの身体に入ったのかなど考えると、自分は何をしに生まれてきたのだろうと思う。

ここまで考えると、自分がしている仕事などどうでも良いことであり、エレベーター自体もどうでも良いことである。

ただ何となくわかることが有り、自分は見えないレベルで皆と繋がっている可能性があると言うことだ。
そして自分が行うことが世界に何かしらの影響を与えているのは否定できないと思っている。

巷ではバタフライエフェクトと言うが、これは間違いなくあると私は分かっているし、実際に体験しているので事実有ると言うのを皆にも知って欲しいなと感じている。

ちなみに話は戻るが、本当に大事なことって、人のことを思いやり、人生の最後に沢山の人を幸せに出来て良かったと心から思える他人に視点を持った自己満足の気持ちで終了出来たらこの人生という壮大なゲームはクリアなのだろう。

世の中の大半の人間は、自分自分となっている。
自分自身のことも何も分からないのに、自分が世界の中心になっている。
確かに思考の中では中心と言えばそうかもしれないが、人がいて初めて自分という存在を認知できるのに、人のことは知らないという矛盾の中で生きている。

お金という概念を無くして世の中を良いものにしたいな。
自分自分という考えを捨てて、皆が平和で生きて行けるようにしたいな。

特に子供達には夢と希望、未来があるので、その子たちのためにこの命を使いたいな。

東芝エレベータ株式会社の初代社長の孫というだけで、凄いねなんていう人がたくさんいるが、私の過去も分からない、私という人間のことも分からない、私が作った肩書でもない物に対し凄いねと感じ、私がそれでマウントをとろうと思えば取れてしまう悲しい世界。

人間が生きている意味、お金儲けだけが全てではないということを、今は不動産屋の自分ですが、今後発信していきます。

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