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『侠花列伝 襲名賭博』(1969年・日活・小澤啓一)

 日活100年を迎えた2012年、松原智恵子さんに「ご自身のベストは?」と質問をすると、即座に「ベストではないかもしれませんが、どうしても観たい作品がある」と答えられたのが、この『侠花列伝 襲名賭博』だった。それまで任侠映画、現代やくざ映画といっても、美しく可憐なヒロインばかりだった彼女が、初めて、壺振りや仁義を切る映画に主演。好奇心旺盛だった頃で、立ち振る舞いや、壺振りの指導を受けるのが楽しかったと、語ってくれた。

 さて、1960年代半ばの映画界には “任侠映画ブーム”吹き荒れていた。東映では任侠路線を敷き、高倉健の「日本侠客伝」「昭和残侠伝」、大映では市川雷蔵の「若親分」シリーズが連作され、日活でも高橋英樹を「男の紋章」や「日本任侠伝」シリーズが作られていた。時代劇に代わる新機軸として、そのノウハウを活かして、東映や大映は京都撮影所で量産してきた。

 実はそのブームのきっかけを作ったのは日活なのである。舛田利雄監督、石原裕次郎が侠客を演じた『花と竜』(1962年12月公開)がその原点。ちなみに小沢啓一は助監督をつとめている。それを観た東映の上層部が、舛田に“東映に来ないか”と誘ったとか。ともあれ『花と竜』から三ヶ月後、東映は『人生劇場 飛車角』(1963年3月16日公開・沢島忠)を発表。これが“任侠映画第一作”とされるが、その端緒が日活の『花と竜』だったことは、映画史的にも重要なこと。

 男性中心の任侠路線だったが、日活で野川由美子の「賭場の牝猫」(1965〜66年)が連作され、大映では江波杏子の「女賭博師」(1966〜71年)に主演。東映の藤純子の『緋牡丹博徒』(1968年)の大ヒットで“女博徒もの”というジャンルが花開いていた。

 そうしたなか1969(昭和44)年、新しい日活の“女博徒もの”ということで松原智恵子に白羽の矢が立てられたのである。この頃の松原智恵子は、渡哲也の「無頼」(1968〜69年・全6作)や『前科 仮釈放』(1969年)で、血みどろのヴァイオレンスな“無頼の世界”に生きるアウトローを、健気に愛する清純なヒロインを演じ続けていた。特に小沢啓一監督の第4作『無頼 人斬り五郎』(1968年)などで、松原智恵子が演じたのは、ウーマンリブ時代に逆行するかのような“耐えて待つ古風な女性”。それは第1作『無頼より 大幹部』(1968年)で舛田利雄監督が、意外なことに初めて松原をキャスティングした理由でもあった。

 松原智恵子は、1960(昭和35)年、“ミス16才コンテスト”中部大会のご褒美で、日活撮影所見学に来たところ、そのままキャメラテストを受け女優デビュー。宍戸錠の和製西部劇の相手役、小林旭映画のヒロイン、青春映画のヒロインを演じ、1960年代半ばから渡哲也のアクション映画の相手役をつとめていた。

 もともと松原智恵子は、小林旭との『関東無宿』『花と怒涛』(1963年・鈴木清順)など出演していた。「無頼」「前科」で現代のアウトローを演じた渡哲也にとって初の“着流しやくざ”映画『博徒無情』(1969年・斎藤武市)でも“古風で耐える”ヒロインをつとめたばかり。残念ながら渡の「博徒」は連作されなかったが、続いて松原智恵子の“女博徒もの”として企画されたのが『侠花列伝 襲名賭博』。重要なのは松原の役柄が“三代目組長を襲名する博徒”へシフトしたことだった。

 小沢啓一監督は「無頼」で展開していた、血みどろで無様な戦いを繰り広げるアウトローの世界から一転。正攻法ともいうべき任侠映画の世界を見事に構築。

   群馬県鹿沢(かざわ)の鄙びた温泉場で、自前芸者(置屋に身を置かないフリーランス)を張る杉浦志満(松原智恵子)が、浅草の大平組に追われ傷養生に来て居た博徒・柿沢高次(藤竜也)を匿うことになり、二人は惹かれあう。ところが志満には、侠客だった亡父が決めた許嫁・向田組二代目・周吉(江原真二郎)がいる。一方、向田組の持つ温泉の湯元の利権を狙って、新興やくざ本堂組の源蔵(見明凡太郎)や万蔵(深江章喜)が暗躍、鹿沢温泉は物騒な空気が漂っていた。

  これが前段で、やがて志満は高次と夫婦約束をする。この年『野獣を消せ』(長谷部安春)などで進捗著しい藤竜也が放浪の侠客・高次を好演。過去を清算し堅気になろうとする高次と、すべてを捨てて新天地で生きていこうとする志満。これぞ日活映画の主人公! 追っ手から逃れるため、鹿沢の駅から線路伝いに逃げながら戦い、その舞台が大きな野原へと拡がっていくアクションは、流石「無頼」の小沢啓一監督、前半にも関わらずクライマックスのド迫力。

 やがて志満は高次と交わした“半年後、浅草二天門で、お互いきれいさっぱり堅気の身になって再会しよう”という約束を信じて上京。浅草の小料理“川重”で働きながら、約束の日を待つ。この健気さ。“川重”の主人夫婦を演じたのは、佐野浅夫と奈良岡朋子。二人のベテランの醸す親和力が、ひととき志満の心の平安を感じさせてくれる。

 その“川重”に刑務所帰りの大平組の客人・露八(高橋英樹)がやってくる。露八は“川重”の娘婿だったが、息子の太郎を残して、新内語りと駆け落ちをした挙げ句、女房を死に至らしめていた。ここで志満の念願が叶って、高次と“川重”夫妻のような、堅気の夫婦になれれば良いのだが、そうはさせてくれないのが任侠の世界。ここから物語は急展開して、志満は向田組三代目に襲名するまでの展開は息もつかせない。

 “高橋英樹・藤竜也・江原真二郎”タイプの違う三人の男たちが背負っているものを描いて、それぞれが志満への慕情を抱いて、文字通り身を持って彼女を守り立てる。小沢監督は、松原智恵子を美しく、そしてカッコ良く見せるため、ディティール豊かにエピソードを積み重ねていく。また、こうした作品に欠かせないライバル=好敵手として梶芽衣子が登場。高次に惚れ抜いて、彼を追って鹿沢へと流れてくる“女壺振り師”小宮山マキ(梶芽衣子)が実に良い。無口でクール。清純な第一ヒロインに対する、汚れ役の第二ヒロインという、日活アクションの伝統がここにある。

 クライマックス、襲名賭博での小宮山マキと志満の勝負のために、この映画のそれまでのすべてがある。ベテラン・横山実のキャメラ、戦前から活躍してきた藤林甲の照明、木村威夫の美術、それぞれのスタッフワークが素晴しい。

 やがて志満のために、男たちが繰り広げる壮絶な戦いの迫力。日活ニューアクションが撩乱していく時代のなかで、その旗手でもあった小沢啓一監督の、徹底した娯楽主義が楽しめる。願わくば、もっと“壺振りお志満”シリーズが観たかったが、残念ながら、これ一作で終わってしまった。それゆえ本作は、日活任侠映画としても、松原智恵子という女優のフィルモグラフィーのなかでも重要な作品なのである。

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