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失楽園⑥

主要な登場人物紹介
涼宮俊介・・・21歳。大学生。永遠と幸福が保証された世界に息苦しさを感
       じている。
牧村直美・・・21歳。大学生。学業やボランティア活動に積極的で、周囲へ
       の配慮を欠かさない。
宮田伊作・・・21歳。大学生。鈍感でぶっきらぼう。俊介の繊細さやネガテ
       ィブな性格を馬鹿にしている
涼宮美香・・・俊介の母。過保護で、心配性。俊介からは疎まれている。
西田真理奈・・・謎めいた司書。反社会的な言動をとっても、何故か”マンダ
        ラ”の影響を受けない
朝光明・・・反政府組織「カリオストロ」のリーダー。この社会で苦しむ
      者たちを国外脱出させる活動を担っている。


 「ようこそ、涼宮くん。改めて自己紹介させてもらうよ。僕は反政府組織である”カリオストロ”のリーダーを務めている、朝光明だよ。よろしく。」
 「よろしくお願いします。」
 「僕達の組織は、この狂った社会で苦しんでいる君の様な者達を、この国から脱出させる活動を行っている。もちろん、他にも色々やっているし、考えてはいるがね。ところで、君には幾つか聞きたいことがあってね。単刀直入に言うと、君はこの社会を憎んでいるかい?」
 「ええ、憎んでいます。僕は基本的に人間は動物であり、皆多かれ少なかれ、偽善者だと考えています。そして全ては変わり、一切は過ぎてゆくと考えています。だから、絶対的で変わらない正しさなんてどこにもない。けれども、この社会はそれらの現実から目を逸らし、さも自分達が高尚な人間だと勘違いしています。作り物の平等と見せかけの博愛を掲げ、互いが互いを監視しあって生きている。自由に至ってはどこにもない。愛や思いやり、正しさを理由に、他人との境界線を平気で飛び越える。死や病気、変化、異端者などの自分達の理解できないものを排除する。それがこの社会であり、僕はそんな社会を憎んでいます。」


 「西田の言っていた通りだね。君は自分自身も含め、人間というものを深く理解している。そしてどんな現実からも目を逸らさない。」
 「ありがとうございます。けれども、僕はあなた達が考えているような人間ではないですよ。僕はこの社会を強く憎んでいますが、だからといって、それ以前の社会に戻せばいいと考えているわけではありません。現在の様な社会にならざるを得なかったのかもしれないと考えることもあります。それ故に、未だにこの国から脱出するということに、多少躊躇している部分も正直言ってあります。」
 「いや、やはり君は自分が考えている以上に、物事を冷静に、かつ深く考えられる人間だ。何度もこの社会に苦しめられ、何度も自殺未遂を繰り返したにもかかわらず、このような社会が求められる理由も理解している。確かに、この社会がいかに狂っているからといって、時間を巻き戻し、石器を手に狩りに行けばいいというわけではないからね。では、この問いはどうかな?”我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか。” この問いに、君ならどう答える?」
 「僕は先程言った通り、人間は基本的に動物であり、それも、長い歴史から生み出された高度な動物だと考えています。ただ、これからの社会の明確なビジョンはまだわからないです。」
 「確かに、人間は基本的に動物だろう。けれども僕の考えは少し違う。僕は、人間は遺伝子というエンジニアにとっての道具に過ぎないと考えている。人間が日常で行う行動や意思決定のほとんどが、無意識によって既に決められているというのは知っていたかな?」
 「いえ、無意識が決定している部分があるというのは知っていましたが、ほとんどの決定が無意識によって決定されているのは知りませんでした。」
 「意識は既に無意識が決定していたことに後から理由をつけ、さも自分が決めたのだと考えるものなのだよ。つまり、意識などは幻想であり、無意識は脳の中のゾンビだということだ。そしてそのゾンビは元はといえば、遺伝子というエンジニアが生み出したプログラムに過ぎない。ある決定を行った時、人間はもっともらしい大義名分を掲げたがるが、そんなのは表層でしかないということだよ。」
 「僕達人間は遺伝子にとっての乗り物の様なものであり、利他心や愛情のために行った行動であっても、本当にそれが真の理由とは限らないということですね。」
 「ああ、そういうことだ。もちろん、遺伝子が利己的であっても、人格は利他的であるから、その者の善意や愛情を否定することには繋がらない。しかし、その利他心も遺伝子の利益にかなっているのだよ。だからこそ、根本的に人間は多かれ少なかれ、偽善者なのだよ。意識が作り出した理由は完全に否定されるべきではないが、しかしながら、人間の様々な決定の基になっているのは無意識であり、本能であり、欲求だ。それらの欲求はたくさんあるが、基本的なものは7つある。」
 「つまり、デカルトが言うところの”我”や”わたし”などというものは無く、あるのはその”わたし”が集まってできた”わたしたち”だけだということですね。」

 

 「そういうことだよ。それら7つの欲求がその場その場で主導権争いを起こし、勝ち上がった欲求が元となって決定が下される。そして人はその欲求を通常意識しない。恋人の浮気に腹を立てたり、子供が望んでいないのに、必死で親が高度な教育を受けさせるのは、配偶者保持の欲求や親族養育の欲求が働いたからかもしれない。100年前の人間がブランドのバッグやシューズ、トレンドのファッションを身に纏っていたのは地位欲求かもしれないし、配偶者を獲得する欲求が働いたからかもしれない。神を信仰するのは地位欲求か、協力関係を求める欲求から来ているのかもしれない。外国人を差別したり、感染症患者に嫌悪感を抱いたり、自分達とは考えの違う者を焼き殺すのは、自己防衛欲求や疾病回避の欲求が働いたからなのかもしれない。そしてそれらの欲求は進化の過程で継ぎ接ぎされた機能であり、そういった機能を持つサピエンスが、進化の過程で結果的に生き残ったのであり、僕達はそのサピエンス達の子孫だから、未だにそういった機能を持っているのだよ。」
 「しかし、そうだとしても、差別や戦争、暴力や迫害は正当化されるべきではないと、僕は考えます。」
 「ああ、その通りだ。真実を無視し、理想だけを語ることが誤りなのと同じように、真実を自らの行動の正当化の手段とすることも決定的な誤りだ。僕は保守主義者でも差別主義者でもないし、むしろそれらを強く嫌う者だ。だが彼らの様な者を攻略するためには、理想だけ語っていても意味がない。これらの真実を理解すれば、この社会の人間達の思惑とそれへの対処法も自ずと見えてくる。」

 

 彼は僕のことを高く評価していたが、とんでもない。彼の方が遥かに人間というものを深く理解し、かつどんなに残酷な現実をも見つめている。その上で、現状に甘んじることなく、何が正しいのかを自らに問い続け、理想を決して手放さない。彼と深く関わればかかわる程、彼が反政府組織のリーダーを務めている理由が理解できる。
 ずっと、この世界の中で苦しんできた。誰も理解者がいない中で、何も変えられない無力な自分を責めてきた。けれども今ようやく、僅かばかりの希望が見えてきたような気がする。


前章は以下のnoteです。



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