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恋と学問 第6夜、異様な「まえがき」について。

今夜は、紫文要領の「まえがき」を読み解きながら、この文章の「異様な切迫感」は何に由来するのか考えてみたいと思います。(あとがきに相当する部分を冒頭に持ってきたことは前回を参照のこと)

まえがきは非常に短い文章ですので、いきなり全文を引用してみましょう。

右紫文要領上下二巻はとしころ丸が心に思ひよりて、此の物語をくりかへし心をひそめてよみつつ考へ出だせる所にして、全く師伝のおもむきにあらず。又諸抄の説と雲泥の相違也。見む人あやしむ事なかれ。よくよく心をつけて物語の本意を味ひ此の草子と引き合せ考へて、丸がいふ所の是非を定むべし。必ず人をもて言を捨つる事なかれ。
かつ又文章書きざまはなはだみだり也。草稿なる故にかへりみざる故也。かさねて繕写するを待つべし。是れ又言をもて人を捨つる事なからん事を仰ぐ。
時に宝暦十三年六月七日 舜菴
本居宣長
(岩波文庫版、183-184頁)

まず前半を翻訳します。

この紫文要領は、私が長年にわたって愛読してきた源氏物語について、何度も没頭して読むうちに出てきた考えを発表したものであり、昨今の専門家が生徒たちに教えている内容とは似ても似つかないものです。過去に著された注釈書の数々とも雲泥の違いです。読者はそのことを怪しまないでください。細心の注意を払って源氏物語の本当の味わいを知り、その上で本書の内容と照らし合わせて考え、私の主張の是非を見定めてください。私が無名の学者だというだけの理由で、絶対に私の言葉を軽んじないでください。

俺の考えは源氏物語の中から湧き出して来たものだ。誰かの受け売りではない。はじめて聞く説に驚くかもしれぬが怪しまないでくれ。私は名もなき学者だが「誰がそれを言ったか」は大事なことではない。どうか内容の是非で本書の価値を判断してくれ。源氏物語をよく読んだ上で本書の内容を検討してくれ。・・・・この文章が独特のリズムをもった名文であるゆえんは、畳みかけるような命令形の文章の数々が、宣長のエネルギッシュな若々しさをじかに伝えているからです。

続いて後半を翻訳します。

また、文章の書きざま(文体)が甚だ乱れております。本書は草稿の段階なので、文章全体を点検することが出来ていないためです。本書に添削修正を施して清書するのを待ってください。言葉が整理されていないというだけの理由で、私という人間を見損なわぬよう、せつに願います。

前半で「人をもて言を捨つる事なかれ」と言い、後半で「言をもて人を捨つる事なからん事を仰ぐ」と結ぶ対句も見事ですが、レトリックよりも注目すべきは、相変わらず「これでもか」というぐらい繰り返し読者に命令し、お願いしていることです。言葉の荒さから類推して内容も粗雑なんだろうと誤解しないでくれ。これは清書されたものではなく草稿なんだ。しかし内容は確かなんだ。何となく書き散らしたのではない。俺には確信があるんだ。・・・・

どうしてこれほどまで切迫した文章を、宣長は書かなければならなかったのでしょうか?いくつかの説があります。

宣長の秘められた恋と、もののあはれの言語学的な意味を考えるのに、参考にさせてもらった大野晋さんは、強迫的な文章の続きに注目します。自署です。宝暦13年(1763)の6月7日に本居宣長が書いた、とあります。

この日付に先立つこと2週間前、5月25日に宣長は、終生にわたり師と仰ぐことになる賀茂真淵と最初で最後の対面を果たしています。大野さんはそこから想像力を働かして、対面の時、ふたりは源氏物語について議論を交わしたと考えます。そして、宣長は真淵の源氏理解の浅さに失望したはずだと推測しています。「師伝のおもむき」の「師」は真淵のことを指している、と言うわけです。

賀茂真淵が分かってくれないこと、自分の言うところの分からない人だということを、宣長は見てとったに違いない。ことによると『紫文要領』は真淵と会った後に彼が一気に書き上げた物かもしれない。だから真淵と会ってニ週間の後の六月七日に先にあげたような激しい跋文をかいたのではないか(大野晋、前掲書、27頁)

この説の根拠となっているのが、対面の日の宣長の日記です。賀茂真淵と会ったことを「対面す」と書いている。一方で、医学を授けてくれた堀景山と初対面した日の記事には「謁す」と敬語で書かれている。対面という表現の奥には、真淵が源氏物語を理解していないことに対する宣長の失望の色がにじみ出ている、と言うのです。

はっきり言って、この説には賛成できません。私は以前、「万葉を訪ねて」という題で、賀茂真淵の学問についてのエッセイを書いたことがあります。(当時は自分のnoteアカウントを持っていなかったので、友人であるスピハンさんに編集を頼んで載せてもらっていました。ご興味があればどうぞ)その頃に少しばかり真淵のことを勉強した経験から言って、宣長が真淵に失望していたとは考えられない、というのが反対する理由の第1です。

さらに、日記の表現が「対面」であったことを失望の根拠としていることも、私には不審に思われるのです。私はむしろ、江戸時代の学問の「民主的な性質」を象徴している事例としてしか、この表現の意味を受け取れないので、大野さんとは逆に、真淵と出会って語り合って、自由に、対等に、議論を交わすことができた満足感が、対面という表現を選ばせたのだと思います。端的に言えば、対面というニュートラルな表現は、師と弟子の垣根を越えた「学問の下の平等」という思想を、宣長が信じていたからこそ選ばれたものでしょう。

素直に読めば、「師伝のおもむき」の「師」とは、賀茂真淵のことを指すのではなく、世の中にありふれた平凡な「源氏学者」たちを指しています。彼らの見解と私の主張は違うと述べたものだと見るのが妥当でしょう。そして「見む人あやしむ事なかれ」は、私の主張が彼らの見解とあまりに違うことに驚かないで欲しいと述べたまでのことと受け取るべきです。大野さんの説は深読みのしすぎですし、宣長の実直で冷静な性格や、真淵との関係性を無視していて、あたかも宣長を激情型の人間であるかのように誤解させかねません。

そう、宣長の性格は本来、とても穏やかなのです。処女作のあしわけをぶねの中で、「男らしくキリッとしたのは偽りで、人の情の本当の姿はだらしなく頼りないものだ」と語っている人間が、激情型のわけがありません。

だからこそ、まえがきの醸し出す「切迫感」が異様に映るわけです。こうして話はふりだしに戻ります。なぜ宣長のような穏やかな人間がこれほど焦っているのか?ひどく誤解を恐れ、よく読むように懇願しているのか?

3つの理由があると思います。ひとつは、「誰が書いたかよりも何が書かれているのかで是非を判断してくれ」という主張が、今の人が思うよりもはるかに大胆な発言だったということです。必死に説得しなければ納得してもらえないことを語っているから、切迫するのです。江戸時代にキラ星のごとく現れた大学者たちはみな、この壁を打ち壊すことから、仕事を始めなければなりませんでした。真理というものが特定の階級に属する人々の占有物だった時代は大変に長いのです。

もうひとつの理由は、感動が冷めない内に一気に書き上げられた、という事情によるものです。宣長にとって源氏愛読の経験は、おのれの恋の意味を知らせ、生きる意味すら知らせた、人生における大事件でした。現代の読者は本を読む際に、なかなかこうはいきません。多くの場合、本を読むことで人生が大転換するなどと読者は信じていませんし、作者のほうでも己の作品で他人の人生を変えようなどという大それた考えは持ち合わせていません。

恋を成就させたばかりの、33才の宣長は、次のように直観していたはずです。この「源氏経験」の感動は、くりかえしの利かない1回限りのもので、今の機会を逃したら次はない。感動を生のまま保存するためには、文章を磨いている時間などない。とにかく急がねばならない、と。その焦りが宣長に、異様にハイテンションな「まえがき」を書かせた。

事実、「繕写するを待つべし」と約束した紫文要領の完成稿は作られませんでした。その時、その状況、その年齢でしか書けない文章があるのです。紫文要領はその典型です。

3つ目の理由は、宣長が読者に課す要求の高さにあります。文芸批評家の小林秀雄(1902-1983)の言葉を引用します。

そういう次第が、彼の、「人をもて言をすつる事なかれ」「言をもて人をすつる事なか」れという言葉となったのであり、この姿を、正常なものと納得して貰うには、時間がかかると言いたいのだ。宣長に言わせれば、「丸がいふ所の是非をさだむ」るには、「此草子とひき合せかむがへ」る、諸君自身の努力が、どうしても必要だと言うのである(小林秀雄「本居宣長(下)」新潮文庫、2007年改版、130頁)

小林の言葉を噛み砕いて言えば、宣長が読者に要求している「努力」とは、宣長と同じくらい源氏物語を愛読すること、そして、紫文要領で宣長が到達した物の哀れを知る境地に、読者も同じく到達することなのです。源氏物語は思想の書ではなく文学作品である。思想の書ならば合理的に読み解くだけで意味が分かる。文学作品は愛読の経験からしか本当の姿を表さない。これから私は経験を通して見えた姿について論じるのだから、読者も同じく経験してくれないかぎり、私の論の意味は分からないのである。宣長が暗に伝えたいのは、このことです。

「見む人怪しむ事なかれ」とは言いながら、宣長の心中に泉のごとく湧き出てきた源氏物語論を、最初に怪しみ、驚いたのは当の宣長でした。宣長は、おのれの心中に侵入した驚くべき考えが、理屈で合理的に導き出せる性質のものではなく、源氏愛読の経験からしか出てこないことを、よく知っていました。だからこそ、この「まえがき」で、「俺の経験と同じ深さで源氏物語を読んでくれ。湧いてくる読後感に怪しみ、驚いてくれ。そうしなければ俺の主張の是非など判断できないのだ」と読者に語りかけたのですが、一方で、それがあまりに高い要求だということも分かっているので、自然あのような切迫した口調となったのです。

今日のお話はここまでにします。

それではまた。おやすみなさい。



【以下、蛇足】



今回は紫文要領の「まえがき」を通して、少し哲学的なお話をしました。江戸時代の学問全体に共通する思想として、「経験してみた者にしか理解されない事柄がある」という意味での「経験主義」があります。くだけた言い方をすれば、「味読しなければ俺の言うことは分かるまい」という主張です。しかし、この主張は裏返せば、「味読すれば同じ意味にたどり着くはずだ」ということにもなり、個人的な経験は同時に普遍的な経験でもあるのです。こうした経験について、現代フランス哲学のある学者などは「超越論的経験論」と、面白い言葉を与えています。

それはともかく、江戸時代の学問全体をひとつの生き物のようにとらえ、その運動の動力源と生態を大雑把に知っておくと、宣長の言葉がより身近に理解しやすくなるのではないかと考えます。なので、次回は脱線して、そのあたりのこと、江戸時代の学問の特徴について、お話してみることにします。お楽しみに。

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