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【戯曲】チェンジ・パートナーズ ②


一方、207号室では佳純と怜がくつろいでいる。

佳純 (ベッドに寝転がって地元新聞を読んでいる)軽井沢の人口って知ってる?
 (何かメモを取っている)うぅん。
佳純 約二万人だって。ボロくていいから、こういうところに別荘がほしいよなぁ。いっそ住んじゃってもいいか。新幹線で一時間ちょいなんだから、打ち合わせで東京に出るのだって便利だし。だいたい今時ほとんどデータのやり取りだし、わざわざ都内に住んでる必要なんてないんだよ。あんな家賃の高いところ。
 そうね(適当に相づち)。
佳純 今の仕事がシリーズものでしょ? それが軌道に乗れば、そう現実離れした話でもないよね。知り合いのイラストレーターにも地方に住んでる人何人かいるし。でもあれか、普通に乗ったら新幹線で片道いくらなんだっけ。
 (メモ取りつつ)東京―軽井沢間で五千円以上したと思う。
佳純 月一回東京に出るだけでも交通費一万円か。出版社が持ってくれると思う?
 (適当な受け答え)出版社だって厳しいんでしょ? 無理じゃない?
佳純 そうだよな。(怜を見て)さっきから何してるの。
 明日、お土産いくつ買えばいいかと思って。
佳純 お土産? そんなものいる?
 わたし、うっかり職場で旅行行くって言っちゃったの。あそこ、みんなにお土産買ってくるのがルールみたいになってるから。
佳純 面倒くさっ。やだなー、そういうの。
 何で言っちゃったんだろ。失敗した。
佳純 買わないとあとが怖いか。
 よっしーは誰にも買わなくていいの?
佳純 おれは平気。
 誰にも?
佳純 だって友だちとかいないし。
 担当さんは?
佳純 買おう。一番いいやつ。五千円くらいの。
 その半分で十分だと思うけど。
佳純 他の編集者と分けられるように、十五個入りとか二十個入りとかのお菓子。ちょっとでも印象よくしておかなきゃ。
 明日、帰りの新幹線が六時十五分でしょ。ちゃんとお土産買う時間確保しとかないとね。ねぇ、そういえばさっきの話だけど。
佳純 何?
 引っ越して一緒に住む?
佳純 え?
 軽井沢に家買う?
佳純 え、そんなお金ないよ。
 だってさっきは――。わたしの貯金も合わせれば、できないこともないと思うけど。
佳純 一緒に住むって言ったって……。
 何。
佳純 (恐る恐る)結婚して?
 だって、去年の夏にはうちの両親に挨拶に来るって話になってたのに。
佳純 そっちの親戚に急に不幸があったから。
 分かってるけど、それが落ち着いたと思ったら、今度はよっしーが忙しいって。
佳純 過労で入院までしたんだ。きつい締め切りが続いたから。
 うん。
佳純 今の仕事がどれだけ大事かは分かってるだろ。世界の色々な民族の文化や生活を紹介する本でシリーズもの。毎年二冊刊行。全十巻の予定。今ようやくその一冊目が終わったところなんだ。何回も何回も描き直してさ。
 大変だったよね。
佳純 あっちを直したかと思えばこっちを直して、せっかく直したところをまた元に戻したりもしたからね。初めての大きい仕事なんだよ。これがちゃんと形になれば、向こう五年は収入にも困らない。評判がよければ次にもつながるし、チャンスなんだ。
 それは分かってる。でも、描きたい絵を描けてるの?
佳純 え?
 あんまり楽しそうに見えないから。
佳純 そりゃ、色々要求が細かいから。でも仕事なんだから我がまま言えないだろ。
 それはそうだけど。
佳純 うまくいけばバイトだってやめられる。黙々と棚を組み立てるだけのつまんない仕事をさ。まぁ、あれはあれでけっこう好きだけど。だいたい、今となってはきみのお父さんも結婚に反対してるじゃないか。
 わたしが結婚することには大賛成。あなたと結婚することに反対してるの。
佳純 その点に関してはおれとお父さんで同じ意見ってことか。
 何それ?
佳純 いや、冗談。
 やっぱり結婚したくないんだ。
佳純 冗談だってば。
 うちのお父さんだって最初は賛成してたんだから。
佳純 間が空いて冷静に考えてみたら、やっぱり売れないイラストレーターなんかダメだって思ったんだろ。ほとんどフリーターみたいなもんなんだから。収入を考えればフリーターより悪いくらいだし。
 よっしーの態度がはっきりしないから。
佳純 嫌われてたら挨拶にだって行けないよ。(後悔して)昼間、教会なんか見に行ったのがいけなかったんだ。軽井沢にこんなに教会があるなんて知らなかった。
 結婚式の下見に来てるカップル、けっこういたよね。
佳純 おれたちは教会の建築を見に行ったんだ。
 いやでも目に入るから。でも、結婚を控えたカップルってやっぱりちょっと違うな。独特の高揚感があるっていうか。
佳純 それで挙式にかかる費用がバカ高いってことに気がつかないんだ。
 わたしたち、このままどうなるの?
佳純 どうって。おれだって最初はそのつもりで挨拶行くことになってたんだから。ちょっと、タイミングを逃しただけだよ。
 次のタイミングはいつ来るわけ?
佳純 仕事は一区切りついたけど、向こうが一通りチェックして最終のOKが出るまではまだ気持ちが落ち着かないから。あれだけ直したんだからもう大丈夫だと思うけど。とにかく今はまだ他のことは考えられない。二人で旅行に来るのなんて久しぶりなんだし、ちょっと休ませてくれよ。
 (気落ちしつつ)そうだよね。ごめん。
佳純 いや、おれだって……。ちょっとホテル内を探検してこようかな。
 好きだよね、探検。いってらっしゃい。

佳純、部屋を出て行く。
一階ロビーでは炯介がカップ麺を食べている。

炯介 うまい! ガイドブックに乗ってたレストランなんかよりこっちのがいいよ。(フタを見て)どこのメーカー? メモっとこ。レストランなんて予算一人三千円だもんな。ぼったくりだろ。カップラーメン何杯食えるんだよ。(スープを飲んで)十五杯食える。絶対こっちだろ。

佳純が通りかかる。

佳純 あ、どうも。
炯介 (チラッと見て)あぁ。
佳純 夜食ですか。
炯介 えぇ、まぁ。
佳純 明日も暖かいみたいでよかったですね。先週はマイナスまで下がったそうなんで。
炯介 (やや冷たく)そうですか。絵がお好きなんですか?
佳純 え?
炯介 今日、美術館でお見かけしたんで。軽井沢現代美術館とセゾン現代美術館、両方で。
佳純 あぁ、まぁ。一応絵を描く仕事をしているので。
炯介 (色めき立って)画家さんですか?
佳純 いや、なんと言うか、イラストを。
炯介 (露骨にバカにして)あぁ、イラストレーター。日本全国に百万人はいるという。
佳純 (受け流して)えぇ、まぁ。百万人のうちの一人です。
炯介 (ずけずけと)どういう媒体でお仕事されてるんですか?
佳純 雑誌のカットとか、色々。駆け出しですから。そちらはどんなお仕事を?
炯介 ぼくは、その、大学院に通ってます。
佳純 あぁ、それで。
炯介 それで?
佳純 平日に旅行できるなんて、二人とも普通の勤め人じゃないよなって。
炯介 一応、西欧美術史を専攻してます。大学院を出たら美術館か博物館の学芸員になる予定です。
佳純 なるほど。
炯介 絵はどちらで勉強されたんですか?
佳純 勉強というか、ほとんど独学みたいなもんなんですけど。大学は日大の芸術学部で――。
炯介 (露骨にバカにして)あぁ、日芸。

部屋着に着替えた七穂が来る。
炯介と七穂はちらりと視線を合わせ、そっぽを向く。
佳純は七穂が着ているパーカーを見て、あっとなる。胸のところにナマケモノのロゴが入っており、それを食い入るように見つめる。

七穂 (佳純の視線に戸惑い)あの、何か?
佳純 (はっとなって)いや、あの。
炯介 ほらな。ちらちらどころか、おれが目の前にいるのに堂々とおっぱいを見る。透視されてるぞ。
七穂 やだ(さっと腕で胸を隠す)。
佳純 いや、その服……。
七穂 え?
佳純 そのロゴを見てて。
七穂 はぁ。
佳純 おれがデザインしたんだ。
七穂 え、この服ですか?
佳純 いや、そのロゴ。
七穂 え? (ロゴを見せて)これを?
炯介 (鼻で笑うように七穂に紹介して)こちら、イラストレーターの先生でね。(と言ったあと驚いて)え!
七穂 これって、今けっこう人気のブランドじゃないですか。
炯介 (息せき切って)今、こいつのようなちゃらんぽらんな女子の間で人気のナマケモノのロゴをデザインされた、ふくましげき先生ですか!
七穂 ですか?
佳純 ……あの、……違うんだけど。
炯介 違う?
七穂 違う?
佳純 おれは……。
炯介 ふくましげき先生ではない?
佳純 ではなくて。
炯介 お名前を聞かせてください。
佳純 住吉佳純。
介 すみよし、よしずみ。(シラけて)違う。知らない。ふくましげき先生ではない。ただの無名のイラストレーターだ。変な名前の。
佳純 でも、そのロゴはおれが描いたんだ。
七穂 どういうことですか?
佳純 つまり、おれが描いたものが、別の、そのなんとかってやつが描いたことになって、世に出回っている。
炯介 それがヒット商品になって、あなたからデザインを盗んだやつはブレイクしたと。
佳純 (沈痛な面持ちでうなずく)
炯介 ふくましげき先生を盗人呼ばわりする。
佳純 よくあるんだ、そういうことは。
炯介 (あからさまに軽蔑して)いますよね、ネットとかでそういう妙なことばかり言ってるやつ。
佳純 今更言ったところでどうにもならないのは分かってるよ。
炯介 歴史は勝者によって書かれる、か。ま、二人で仲良くやってください。(七穂に)気が合いそうでよかったじゃないか。

七穂はその嫌味に顔をしかめて返す。
炯介、やれやれという感じで上手側の通路から退場。

七穂 すみよし、よしずみさんって……。
佳純 変な名前でしょ。上から読んでも下から読んでも一緒的な。
七穂 よしもとよしとも、みたいですよね。
佳純 ! 驚いた。それ言われたの初めてだ。だいたいみんな「気象予報士か」って言うよ。下の名前がよしずみだから。じゃなきゃ「山本山かよ」とか。
七穂 よしもとよしとも、けっこう好きなんで。
佳純 若いのに珍しいな。あなたは、お名前は?
七穂 哀川です。哀川七穂。哀川翔の哀川に、数字の七に、稲穂の穂。
佳純 哀川翔の哀川。覚えやすいね。
七穂 だいたい相川七瀬みたいって言われるんですけど、アイカワ違いなんてすよね。
佳純 いやいやいや、哀川翔の哀川! いいよ。下の名前もよく似合うかわいい名前だ。七穂ちゃん。
七穂 ありがとうございます。

正面奥の通路から怜が来る。

佳純 あ、怜。
 お茶、明日の朝の分ももらっておこうと思って。
佳純 (七穂に)あの、カノジョ。(怜に)こちら、哀川さん。哀川翔の哀川ね。
 哀川翔?
七穂 こんばんは。今日、何度かお見かけしました。
 そうですね。(七穂の服に目を留めて)……あ、それ。
七穂 (気を使うように)カレシさんがデザインされたんですよね。
 (佳純に)話したんだ。
佳純 ちょっとだけ。おれがデザインして、そして、何もしてないふくましげき先生が世間では大ブレイク中。
 あなたの友達のね。
七穂 友達なんですか?
 大学時代からの。
佳純 だった。過去形。もう友達じゃない。それどころか盗人だよ。犯罪者。
七穂 ホントなんですね。
佳純 まぁ普通信じないよな。きみのカレみたいな反応するのが普通だよ。
七穂 ごめんなさい、信じてなかったわけじゃないですけど。でも、ひどいですね、友達なのに。
佳純 まったくだよ(とため息)。
 (七穂に)この話はしない方がいいの。っていつも自分からしちゃうからしょうがないんだけど。ショックが大きくて。
七穂 ごめんなさい、わたしがこんな服着てたから。
佳純 いや、仕方ないよ。それだけ売れてるってことなんだから。さっき彼が言ってたことじゃないけど、世の中売れたもん勝ちなんだし。
 そんなことないってば。
佳純 じゃあ、これをデザインしたおれに何があるんだ? 何もないだろ。何にもなし。こんな仕事、いつか絶対やめてやる。絶対やめてやるからな。
 (七穂に)口癖なの。やめてやるやめてやるって。(佳純に)今いい仕事が来てるんだから、それを大事にすればいいでしょ。
佳純 それだってこれに比べたら(と七穂のパーカーを指す)。……やめやめ。おれ、探検の途中だった。このホテル、何もないぞ。見事なまでに何もない。……おれと同じだ。

控え室から山内が出てくる。セルフサービスのアメニティ類を補充する。

山内 (三人を見て)いいですね、旅先で出会いがありましたか。
佳純 どうも。ちょっと散歩に出てきます。
山内 はい。といっても、近くには何もないですけど。
佳純 何もない。……おれと同じだ。
山内 最寄のコンビニまで三キロあるので。
佳純 そんなに。でも、別にコンビニには行かないから。
山内 そうですか。お気をつけて。あ、上着を持って行った方がいいかもしれませんよ――。

佳純、エントランスから出て行く。

山内 って、行っちゃいましたね。
 あ、ティーバッグ、いただいてもいいですか。
山内 あぁ、どうぞ(と大量に渡す)。
 (慌てて)こんなにいいです。
山内 うちはこれくらいしかないんで。
 あの、そんなつもりじゃ。
山内 いいですから。(七穂に)お客さんも要りますか?
七穂 わたしはラーメン買いに来ただけなんで。
山内 そうですか。じゃ、わたし、奥のコインランドリーにおりますので、御用がありましたらお呼びください。
七穂 どうも。
山内 (フロント裏から洗濯籠を掲げて見せ、にこやかに)自分の洗濯物です。
七穂 や、教えてくれなくてもいいんですけど。

山内、廊下を下手に消える。
七穂、販売機でカップ麺を買い、脇のポットでお湯を注ぐ。
怜、ロビーに備えてあるノートパソコンで調べものをする。

七穂 カレシさんなんですね。ご結婚されてるのかと思いました、何となく。
 うぅん、結婚はしてないの。
七穂 ご予定はあるんですか?
 え?
七穂 軽井沢って言ったら結婚式かなって。今日教会見てたらなんか憧れちゃって。
 うちらはただの旅行。そちらは考えてるの?
七穂 いえ。今二人とも無職なんで、とてもそんなこと。
 そう。大変ね。
七穂 というか、あんなのと結婚とか考えられないし。
 そうなの?
七穂 わたし、先月仕事を辞めたばかりなんですけど、これを機に男も替えようかなって、今ちょっと考えたりして。どう思います?
 どうって言われても。
七穂 ちょうどいいタイミングじゃないかって気がするんですよね。
 でも、せっかく二人で旅行中なのに。

炯介が来る。

炯介 (あてつけがましく)イラストレーターの先生は一緒じゃないのか。
七穂 ちょっとやめて。
炯介 二人でいちゃいちゃしてたじゃないか。
 いちゃいちゃ?
七穂 あっち行ってなさいよ。(怜に)してませんから、そんな……。
炯介 いちゃいちゃ。
七穂 だから、してないってば。
炯介 いいじゃないか、お似合いなんだから。
 そういえば、さっきなんかいい雰囲気だった。
七穂 (怜に)違います。そんなんじゃないですから。
炯介 昼間からちらちら目を合わせてたし。
 彼、あなたのこと見てた。
炯介 ほら。
七穂 よして。何もないですから。(炯介に)何しに来たのよ。
炯介 全然足りないから焼きそばも食べようと思ったんだよ。悪いか。
七穂 お金ないんだから我慢すれば。
炯介 カップ焼きそば買うくらいの金はある。
七穂 借金だって返さなきゃいけないでしょ。
炯介 (訂正して)奨学金。借金じゃなくて、奨学金。奨学金の返済。
七穂 返さなきゃいけない奨学金なんてないから。そういうのは教育ローンっていうの。借金。奨学金じゃなくて、借金。仕事も見つからないのに、これから返していけるわけ? 炯介、バイトだってろくに続かないじゃない。焼きそばなんか食べてる場合じゃないでしょ。
炯介 (言い返せなくて悔しくて、怜に)こいつはこういう女なんですよ。
七穂 こういうって何よ。
炯介 こちらの素敵な大人の女性とは大違いってこと。ぶーぶー文句垂れてばっかりのヒステリー女が。
七穂 ……(苛立ちを押さえて)わたし、部屋で食べます。(炯介に)戻って来ないでよね。
炯介 誰があんなカプセルホテルみたいな部屋。

七穂、ラーメンを持って廊下を上手側の通路に消える。

炯介 あー、せいせいした。(改めて怜に)どうも。いい夜ですね。
 えぇ、まぁ。
炯介 (お腹をさすって)こんな夜はお腹空いちゃいますよね。
 (よく分からないまま)えぇ。
炯介 ちょっと伺ってもいいですか? 今日の夕飯って何を召し上がりました?
 え? あの、チーズフォンデュを。
炯介 (食欲をそそられて)チーズフォンデュ! 天然酵母パンか何かを漬けちゃったりして(漬けて食べる仕草をしながら)。
 (うなずいて)根菜なんかも。それからポークソーセージ。あとはトマトとスモークサーモンのサラダ。
炯介 (思い描きながら繰り返す)根菜、ポークソーセージ、トマトとスモークサーモンのサラダ。あぁうまそう。
 デザートに軽井沢プリン。
炯介 プリン! とどめ刺されちゃったな。贅沢しましたね。
 そうでもないですけど。
炯介 ぼくが夕飯に何を食べたか、ご存知ですか。
 いえ。
炯介 ここのカップラーメンです。
 あら。
炯介 色々手違いがありまして。
 それで焼きそばも食べようとしてるの?
炯介 ええ、まぁ。
 それは、ちょっと……。
炯介 何です?
 かわいそう。
炯介 よしてください。惨めな気持ちになっちゃうじゃないですか。
 (思いついて)あの、ちょっと、ちょっと待っててください。
炯介 え?
 いいから、ちょっとだけ待ってて。

怜、急いで部屋に戻る。



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