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日活ニューアクションの魅力!

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日本のアクション映画史上、最大のターニングポイントとなった1960年代末から70年代にかけての「日活ニューアクションの世界」をまとめました。
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#1969年

『広域暴力 流血の縄張』(1969年・日活・長谷部安春)

『広域暴力 流血の縄張』(1969年・日活・長谷部安春)

 ドスを呑込んだダボシャツ姿のアキラが、新宿歌舞伎町を彷徨う。望遠レンズで捉えたキャメラが、ナマナマしく1969年の新宿を行き交う人を映し出す。血まみれのダボシャツ。剃り込みの入った額。全身から発散する気迫。まさか、これが「渡り鳥」で黄色い歓声を浴び、スーパーヒーローとアジアで賞賛されたマイトガイと呼ばれた小林旭だと、誰も思わなかったんじゃないだろうか? 

どう見ても本職。もちろん周囲にはスタッ

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『侠花列伝 襲名賭博』(1969年・日活・小澤啓一)

『侠花列伝 襲名賭博』(1969年・日活・小澤啓一)

 日活100年を迎えた2012年、松原智恵子さんに「ご自身のベストは?」と質問をすると、即座に「ベストではないかもしれませんが、どうしても観たい作品がある」と答えられたのが、この『侠花列伝 襲名賭博』だった。それまで任侠映画、現代やくざ映画といっても、美しく可憐なヒロインばかりだった彼女が、初めて、壺振りや仁義を切る映画に主演。好奇心旺盛だった頃で、立ち振る舞いや、壺振りの指導を受けるのが楽しかっ

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『無頼 殺せ』(1969年・小澤啓一)

『無頼 殺せ』(1969年・小澤啓一)

「無頼シリーズ」第6作!

 1969(昭和44)年3月に公開されたシリーズ第6作にして最終作。1969年は、日本だけでなく世界の音楽、ポップカルチャー、政治、モラルが大きく変革を遂げた年でもある。もちろん、映画をめぐる状況も大きく変わりつつあった。

 『無頼 殺せ』の脚本は第1作から、第3作『無頼非情』を除く5本のシリーズを手掛けてきた池上金男。東映の『十三人の刺客』(1963年)で集団抗争

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日活ニューアクションの時代〜『無頼』と渡哲也〜

日活ニューアクションの時代〜『無頼』と渡哲也〜

 1960(昭和35)年、日活は石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩治の四人のトップスターを“ダイヤモンドライン”として命名、彼らの主演作をローテーションで公開する“ピストン作戦”を展開。アクション映画の黄金時代が到来した。ところが1961(昭和36)年には、裕次郎がスキー事故で骨折、赤木圭一郎が不慮の事故で亡くなるというアクシデントに見舞われ、その穴を埋めるために、ダイヤモンドラインに宍戸錠、

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