恋と学問 第13夜、善悪の向こう側で歌が聴こえる。
紫文要領の第2部に入ります。
その名も、善悪と物の哀れ。文学と道徳の関係を扱った箇所です。
今夜は「第1章/物語における善悪」と名づけた冒頭部分についてお話します。(岩波文庫版、62-67頁)
本居宣長には、学者としての顔とは別に、ポレミック(論争家)の顔がありますが、論争を仕掛けるスタイルが独特でした。相手の意見と自分の意見の良いところを合わせて、よりよい意見に高めてゆくというのではなく、相手の言葉をほとんど無視して、自分の主張をひたすら述べまくるのです。その無邪気さはハタ目には愉快ですが、実際に相手になった人々からしたら、たまったものではなかったでしょう。
そんな宣長が相手の言葉に耳を傾けるのは、そのキーワードが彼の主張を強固にする場合だけでした。いわば「他人の土俵で相撲をとる」わけですが、今回のように「文学における善悪の問題」を扱う時も、宣長はこの戦法を採用しています。
当面の相手は儒学者です。彼らは善悪の問題を語る唯一の有資格者であると自称していました。そして、源氏物語にたいして不道徳であるとの批判を繰り返してやみませんでした。
宣長本来の考えからすれば、文学が道徳的でなければならない理由など有りはしないし、道徳的な話を書こうと思って書かれるものでもありません。しかし、この「善悪」というキーワードは、おのれのキーワード「もののあはれ」を説明するのに役に立つ。宣長はそのように直観し、これを利用しようと思い付きました。
その利用法は、次のようなものです。「文学は善悪の彼岸にある」と言うのが素直なところを、「文学が善悪を判断する基準は儒学のそれと異なる。文学における善悪の基準は物の哀れを知るか知らないかに存する」と言い換えることで、文学の不道徳性を批判する儒学者にたいする回答にもなり、「物の哀れ」という言葉で彼が伝えたかった意味合いを、詳しく説明することにもなるという、一石二鳥のロジックを編み出したのでした。
引用します。
ここで言う「尋常の書」とは儒学の本を指しています。書物と言えば儒学の本と大体イコールだったということです。江戸時代の日本における儒学の影響力の強さが分かって面白い表現です。
翻訳します。
善悪という言葉の指す意味が違う。なるほど。では、どう違うのか?
かんたんな話、文学(源氏物語)において「善き人」とされるのは、情が深い人だというのです。宣長は続けて次のような主張をしています。
そうすると、情が深いとは人間のどういう性質を表す言葉なのか?これが問題の核心になります。
ようやく、宣長の文学観(源氏物語の解釈論)の核心が出てきました。ここで第3夜を思い出して欲しいのですが、現代の言語学が明らかにしたところによると、「モノ」「ノ」「アハレ」とは「避けがたい運命」「に関する」「共感を伴う陰性の感情」のことでした。つまり、「他人の運命に共感する力」です。宣長の使い方と一致していることが分かると思います。
この意味においての「物の哀れ」を知る人を善き人、知らない人を悪しき人として描いているのが源氏物語であり、ひいては文学全般であると宣長は主張するのです。
さて、これに近い箇所で宣長は「物語は教戒の書ではない」と口すっぱく言っています。光源氏は源氏物語中の最高の「善き人」ですが、紫式部は光源氏を「善き人」に描くことで、読者に向けて「光源氏のようになりなさい」と教えさとしたのではありません。そもそも、光源氏のような不道徳で奇妙な人物を、「なりたい自分」に重ね合わせる奇妙な読者など想像できません。
当たり前です。紫式部は光源氏を「目指すべき理想の人物像」として創り出したのではなく、ありったけの哀れな夢を見させた彼を通じて、読者に物の哀れを知らせようとしたのですから。
他人の運命に共感する力を得ること。それがそのまま、物の哀れを知ることです。源氏物語をよむ意義です。それを知らせるための源氏物語です。だから、紫式部にとって光源氏は、おのれの運命を誰よりも味わう人でなければならなかった。そして、他人の運命に誰よりも共感できる人でもある必要があった。光源氏はそういう目的のためにわざわざ「造型」された人物なのであって、紫式部の夢が目いっぱい詰めこまれて創り出された、文字通り「バケモノ」なのです。
だから、光源氏の不道徳を責めても意味がない。そのことが、儒学者には分からなかった。もしも紫式部の「思想」と本気で闘おうとするならば、仁・義・礼・智といった儒学の教える徳の高い生き方が、物の哀れを知って味わう生き方よりも、豊かな生き方であると主張しなければならなかったのですが、彼らはそもそも問題の所在を理解していなかったのです。
宣長は、続けて面白いことを語りだします。唐突に「ある男」の悲しい恋を話題にすることで、物の哀れを知る意味を、さらに具体的に表現しようとしました。
第2夜や第4夜をはじめとして、宣長の人生の秘密を見てきた私たちには、「この男」が宣長その人であることを疑う余地はありません。人の娘を人の妻、父母を社会に置き換えて読んでみてください。人妻タミに恋慕して新妻フミを捨てた宣長。許されない恋を成就させたのは、タミの夫の急死という偶然がきっかけだったにせよ、恋によって新妻を社会的な死に追いやったことは事実です。
ただし、宣長は恋に狂ったのではありません。恋心は道徳が麻痺した時に暴走する頭脳のシステムエラーではないのです。むしろ逆で、道徳に反することをはっきりと認識したうえで、人は恋を選び取るのです。不条理の中に生きることを自ら望むのです。宣長が「物の哀れ」について語る時は常に「知る」という言葉とセットであることを思い出してください。宣長の「物の哀れ論」は認識論なのです。感性論でも芸術思想でもありません。
人は善悪の彼岸で恋を歌う。歌うことをあえてする。たとえ、そうすることによって社会からの非難を全身に浴びようとも。そんな奇妙な生き物、物の哀れを知る人間。しかし、人生の、運命の、本当の味わいはそこにしか存在しない。不条理ゆえにわれ恋す。
こうして宣長は、源氏物語の読み方を自身の恋の経験から教えられたのですが、その痕跡をなるべく消し去って紫文要領は書かれています。わずかに残された箇所を今、引用したわけです。これに続く文章が、この章の結論になります。
もはや、私の説明など余計でしょう。文学と道徳の関係は、宣長の肉体を伴う言葉によって汲み尽くされました。善悪を打ち捨てて恋に向かう生き方に共感する、いや、共感できてしまう人間は、道徳で収まりきるほど、ちっぽけな存在ではないということ。道徳的に生きる以上に、私たちは豊かに生きることを求めていること。たとえそれが不条理なものであっても、人生の本当の味わい、物の哀れを知りたいと、心の奥底で願っていること。
物の哀れ論とは「豊かな人生とは何か」をめぐる認識論です。
それではまた。おやすみなさい。
【以下、蛇足】
今回は「文学」と「道徳」を対置させることで、物の哀れの輪郭を鮮やかに描いてみせた宣長の思考を追いました。さらに、そこにチラリと見えた宣長の「秘密の恋」についても、改めて論じることとなりました。
ところで、善悪と物の哀れというテーマを考える時、問題になるのは光源氏のことです。光源氏はなぜ「善き人」なのか?この問題について、今回も多少は触れていますが、まだ不充分です。より深く考える必要があります。実際に宣長も、次の章では光源氏論へと展開させていきます。
(第2章/善き人とされた人々)
私たちとしては、いったん立ち止まりたい所です。宣長の早足に歩調を合わせる必要はなく、彼の光源氏論を十全に理解するためにも、まずは光源氏その人を知らなければなりません。
そういうわけで、次回は光源氏の生涯についてお話します。乞うご期待。
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