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日活ニューアクションの魅力!

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日本のアクション映画史上、最大のターニングポイントとなった1960年代末から70年代にかけての「日活ニューアクションの世界」をまとめました。
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#日活アクション

『無頼 人斬り五郎』(1968年・小澤啓一)

『無頼 人斬り五郎』(1968年・小澤啓一)

「無頼シリーズ」第4作!

 第2作『大幹部 無頼』で、それまでの日活アクションにないヴァイオレンスな世界を展開した小澤啓一監督が、再びメガホンをとったシリーズ第4作。脚本は「無頼」の世界を作った池上金男と小澤監督。以後、小澤が第6作『無頼 殺せ』(1969年)まで、このシリーズを続投していくこととなる。

 オープニング。雪の降るある晩、藤川五郎(渡哲也)が刃を向けるのが、中部地方を支配する名振

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『紅の流れ星』(1967年・日活・舛田利雄)

『紅の流れ星』(1967年・日活・舛田利雄)

「何か考えることねえか、って考えてるんだよ」舛田利雄監督と渡哲也による、1960年代末の日活アクションの金字塔! !

 この『紅の流れ星』は、俳優・渡哲也にとっても、日活アクションにとっても工ポック・メイキングとなった傑作。渡は、1965 (昭和40)年に『あばれ騎士道』でデビュー、昭和40年代を担う日活スターとして大々的に売り出された。渡は、舛田利雄監督による『嵐を呼ぶ男』(1966年)、『星

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『侠花列伝 襲名賭博』(1969年・日活・小澤啓一)

『侠花列伝 襲名賭博』(1969年・日活・小澤啓一)

 日活100年を迎えた2012年、松原智恵子さんに「ご自身のベストは?」と質問をすると、即座に「ベストではないかもしれませんが、どうしても観たい作品がある」と答えられたのが、この『侠花列伝 襲名賭博』だった。それまで任侠映画、現代やくざ映画といっても、美しく可憐なヒロインばかりだった彼女が、初めて、壺振りや仁義を切る映画に主演。好奇心旺盛だった頃で、立ち振る舞いや、壺振りの指導を受けるのが楽しかっ

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『無頼 殺せ』(1969年・小澤啓一)

『無頼 殺せ』(1969年・小澤啓一)

「無頼シリーズ」第6作!

 1969(昭和44)年3月に公開されたシリーズ第6作にして最終作。1969年は、日本だけでなく世界の音楽、ポップカルチャー、政治、モラルが大きく変革を遂げた年でもある。もちろん、映画をめぐる状況も大きく変わりつつあった。

 『無頼 殺せ』の脚本は第1作から、第3作『無頼非情』を除く5本のシリーズを手掛けてきた池上金男。東映の『十三人の刺客』(1963年)で集団抗争

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『無頼 黒匕首』(1968年・小澤啓一)

『無頼 黒匕首』(1968年・小澤啓一)

「無頼シリーズ」第5作!

 小澤啓一監督によるシリーズ第5作。1969(昭和44)年の正月映画として、石原裕次郎の『忘れるものか』(松尾昭典監督)と二本立て公開された。一年間に5作品つくられた「無頼」シリーズが、メイン番組として正月にラインナップされていることからも、このシリーズの人気が伺える。脚本は、第1作の世界観を作った池上金男。

 タイトルの「黒匕首(ドス)」は、前作から登場した主題歌「

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『無頼非情』(1968年・江崎実生)

『無頼非情』(1968年・江崎実生)

「無頼シリーズ」第3作!

 「無頼」シリーズは、第1作『無頼より 大幹部』の舛田利雄監督門下の監督が手掛けている。第2作『大幹部 無頼』でデビューした小澤啓一監督に続いて、この第3作『無頼非情』では、小澤の先輩にあたる江崎実生監督にバトンタッチされた。

 江崎は1954(昭和29)年、製作再開なったばかりの日活に助監督として入社。市川崑監督の『こころ』(1956年)、井上梅次監督の『火の鳥』(

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『大幹部 無頼』(1968年・小澤啓一)

『大幹部 無頼』(1968年・小澤啓一)

「無頼シリーズ」第2作!

 豪腕と呼ばれた舛田利雄監督の下で、石原裕次郎の『零戦黒雲一家』(1962年)や『赤いハンカチ』(1964年)などの助監督として活躍してきた小澤啓一監督。1960年代末から70年代初頭にかけて、日活ニューアクションを支えていくことになる澤田幸弘監督らとともに、1956(昭和31)年、日活助監督部に入社。ちょうど石原裕次郎が『太陽の季節』(1956年)の“若者言葉の指南役

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『無頼より 大幹部』(1968年・舛田利雄)

『無頼より 大幹部』(1968年・舛田利雄)

 石原裕次郎映画を中心に、日活で骨太の男性アクションの佳作を連打してきた豪腕監督・舛田利雄。デビュー間もない渡哲也を、裕次郎映画『赤い谷間の決斗』(1965年)で起用、“男対男”の拮抗と友情を、西部劇的な連帯感のなかで描いた。以来、会社の要請で裕次郎を“第二の裕次郎”に育てるべく、『嵐を呼ぶ男』(1966年)、『星よ嘆くな 勝利の男』(1967年)、『紅の流れ星』(1967年)と、かつて裕次郎で成

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