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「無頼シリーズ」第6作!

  1969(昭和44)年3月に公開されたシリーズ第6作にして最終作。1969年は、日本だけでなく世界の音楽、ポップカルチャー、政治、モラルが大きく変革を遂げた年でもある。もちろん、映画をめぐる状況も大きく変わりつつあった。

 『無頼 殺せ』の脚本は第1作から、第3作『無頼非情』を除く5本のシリーズを手掛けてきた池上金男。東映の『十三人の刺客』(1963年)で集団抗争時代劇のなかの男たちの死に様を描いて、新東宝シナリオ塾からの盟友・舛田利雄監督に乞われて、日活で『紅の流れ星』(1967年)に参加。池上なくしては、渡哲也のニューアクション時代はなかったと言ってもいいだろう。

 その “浪花節”テイストあふれる“青春映画”として池上が描いてきた「無頼」シリーズに、新たな才能が加わった。宍戸錠の『拳銃は俺のパスポート』(1967年)でシナリオ作家としてデビューを果たした若手の永原秀一である。この年、渡哲也の『野獣を消せ』(1969年)で、主人公に敵対する暴走集団をデティール豊かに描いて、後の「野良猫ロック」シリーズ(1970〜1971年)の萌芽となった。永原の参加によりリアルなテイストが加わった。

 巻頭、川崎を支配する、入江崎一家の親分・松永政光(水島道太郎)が、料理屋で刺客(榎木兵衛)たちに襲われる。狭い料理屋で天ぷら鍋を使ったりと、アクションの手を凝らした見せ場になっている。『十三人の刺客』にも出演した水島道太郎の立ち振る舞いの良さ。セットを活かして、オーソドックスなやくざ映画のような画調で展開される。刺客を斬り殺して松永は入獄する。

 そして“京浜近郊 ある基地の港”のスーパー。米軍の軍港がある神奈川県横須賀市がスクリーンに映し出される。そこを根城にした関東東友会・会長の剣持儀市(須賀不二男)と、代貸し・沖津元弘(睦五郎)が悪巧み。松永入獄の間に、川崎駅周辺の入江崎一家の縄張りを奪い取ろうと目論んでいる。その先鋭隊となるのが、幹部・花井鉄次(郷鍈治)をはじめとする若者たち。「いいか、お前たちは、駅ビルに陣取って、片っ端からやくざものを叩きのめせ」とは物騒な話。

 “京浜間 ある工業都市”と紹介される今回の舞台は、神奈川県川崎市。ほとんどが駅前周辺で撮影されている。ロングショットの盗み撮りで、先程の東友会の若い連中が歩いている姿を捉えるが、冒頭の人工的な“やくざ映画”的空間と対照的なリアルな映像が好対照をなす。

 五郎が降り立つのは、地方都市ではなく、限りなく東京に近い川崎駅。東友会の花井と五郎は旧知の仲だが、五郎は一匹狼、花井の「その辺でお茶でも」という誘いには乗らない。続く駅前のデパート(ロケはさいか屋)で、「パンツくれや」と五郎と店員(橘田良江)のやりとりがユーモラス。店員「クラシックパンツもあります。お褌のことですけど」、五郎「わかったよ、へんなものに“お”の字をつける奴があるかい」。

 “人斬り五郎”も形無しだが、この映画が公開された頃、フジテレビで渥美清の「男はつらいよ」が好評を博していた。チーフ助監督の澤田幸弘が寅さんのファンで、助監督たちと一緒に観ていたという。今回の五郎はこれまでの非情の世界に生きる男、というより、稼業としての渡世人を任じているような余裕がある。これも1969年の時代の気分である。

 ちなみに澤田は翌年『反逆のメロディー』(1970年)で、「男はつらいよ」の源ちゃんこと佐藤蛾次郎をフィーチャー。テレビ版の寅さんが、アドリブで義理の弟・雄二郎(蛾次郎)につけた仇名「ドイツの鉄兜」を、チョッパーのバイクのハンドルに下げて登場する。

 さて、先程の東友会はこのデパートでも傍若無人ぶりを発揮。エレベーターガールの浅野弓子(松原智恵子)に、石田良吉(天坊準)がチョッカイを出しているところに、五郎がやってきて難をのがれる。その時、弓子は五郎の顔にビンタする!まるで青春映画のような最悪の出会いというのも微笑ましい。

 こうして東友会の川崎侵攻が描かれていくなか、五郎は入江崎一家のチンピラ・宇野薫(和田浩治)と出会い、刑務所時代の先輩・守山健(江原真二郎)と再会する。

 五郎は仮釈放で守山と別れるとき「俺はもうやくざに愛想が尽きた。今度こそ堅気になる。だがね、会っても口はきかないから、そのつもりでいてくれ」と大見得を切ったことが、明らかになる。しかし、相も変わらずやくざ稼業の五郎は「だけど、あの時の気持ちは変わらねえ、今の今だってそのつもりでいるんだぜ」と、堅気への憧れを笑いながら吐露する。

 弓子が、守山の妻・美奈子(野添ひとみ)の妹だと判明するシーン。弓子が風呂から上がろうとしたところで、五郎と鉢合わせ。これも「寅さん」のような喜劇的状況。五郎は守山家の世話になる。この“家庭”が五郎にとっての心休まる場所となる。

 やがて、五郎は二つの組の抗争に巻き込まれてゆくのだがが、脚本の主眼は、多くの日活ニューアクション同様、若いやくざたちの集団抗争と彼らを捨て石にする組織の非情に置かれている。すべてを「会長の命令」と言い訳する花井に、五郎は「やくざってのは、ドスで落とし前をつけておいてな、能書きはあとから並べるんだよ」といい放つ。「命令だからって、張り子の虎みたいに首を降ってるのはいいが、命と懲役はこっち持ちだぞ」と釘をさす。「だがな、縄張拡げて良い思いするのは、手前らの後ろで指図している連中だぞ」。

 “捨て石か埋め草にされていく”若者たちの悲劇。東友会会長の剣持は、花井たちを“特攻隊”として切り捨ててゆく。その抗争のなか、宇野薫も殺され、ついには守山まで惨殺されてしまう。“組織によって奪い取られる個人のアイデンティティ”という日活ニューアクションに通底しているテーマが顕在化してくる。

 クライマックス、いよいよ東友会の剣持と代貸たちが川崎に乗り込んで来る。ゴーゴークラブで「懐メロやらせろ、懐かしのメロディだよ」と支配人に怒鳴る沖津。この時の睦五郎がなかなかいい。そこで内田裕也とフラワーズが演奏し、麻生レミが歌うのが「君恋し」。戦前、二村定一が歌い、戦後フランク永井がリバイバルヒットさせた曲。ファンキーな“懐メロ”が流れるなか、単身、黒ドスを呑み込んだ五郎が、復讐を果たしにやってくる。第1作のクライマックス同様、音楽だけを流す演出で、死闘が繰り広げられてゆく。

 すべてが終り、五郎は雪が残る、川崎港の引き込み線の広い土地を彷徨い歩いてゆく。本作でシリーズは終焉を迎えるが、池上金男と小澤啓一監督は続く、渡哲也の『前科・仮釈放』(5月公開)で、再びコンビを組んでゆくこととなる。

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