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征服の世紀とラテンアメリカ世界の文化習合

自著『征服の世紀とラテンアメリカ世界の文化習合』梗概

 コロンブスによる「発見」以降、ラテンアメリカ世界が歩んできた道のりは、正に支配と抑圧の歴史だった。征服者たちはキリスト教の神の名のもとに先住民を殺戮し、その文明を根こそぎ破壊した。かつて太陽神が祀られた神殿の跡にはキリスト教の教会堂が建てられ、先住民は聖書の内容が理解できないというだけで虐待され、殺された。アフリカから「輸入」された黒人奴隷にいたってはもはや人間として扱われることさえ稀だった。現代においても、先住民や黒人たちのおかれた社会的境遇は悲惨なものである。征服者たちは、破壊と殺戮による物質的、肉体的征服だけでなく、キリスト教への帰依という形での「精神的征服」を目指したのだった。

 16世紀当時、カトリック教会は、腐敗した内部状況の露呈とプロテスタント勢力の台頭により地に堕ちた権威の復活を願い、新天地アメリカに希望を託した。新しい約束の地、失われた「エデンの園」を夢見たのだ。
 カトリック教会にとって、国土回復運動を達成したスペインは、完全なるキリスト教世界を実現するための頼みの綱であり、またスペインにとってカトリック教会は、絶対王政の確立と国力強化のための有力な後ろ盾であった。両者は必然的に強く結びつき、そのためアメリカ大陸の征服事業は徹底的なものとなった。「苛烈」といってもよい。その一翼を担ったのが修道会である。
 グアテマラ高地を蹂躙したペドロ・デ・アルバラードなどの財産と名誉を目的に破壊活動に精を出した征服者たちと違い、修道会士は布教に専念し、「魂の征服」を目指した。「ミッション」と呼ばれる集落を中心に展開された彼らの活動は、一時的には先住民たちと調和した世界を実現する。だが、先住民たちが自らの誇りを手放すことはなかった。彼らの多くは表面的にキリスト教を受け入れたにすぎず、奥底の「魂」を隠し、護った。それは黒人奴隷たちにおいても然りだ。

先住民系の親子 生活は厳しい

 アメリカ大陸の「発見」に始まる壮大な規模の「文明の衝突」は、その過程で激烈な文化的混淆、習合を引き起こした。先住民文化や黒人奴隷たちが持ち込んだアフリカの文化は、キリスト教と影響し合いながら変質したのである。聖母マリアは土着の地母神信仰とすり替わり、人々にイエス・キリストへの帰依を促した。1537年から35年間続いたインカの民による抵抗運動は、キリスト教の教義を吸収したものだった。先住民たちは元来、アニミズム的自然崇拝を行なっていたが、キリスト教と接触することで、救世主としてのインカ=王の復活と千年王国の到来を夢想した。この運動は拠点となった土地にあやかり、「ビルカバンバの抵抗」と呼ばれる。
 また、ハイチやジャマイカをはじめとするカリブ海地域やブラジルなどの南米地域を中心に労働力として供給された黒人奴隷たちの文化もキリスト教の要素を吸収し変容した。彼らの子孫の多くは今なおアフリカ由来の宗教、「ヴードゥー」を精神的拠り所としているが、彼らは祭壇にキリスト教の聖人画を飾り、女神エルズーリーへの入信儀礼の際には「アヴェ・マリア」を唱える。それだけでなく十字架の神が「悪神」とみなされている。そこには、彼らとキリスト教の複雑な関係を見てとれる。

 かように絡みあって混淆したラテンアメリカ文化の複雑性は、建築や絵画といった美術作品に端的に表現されている。特筆すべきは「ウルトラ・バロック」と呼ばれる建築様式だ。メキシコを中心に先住民の職人の手によって建造されたこの様式は、一面を埋め尽くす過剰なまでの装飾が特徴。その装飾性ゆえに視界が平面化され、バロック様式特有の強烈なコントラストが減殺される。全体の力学的構造が生み出す力強さを、繊細な装飾によって2次元的な表現領域に抑圧している。これは先征服期の遺跡などに共通してみられる特徴である。つまり、先住民たちは征服者が持ち込んだ建築様式を過剰な装飾によって内側から塗りつぶし、侵食し、古の神殿を蘇らせた。遺跡遺構の上に聖堂が建ち、その内部には古代のスピリットが息づいている。彼らの精神は複雑なレイヤーを構成しており、それは彼らが生き抜いてきた歴史とパラレルだ。

オアハカ市 サント・ドミンゴ教会 ウルトラ・バロック装飾

 20世紀に始まったメキシコの壁画運動は、混淆文化としての性格をより強く表している。それは1910年に始まった反西欧主義革命の記念碑であると同時に、メキシコ国民のアイデンティティの表出でもある。長い年月を経て白人と先住民、そしてアフリカ系との間で混血が進んだ結果、人々は改めて自らの実存様式を問い直す必要があったのだ。3巨匠と称されるリベラ、オロスコ、シケイロスをはじめとする西欧モダニズムを学んだ画家たちは、古代の遺跡に描かれたのと同じく壁画という手法をもって、革命の大義を人々の記憶に刻んだ。それは同時に、混血した人種、そして文化に自らの足場を定めることに他ならない。

 果たして、征服者達は先住民の、そして奴隷として連れて来られた黒人たちの、肉体のみならず精神までも完全に征服してしまったのだろうか。答えは否である。事実、征服者達が活動根拠として持ち込み押し付けたキリスト教は、ラテンアメリカ世界の各地に広まり浸透した。しかし、土着の先住民文化やアフリカ由来の文化が駆逐されたわけではない。キリスト教あるいは西欧の精神や文化は、混淆、習合され変容されながらも、彼らの「魂の神殿」に組み込まれた。古の魂は現在も受け継がれている。まるで死んでは再生する神鳥ケツァルコアトルのように。

グアナファトの高台に建つ革命の英雄、ピピラの像

・この記事は小田敏史著『征服の世紀とラテンアメリカ世界の文化習合』の梗概です。


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