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秋の立科へ②諏訪大社本宮


富士見町から茅野の向かって40分ほど車を走らせると、
信濃國一之宮に到着しました。


諏訪大社

諏訪大社は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社です。
信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社総本社であり、 国内にある最も古い神社の一つとされております。    
諏訪大社の歴史は大変古く古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれています。
諏訪大社の特徴は、諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がありません。代りに秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝しております。
古代の神社には社殿がなかったとも言われています。つまり、諏訪大社はその古くからの姿を残しております。
諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。また武勇の神として広く信仰され、現在は生命の根源・生活の源を守る神として御神徳は広大無辺で、多くの方が参拝に訪れます。(HPより)


大けやき




裏手の駐車場から境内に入ると、
いきなり、体中に気力が入ってきました。
なぜかわからないでふと見てみれば、
そこには推定樹齢1000年ともいわれる大けやき。

このけやきの大木は持つパワーは半端なく、
圧倒されてしまいした。


先ほどのオステリアアジアートのけやきを通して、
私をここに呼び寄せたのは
この大けやきだったのだと思いました。



諏訪大太鼓



右手の神楽殿が見えてきました。
神楽殿に静かに置かれている
巨大な太鼓にびっくりしてみると、
それは「牛の一枚革では日本一」とういう説明があります。

直径1.8m・長さ2.15mという大きさです。
一枚革をどうやって漉いていくのか驚くばかり。

武田信玄が川中島の戦いなどの戰で、
指揮・命令系統の重要性を認識して、
「御諏訪太鼓21人衆」と呼ばれる
陣太鼓を奏でる者達がいましたが、
武田家滅亡とともに神楽太鼓として根付いて、
継承されてきました。


今では、この太鼓は新年を迎える
大晦日だけに鳴らされるそうですが、
どんな音がするのか興味が湧いてきました。

祭神 建御名方神(たけみなかたのかみ)

「古事記」國譲りの段で
大国主神の御子神として登場する
建御名方神(たけみなかたのかみ)が上社本宮祭神。
『先代旧事本紀』には
大己貴神(大国主神)と沼河比売(奴奈川姫)の子とされ、
「信濃国諏方郡諏方神社に鎮座す」と明示されています。


 素戔嗚尊スサノヲの6代孫の大国主神(オオクニヌシ)は人間の住む世界である葦原中国の平定を成し遂げ、国作りを始めました。
 
 そして、オオクニヌシはスクナビコナとオホモノヌシという二人の協力者を得て苦労した末葦原中国の国作りを完成させました。
完成した葦原中国は賑い、たいそう栄えました。
 
 天上からそれを見ていた天照神アマテラスは、葦原中国は自分の子が治めるべきであると言い出しました。
 
 そして、国を譲るように伝える使者を地上に派遣しましたが、使者たちはオオクニヌシにつき、伝達は成功しませんでした。
 
 度重なる失敗の後に派遣されたのは、タケミカヅチとアマノトリフネの二人の神でした。
 
 二神は出雲の国の稲狭の浜に降り立ち、オオクニヌシに国を譲るように迫りました。
 
 しかし、オオクニヌシはコトシロヌシとタケミナカタの二人いる息子に聞いてくれと言って、即答を避けます。
 
 さて、息子の一人であるコトシロヌシは国譲りを承諾するが、もう一人の息子タケミナカタは承服せずタケミカヅチに力比べを申し出ました。


 

 タケミカヅチはテケミナカタを圧倒し、とうとう諏訪の海まで追い詰めてしまいます。
そこでタケミナカタはこの地から出ないことを誓い、服従したのです。

 
 そして、その後、オオクニヌシに再び国を譲るように迫李ました。
オオクニヌシは国を譲る条件として、天の御子が住むのと同じくらい巨大な宮殿に住まわせてほしいと言いました。
そして諏訪大社の神様になられたということです。
 
 あくまでも、神話の話で、歴史は、ちょっと違っているようですが、タケミナカタ様が、出雲出身であることは、確かなようです。


なるほど。これで、話が繋がってきました。

本宮



本宮は諏訪造りの代表的なもので、
建造物も四社の中で一番多く残っています。
また神体山を拝するという大きな特徴を持ち、
祭祀研究の上からも注目されておりま す。

境内のほぼ真中に東宝殿、西宝殿と言う二棟の茅葺の建物があります。
本宮で最も大切な御社殿で、
寅年と申年毎に交互に建替がなされ遷座祭が行われます。
軒からはどんなに干天の日でも最低三粒は水滴が落ちるといわれ、
七不思議の一つに挙げられ、
諏訪大神が水の守護神として広く崇敬される根元にもなっております。

本宮の昔の建物は極彩色が施されておりましたが、
天正十年(1582)に織田信長の兵火のため、
山中に逃れた神輿の他はすべて焼失しました。
この時まず仮殿が作られ順次再建され社殿は
元和三年(1617)に完成しました。
その後約二百年を経て諏訪藩主に依り社殿の改が計画され、
立川和四郎二代目富昌が上社棟梁と共に事に当り、
天保二年から九年(1838)迄八年の歳月を要し現在の社殿が落成し、
立川流の代表的建築物と言われえております。
尚旧殿の拝殿は嘉永二年(1849)に郡内の富士見町乙事の諏訪神社へ移築され、
桃山時代の代表的建造物として重要文化財に指定 されております。(wikiより)


龍伝説


 諏訪大明神のもともとの姿が龍神様であるという伝説は、古くからいわれているようで、信濃の国には龍伝説が残っています。
 

 毎年十月になると神様が出雲国へ集まって国造りの相談をすることになっておりました。

 そこで十月はどこの国の神さまもお留守になり、神さまがいない月というので神無月というようになりました。

 ところがある年のこと、信濃国の諏訪の龍神様の姿だけがどうしてもみえません。

 そのうちに見えるであろうと待っていましたが、しまいには待ちくたびれてしまい、

「信濃の神さまはどうした、病気か、それとも遅刻か、いつまで待たせる気だ。」

と、神々たちがさわぎ出しました。
 
すると天井からでかい声がしました。

  「わしはここだ。」
 
 神様たちはどこだどこだと天井をふりあおいで真蒼になりました。

 天井の梁に樽(たる)ほどもある龍がきりきりと巻きつき真っ赤なへら(舌)をぺろぺろ出しているではありませんか。

 「信濃国は遠いので、こういう姿でやってきたのだ。

 わしの体はこの家を7巻き半しても、まだ尾は信濃の尾掛の松にかかっている。

 部屋に入って座らずと思ったが、神々がたを驚かしても悪いと思って天上にはりついとった。

 「何なら今からそこへ降りていこう。」

というなり龍神様はずるずると天井からおりはじめました。

神様たちは蒼くなって、

「いやいやそれには及ばん、なるほど信濃は遠いで大変であろ、これからはどうかお国にいて下され。

会議の模様や相談はこちらから出向いてしらせにいく。」

と、あわてふためいて手をふりました。

龍神様はからからと笑って、

「そうか、それは有り難い。」

とみるみる黒雲に乗って信濃国の諏訪湖へおかえりになり、湖のそこ深く姿をけしました。

それだから、信濃国には神無月はないといいます。


なるほど。

初めて知りました。



御柱とは


室町時代に記された「諏訪大明神絵詞」 (※注1) によれば、
諏訪大社の御柱祭(式年造営大祭)が
信濃国を挙げて行われるようになったのは、
桓武天皇(在位781~805)の時代からであるといいます。
おそらくはそれよりも以前から、
諏訪地方では大木を建立する祭りが行われていたことでしょう。
御柱の起源についての詳しいことは、
まだ明らかになっていません。

御柱祭の正式名称は「諏訪大社式年造営御柱大祭」といいます。
現在では御柱建立にあわせて宝殿が改められるのみですが、
中世までは鳥居や瑞垣なども含めて建物を
新しく造営するのがしきたりとなっていました。
周期的に社殿を建て直すのは諏訪大社のほかに、
伊勢神宮やかつての出雲大社などの例があります。
 諏訪大社は神殿がないのが特徴ですが、
神域の四隅に建てられる御柱は、
かつて巨大な神殿が存在した名残ではないかと
想像する学者もいます。
つまり定期的に神殿を新しく造営していたものが、
簡略化によって四隅の柱の建て替えだけが行われるようになった、
とする説です。

先祖の霊を祭るためのトーテムポールではないかという説、
建御名方神が二度をこの地を離れないようにするための結界という説、
山の神を祀って4本の柱をたて、
古代の戰で敗れた将軍の霊を慰めるという説、
世界は4本の柱によって支えられているという説、
などいろいろありますが、 
折口信夫は、柱(ハシラ)は階(キザハシ)などと語源を同じくし、
天と地とを結ぶ橋(ハシ)であり、
神は柱を目指して降臨する、と唱えました。

伊勢神宮には「心の御柱」、出雲大社には「岩根御柱」があります。

諏訪の御柱の起源がなんであれ、
今日まで続いてるのは、祭りを通して、氏子が結束して、
山から曳いてきた御柱が、
天に向かってそそり立つ様を見た時の
達成感と充実感があるからではないかなあと思いました。
見たこともないのに想像してみました。

寅と申の年に行う「御柱祭」来年は相当盛り上がることでしょう。




静かな諏訪大社を後にして、御柱が切り出される蓼科山へと向かいました。

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