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義足づくりは人間関係をつくること。 義肢装具士・臼井二美男さんの哲学。

東京2020パラリンピックまであと1年。選手たちとともに大会に臨む臼井二美男さんは義肢装具士になって35年になる。これまで担当したのは1000人以上。義足だけではなく、義足ユーザーを中心とした陸上チーム「スタートラインTOKYO」も作り、毎週練習を続けている。ここからパラリンピアンが何人も巣立った。手掛ける義足から、再生する障がい者の姿を語ってもらった。

ハローワークの訓練校で見つけた義肢装具士の道

本当に偶然だったんです。

20代後半まで僕はフリーターでフラフラする生活を送っていました。結婚することになってさすがに定職につかなければ、とハローワークに行きました。その帰り道、職業訓練校に寄ったら、いろんな職業訓練コースの案内が貼ってあるなかに、義肢科を見つけました。

その瞬間、小学生の時の担任教諭を思い出したんです。そういえばあの先生は義足をつけていたなあ、と。それで義足のことは何も知らなかったのですが職場見学を始めたところ、鉄道弘済会で採用されることになったんです。そこから僕の義肢装具士の人生が始まりました。

63歳になりましたが、35年経ったいまも義足を作っています。担当しているスポーツ義足は全体の5%。残りの95%は日常生活用の義肢装具づくりです。最近は後継者も増やさないといけないので若手の育成も僕にとって重要な仕事です。

義足でグラウンドに立つ選手がかっこいい

義足をつけたままもう一度走るよろこびを。そんな思いから始めた障がい者向けのスポーツクラブ「スタートラインTOKYO」が、設立からもう30年になります。

選手が、ただグラウンドに立っているだけなのに、すごくかっこいいと感じる瞬間があるんですよ。後光が差したように輝いて見える。たぶん本人は気づいてないと思うんですけどね。この選手が2年前に初めて僕のところに来たときは、まさかこんな颯爽とした立ち姿をするなんて想像もできなかった。それは本人の努力と僕の支援の結晶みたいな感じがします。

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手足を失った人の多くは、あまりの絶望から「こんな身体になるくらいなら死んだ方がましだ」と思ってしまう。実際に病室のベランダや屋上から飛び降りようとしてしまう人もいるくらいです。

だけど義足の訓練やスポーツで、壊れた心が徐々に回復していく。年齢関係なくやりがいを見つけ、今までできなかったことに熱中している。そんな人を増やしたいと思って取り組んでいる活動です。

昨年から始めた義足の女の子たちによるファッションショーも同じです。スポーツとは違うなにかで輝きたいと思っている人のために、表現できる場をつくりたいと思って企画しました。義足をつけている人の多くはスポーツが苦手な人のほうが多いし、人前で義足を見せたくないと思ってしまう。でもショーでは、義足アスリートのような「むき出しのかっこよさ」が表現できた。義足じゃなかったらできない経験ですよね。

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笑顔で颯爽とステージに立っている姿を見ると感無量です。脚を失って絶望のどん底にいるような暗い表情だったのに、ここまで明るく、人生を楽しめるようになったんだなと感動します。

走れなかった54歳の女性が、聖火ランナーに応募

最近とくにすごいなと思うのが、福岡市に住んでいる54歳の女性。彼女は20代前半のときに病気で右足を失いました。それから30年以上経ち、僕が出ていたテレビ番組を見て「義足で走ってみたい」と思って去年(2018年)連絡をくれました。

スポーツ用の義足を貸し出してあげたところ、スタートラインTOKYOの練習会に参加してくれて、30mくらい小走りができるようになったんです。いまでは福岡にあるスポーツセンターで自主練習をして、その様子を動画で送ってくれることもあります。「スタートラインFUKUOKAって名乗ってもいいですか?」というLINEがきて。思いがけず福岡に支部ができました(笑)。会員はまだ、彼女ひとりなんですけどね。

そんな彼女が、「東京オリンピックの聖火ランナーに応募した」というんです。障害者が走るのは1人200m。いま一生懸命練習に取り組んでいます。ここまでの行動力がある人は珍しいですが、そんな夢をもつようになったとは驚きました。

そして「おしゃれな柄のソケット(切断した足と接合する部分のパーツ)を作りたい」という彼女のために、息子さんがオリジナルの花柄をデザインしたというのです。お母さんの義足についてあまり考えたことがなかったそうなのですが、お母さんがもう一度走るための義足を作ろうとわざわざ東京に通っていることを知り、興味が湧いたそうなんです。それから彼女の友だちの息子が、義足で走っている姿の写真を撮りたいと、スタートラインTOKYOの練習会に来てくれたんです。ひとつのアクションをきっかけに、いろんな人が義足に関わってくれることがうれしいです。

障がい者への理解は、高齢者への理解にも繋がる

健常者でも歳を取ると視力や筋力が低下するので、障がい者スポーツは高齢者スポーツに近くなるんじゃないかと思います。障がい者スポーツを知ることで、高齢者を理解したりサポートをしたりするきっかけにもなる可能性がある。

小学校で義足体験会を開いたり、障がい者スポーツを教えに行ったりすることもあるのですが、子どもと話をしていると気づくことも多いです。子どもって初めて目にする義足を恐いと思ってしまうみたいなんです。ところが1回でも触ったり、義足を使う人と話すだけで、義足や義足ユーザーへの肯定的なイメージがずっと残るんです。そういう変化を見ていると、子どもっておもしろいなあと思います。

こういう活動は、高齢者に対する理解や支援に必ず繋がると信じています。自分のおじいちゃん・おばあちゃんも障がい者に近いということに気づいて優しくなれたり。義足を通じて、思いやりの連鎖が広がるといいなと思って活動しています。

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つい約束をして、やることを増やしてしまう

担当患者数は500人を超えますが、全員に自分の連絡先を教えています。患者さんからはしょっちゅう相談の電話やメールをもらいます。最近はLINEとFacebookメッセンジャーも加わりました。LINEでは義足の開発メンバー、選手、ファッションショー、スタートラインTOKYOなどそれぞれグループLINEがあります。

もうてんやわんやですけど、おかげでボケなくていいですよ(笑)。プライベートな休みですか。ほとんどないですね。1年で 3日くらいでしょうか。なぜそうしているのか…?ひと言でいえば「約束」です。患者さんとの約束。選手との約束。

義足でも毎日を快適に過ごしてもらいたい。選手にはいい記録を出してもらいたいと思っているので、どうしてもプラスアルファになることを自分から提案せずにはいられないんです。「こういう最新技術がありますよ」と提案すると、患者さんや選手が「いいですね。ぜひお願いします」となって約束が生まれてしまう。その約束を破ったら患者さんや選手は困るでしょう。だから約束は守らないと。

そりゃ疲れますよ。最近wowowに加入して、夜に映画を観るようになったから余計寝る時間がなくなりました。それも含め、全部自分のせいなんです(笑)

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AI搭載の最新義足がすごい

実は義足をつけて歩くときって、コツがいるのでかなりの訓練が必要なんですよ。下り坂では、膝がカクンと折れて転倒してしまう事故が起きやすくなります。

25年ほど前に、膝の動きを制御するコンピューターが義足に取り入れられました。その後どんどんテクノロジー化が進んでいます。

最新の義足は、脚の振り加減をコンピューターが検知して、一歩ずつ歩く速さに合わせて膝の油圧が変わるんです。 膝の中には、加速度計とジャイロセンサーが入っていて足の位置が細かくわかるようになっています。これにより突然膝がカクンと折れて転倒しないようにブレーキがかかるんです。そして、生身の足により近い動きを実現できます。

さらにAI機能がついて、よりその精度が上がっています。安全性能も充実・強化され、バッテリーやモーターが小さく、より使いやすく、見た目の違和感も少なくなってきています。

どんなにテクノロジーが進んでも「人の手」がかかるわけ

義足を作る過程においても、テクノロジー化が進んでいます。高性能なスキャナとPC、3Dプリンタなどを導入。大学の研究機関とも協力して開発に取り組んでいます。まだ実験段階ですが、手作業でやっていたことをコンピューターを使って短時間でできるようなりました。ところが、5000万円もする3Dプリンタで作っても、最後は必ず人の手がかかるんですよ。

なぜなら、相手は人間だから。

患者さんの脚をスキャンして正確に作ったはずなのに、実際に脚に装着してみたら「きつい」という。何回も手作業を繰り返してやっとOKが出る。最新の機械を使えば簡単に作れるというものでもない、それが義足なんです。

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入院したばかりの患者さんは、脚の切り口のかたちが刻々と変わります。まず、脚を切るとむくむので、リハビリをしながら元の大きさに戻していきます。同じ太さでも、筋肉の硬さや張りには個人差があります。だから、形を正しくスキャンしただけではぴったり合うかどうかわからないんですよ。

さらに、好みにも個人差があります。キツめが好きな人もいれば、ゆるいのを好む人もいる。接触しているだけで「痛い」と表現する人もいれば、「モゾモゾする」とか「モヨモヨする」と不思議な表現をする人もいます(笑)。

このあたりの感覚を理解するのに苦労しますが、患者さんと会話を重ねていくうちに、だんだんわかってくるんですよね。だからマンツーマンでの粘り強いやりとりが不可欠なんです。

そうしてようやく完成してからも終わりではないです。使っているうちにきつくなったりゆるくなったり。たとえば患者が筋トレをして足が太くなったら、ソケットと擦れて痛くなってしまうことも。だから完成後も、患者との密なコミュニケーションが必要です。

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義足づくりの難しさは人間関係の難しさ

若いころは、仕事から逃げたくなるようなこともたくさん経験しました。難しい患者さんを担当したときは何回やり直してもダメ出しされたり、「こんな義足なんか使えねえ!」と、目の前で作った義足を投げつけられたりしたこともあります。

だからといってやる気をなくすと絶対に相手に伝わります。そしてさらにどツボにハマり、関係が悪化する。

だけど、患者さんがそういう行動をとってしまう理由もわかるんです。脚を失くし、職も失って、人から嫌なことをいわれたりする。疑心暗鬼になるから、人に厳しくなったり、要求が高くなったりします。そういうの、あんまり責められないんですよね。事故や障がいのせいでそうなってしまったのかなと思うと、この人のために、なんとかいい義足を作ってあげたいという気持ちになります。

そう思いながら取り組むときちんと相手にも伝わり、徐々に協力的になってくれて、いい関係に変わっていくんです。自分の未熟さと熱意の両方を受け入れてくれる。

だから義肢装具士に一番必要なのは「最後まであきらめない熱意」だと思っています。器用だけど手を抜く人より、むしろ不器用だけど熱心な人のほうが長い目で見れば義肢装具士には向いていると思います。だから僕はこの仕事を続けているのかもしれません。

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1955年群馬県生まれ。鉄道弘済会義肢装具士サポートセンター 義肢装具研究室長・義肢装具士。大学中退後、8年間のフリーター生活を経て28歳で財団法人鉄道弘済会・東京身体障害者福祉センターに就職。以後、義肢装具士として義足製作に取り組む。89年、通常の義足に加え、スポーツ義足の製作も開始。91年、切断障害者の陸上クラブ「ヘルス・エンジェルス」を創設(現・スタートラインTOKYO)、代表者として切断障害者に義足を装着してのスポーツを指導。2000年のシドニーから2016年のリオまで5大会連続でパラリンピックの日本代表選手のメカニックとして同行している。2016年『転んでも、大丈夫: ぼくが義足を作る理由』(ポプラ社)を上梓。

取材・文:山下 久猛 撮影:川しま ゆうこ 編集:川崎 絵美 

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