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メディアとしてのインター ネット (『経済産業ジャーナル』 2001 March, no.359、2001年3月)

新聞、テレビ、インターネット

 インターネットは、その原点であるARPANETの時代からコミュニケーションと情報共有のために利用されてきた。特に、1991年に仕様が公開されたウェブ(WWW)は情報共有を目的に設計されたものであり、情報を広く提供するには極めて適している。実際に、新聞社、雑誌社、テレビ局といった既存メディア企業のほとんどは情報提供用のウェブサイトを立ち上げている。

 では、ウェブは既存のメディアと比較してどのような特質を持っているのだろうか。表1はメディアとしての特性を比較表にしたものである。「一覧性」とは、メディアが伝える情報内容を一通りざっと目を通せるかどうかである。この点でウェブは、新聞や雑誌に劣っているが、その他の点では他のメディアより優れているか同等である。インターネット利用者の増加によって、どれだけ多くの人に情報を伝えられるかというリーチも新聞や雑誌並になりつつあるし、携帯電話や通信機能をもったPDAの普及によって携帯性も向上しつつある。速報性はテレビ並か、それ以上であり、情報量は他のメディアを圧倒している。98年9月、下院本会議で公開が決議された直後、クリントン大統領を追うケネス・スター独立検査官の調査報告書がウェブ上で公開されたが、インターネット以外では400ページの情報を一挙に世界中に伝達することは無理だっただろう。さらにウェブは、情報を受け取る側から発信側へのフィードバックができる双方向性や、好きなときに欲しい情報を入手できるというオン・デマンド性を備え、テキスト、音声、静止画、動画を扱うことができる。

 ただ現時点で、多くのインターネット利用者はテレビ並の動画を楽しむことはできない。言うまでもなく、それはラストワンマイルの回線の容量が十分でないからである。しかし、これはCATVのケーブルを利用してインターネットに高速アクセスするケーブルモデムや、通常の電話線で高速アクセスを可能とするADSL、あるいはさらに大容量の光ファイバーをラストワンマイルに利用するFTTHの普及によって解決される問題であり、インターネットの本質的な問題ではない。
 また、ウェブは基本的にプル型のメディア(利用者が意志を持って選択的に情報を入手するタイプのメディア)であるが、電子メールを利用したメールマガジンやインターネット放送(ウェブ・キャスティング)のようなプッシュ型のメディアとしても利用できる。

 つまり、一覧性にやや欠けるという点を除けば、インターネットは既存のメディアより優れた特性を持っているということになる。

無料の方が儲かるビジネス

 インターネット上の情報提供サービスは、利用者から料金を徴収しているものとそうでないものがある。例えば、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)紙は当初、インターネットを利用して無料でニュースを提供していたが、96年4月に有料化に踏み切った。無料だった時には最高65万人以上の読者がいたのだが、有料化した途端に読者数は激減した。96年秋の読者数は約5万人である。それでも97年春には10万人を超え、98年末には25万人、2000年10月には50万人に達している。

 90年代半ばの米国では、マイクロペイメント(ネット上の少額決済)の仕組みが普及すれば、多くの情報は有料で提供されるようになるだろうという説が有力であった。つまり、新聞記事一つが10セントとか、エッセイが一編50セント、ニュースレターが30ドルといったように価格付けされて売られるようになると考えられていた。しかし、実際、読者から購読料を徴収できている情報提供サービスは極めて限られている。特に新聞、雑誌系のサイトはほとんど無料であり、先に紹介したWSJ紙のWSJインタラクティブは極めて希な有料サイトの事例なのである。

 例えば、96年創刊のウェブ・マガジン「スレート」は、98年3月に有料化(年間購読料は20ドル弱)されたものの、99年2月にはまた無料に戻ってしまった。スレートを提供するマイクロソフトが無料の方が儲かると判断したからだと言われている。購読料を無料にした方が収入が多くなるのは、広告収入があるからである。広告メディアとしての価値は、そのメディアのリーチ(新聞の場合は購読者数、テレビの場合は視聴者数)によって決まる。したがって、有料化によってスレートの読者が減少すれば、広告収入も減少する。2、3万人から購読料を徴収するより、無料化によって増加する読者数を数百万人にした方が収入は増加するのである。

 WSJインタラクティブと同様に企業金融関連ニュースを提供しているザストリート・ドットコムもまた、2000年1月に無料化を発表している。年間約100ドルを支払っていた有料購読者が約10万人もいたにもかかわらず無料化に踏み切った理由は、無料サービスを行っている競合サイトとの競争に勝つためである。

広告メディアとしての存在

 かくして米国のインターネット広告市場は急速に拡大している。インターネット・アドバタイジング・ビューロー(IAB)の発表によれば、96年に約3億ドルであった米国のインターネット広告市場は、97年に10億ドル弱、98年に約20億ドル、99年には46億ドルに達している。

 ただ2000年末にIABが発表した2000年第3四半期の実績推計値は、19億8700万ドルと第2四半期の21億2400万ドルより6.5パーセント減少しており、これまでのような倍々の伸びは期待できないかもしれない。この背景にはネットバブルの崩壊があると考えてよいだろう。ウェブ・マージャー社の調査によれば、2000年一年間でサイトの閉鎖に追い込まれたドットコム企業は210社以上にのぼり、このうち約6割は第4四半期に閉鎖されている。また、転職・再就職支援を専業とするCGCによれば、2000年一年間に解雇されたドットコム企業の従業員の累計は41,515人に達しており、このうち36,000人以上は2000年下半期にレイオフされている。これではドットコム企業の広告支出が伸び悩むのも無理はない。

 とは言え、インターネット広告市場は着実に伸びている。IAB発表の四半期毎の実績推計値を加算すると2000年の1月から9月までの累計は61億ドルに達しており、2000年一年間では80億ドルから90億ドルに達することは間違いない。これは米国のテレビ広告市場の2割、雑誌広告市場の7割に相当する規模であり、2001年には雑誌広告を抜いて、米国の全広告市場の5パーセント程度を占める可能性が高い。

 未来を予測することは難しいが、インターネット広告は、これから徐々にその成長スピードは下がるものの、他のメディアに比べれば相対的に高い成長をつづけ、数年でラジオ広告を抜き、テレビ広告や新聞広告と並ぶ巨大広告メディアとなるのではないだろうか。

メディア・リテラシー

 メディアとしてのインターネットの最大の特徴は、誰もが極めて安いコストで世界中に情報を発信できるという点である。もちろん、個人でウェブを立ち上げても、膨大な情報の海に飲み込まれて誰からも注目されないという可能性は高い。しかし、これほどまで容易に個人が作成したコンテンツを世界に発信できるメディアは、インターネット以前には存在しなかった。誰でも情報を世界に発信できることは、ある面では賞賛されるべきことなのだが、ある面では困った問題を引き起こしている。

 それは情報の質の問題である。新聞、雑誌、テレビ、ラジオといった既存メディアでは、組織によって情報の内容がチェックされている。もちろん誤報や虚報がまったくないわけではないが、新聞であれば、記者によって書かれた記事は必ずデスクに回される。デスクは、事実を客観的にかつ正確に伝えるものか、公序良俗に反していないか、個人のプライバシーを侵害していないかなどの観点から記事をチェックする。

 もちろん、インターネット上でも既存メディア企業によって提供されているサイトは、一定の倫理を守り、情報の質を維持している。しかし、誰もが容易に情報発信できるサイバージャーナリズムの世界では、報道の質が維持できなくなるのではないかという懸念がある。

 99年に起きた「東芝クレーマー事件」を思い出していただければ分かりやすいかもしれない。福岡のある会社員が購入したビデオ機器のノイズ発生問題に端を発し、東芝側の対応ぶりを録音したものをインターネットで公開した事件は、ネット上の口コミによって全国的なニュースとなり、既存マスメディアを巻き込む騒動に発展した。事の真偽は別にして、インターネットというメディアが事実の報道というジャーナリズムに大きな影響力を持っていることを示した事件だったと言えるだろう。

 米国においても、あるニュースグループに、大手アパレルメーカーのトミー・ヒルファイガーに対する事実無根の誹謗中傷が流され、これが既存メディアで大きく取り上げられ、同社の信頼を著しく傷つけるという事件が起きている。
 個人による情報発信でなくとも、より多くの読者を引き付けるために、よりセンセーショナルな内容や事実無根のゴシップの報道に走ってしまう企業が出てくるかもしれない。

 こうした問題に直面すると、メディアとのつき合い方がいかに重要かがわかる。インターネットが重要なメディアとなる二一世紀は、メディアが伝える情報をどのように読み解くのか、メディアを通してどのように情報を表現するのかというメディア・リテラシーがすべての人に求められる時代になるのだろう。

既存メディアの枠組みを超えて

 すでにインターネット上で無数のサイトが情報提供サービスを行ってはいるが、その形態は進化の過程にある。インターネットが進化するネットワークなので、それを利用するサービスもまた進化していくのは当然かもしれない。

 新聞社のサイトはどこかしら新聞的に構築されており、雑誌社のサイトは雑誌のように編集されている。ラジオ局やテレビ局はストリーミング技術(音声・映像コンテンツを受信しながらリアルタイムで再生する技術)を使ったコンテンツ配信に熱心である。多くの情報提供サイトは、インターネットの利用を既存メディアの枠組みの中で考えているように見える。
 もちろん、既存メディアの様式を超える取り組みがまったくないわけではない。記事に関連する情報へのリンクや、掲示板の設置による読者とのリアルタイムでの交流が行われているし、既に、コンテンツとコマースの一体化、コンテンツと広告の融合が進みつつある。また、利用者一人ひとりの関心や趣味、嗜好に合わせて情報を編集して、パーソナルな情報サイトを持つことも可能になっている。また、局から家庭までの回線の広帯域化によって、オンデマンドの動画配信が一般的になると考えられているが、デジタル放送とのシームレスな接続も可能になっていくだろう。残念ながら、メディアとしてのインターネットがどのように発展していくかを予言することはできない。ただ、すべての既存メディアを吸収し、その枠組みを超えたメディアとして進化していくことだけは間違いない。

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