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第11話「仮設住宅メンタルヘルスケア最前線!!②」

 さぁさぁやってまいりました尾っぽがないと書きまして尾無(おなし)でございます!!

 最近「note見てます!」、「FacebookとかInstagramのストーリー見てます!」って声をいただき、なんか嬉しくなっています← おかげで今週末は予定が満載だったのでお休みをしようと思っていたのですが、その声に後押しされ、へべれけですが、執筆していこうと思います(しかも「ちょっと贅沢なビール」でお馴染みのEBISUでご機嫌してます)。

 きっと伊佐坂先生もこんな気持ちだったのかな、なんて想像してにやけています。

…はい、どうでも良い話をしてしましましたが、仮設住宅でメンタルヘルスケアをどのようにしていたの?!にお答えできるよう、実践を踏まえ書き連ねていこうと思います!!

※個人が特定されないよう、性別や年齢、職業等を一部変えて書いております。

●10年越しの寛解


 東日本大震災から2年目の夏。仮設住宅を周る非常勤看護師さんから気になる申し送りがありました。

 「私が周っていた仮設住宅で、50代の男性が自宅にいました。奥さんも一緒にいらして、その旦那さんのことを相談されました。発災直後にハイテンションになり、全然寝ないで動き回ったと思ったら、急に電池が切れたように動けなくなっちゃって、やる気が出ない、動けないって言って家に引きこもっていて、もう1年以上が過ぎるので心配で…という話をしていました。尾無さん、訪問してくれない?」

 はい、この時点でみなさんならどのようにアセスメントしますか?
 ハイテンションからの引きこもり…。前回のnoteを見ている方は、「ん?!何か捻りがあるに違いない。」なんて思われていますよね。笑

 「あら〜大変ですねそれは。了解しました、任せてください(また出ました、根拠のない生田斗真ばりの笑顔)。」

 (この時、精神科のドクターと1年は訪問をしまくっていたので、ちょっと関わり方に自信を持った風になっていましたが、これまでとちょっと違う症状っぽくて内心ドギマギしていました。。。

 そして訪問をしてみると…
 50代男性「あ〜ど〜も〜、、、ああああぁぁ。あなたが保健師さんですかぁ。。。。わざわざありがとうございますぅ、、、」

 激まったり。もうそれは、たれパンダ並です。

 尾無「先日訪問した看護師から心配なお話を伺いまして訪問しました。最近の生活や気になることを教えてください。

 50代男性「もうね、体がだるくてだるくて仕方ないんですよ。やる気も出ない。もともと音楽が好きで聴いていたけど、それも聞く気が起きないし、トイレに行くのもお風呂に入るのも億劫で。テレビを見るのも、新聞を見るのも疲れてしまいますね。だって、郵便が来るのでさえ、なんか課題が与えられたような気になって、取りに行くのも読むのも嫌になって知っていて…これが1年以上続いているんです…」

 尾無「そうでしたか…それはお辛かったですね…(いや、もうこれ、典型的なうつ病やん。治療したほうがいいレベルだ。)

 妻「もともとはこんな性格じゃないんですよ。テンション高めで、バリバリ仕事をするタイプで。黙っているタイプではないんです。本を読みながら音楽も聞くし、早起きして仕事をしたり、遅くまで仕事をしたり、それでも疲れたって言うことなくテンション高くいられる人だったんです。」

 尾無「あらら。かなり変わられたんですね。。。でもお話を伺うに、病気の可能性が高いように思います。でも、私は保健師でして、診断をできるわけではないので、後日、支援に入ってくださっているとても素敵な精神科のドクターと訪問させていただいてもよろしいですか?」←成長した尾無。自分で決めつけず、確認する姿勢、素晴らしい!!!笑

 後日、精神科のドクターに対応状況を話し、同行訪問することに。

 尾無「こんにちはー。素敵なドクターと参りましたー。」
 素敵なドクター「どーも。〇〇さん。尾無さんから話は聞いています。カクカクシカジカだったんですね。大変でしたね。ところで、以前、同じようなエピソード、つまり、何かストレスが強くかかった時に周りとトラブルを起こしたとか、その後、今みたいにやる気が出なかったことなんていうのはありませんでしたか?

 尾無(なんだよ、なんだよその質問!!これまでにはなかったやつやん!!尾無の辞書に全くなくて白紙ページのやつやん!!)

 50代男性「あー、言われてみれば大学生の時に、自分では何か悪いことをしたという覚えはないのに注意されたり、喧嘩をふっかけられたりしましたねぇぇ。多分その後かな、うつ病って診断されて治療したの。」

 尾無(!!そうか、最初に既往歴を聞くべきだった!!しかし、注意されたり喧嘩ふっかけられたのと、うつ病は関係ないでしょ?!

 素敵なドクター「あー、そうでしたか。これまでにそういったご経験は何回かありますか?」

 50代男性「2回ですね。大学生と起業したての時。」

 素敵なドクター「なるほど。であれば、〇〇さんは躁鬱病かもしれません。紹介状をお書きしますので、是非受診されてください。私からもお電話はしておきます、ね、尾無さん。

尾無(!!!!!!!!!!!!)

 素敵なドクター「きっと〇〇さんは、日常的に少し躁ぎみな方なんだと思います。あ、これ悪いことではなく、少しハイな方が仕事ができるんですよ。寝る時間も少なくて済むし、バリバリなんでも同時進行でできちゃう。でも、ストレスがかかった瞬間にその躁状態が一気に上がっちゃう。そうすると、結構強気になったり、覚えていなかったりしちゃうんですよね。その後、脳の破壊が起きて、一気に鬱に転じちゃう。そのストレスが大きければ大きいほど、脳の破壊が大きく、うつも長引くって言われているんですよね。

 むむむ。当たり前だけどすごい。聞く内容からアセスメント、わかりやすい説明までexcellent。で、これから〇〇さんの治療は開始しました。と、同時に

 素敵なドクター「どれくらいうつが続くかわかりませんが、尾無さんが訪問してくれますので、ご安心を。ね、尾無さん♪」

 「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉおおおおおぉぉおおい、ドクター、俺は何をするんだよぉぉおおおぉおぉおぉおぉおおおお(江頭風)」

 で、これから彼のご自宅に7年間訪問し続けます(嘘みたいな本当の話)。
 1ヶ月に1回の時もあれば、2ヶ月に一回にしたり、しながら。これを読まれている看護職の人は「え、そんなことできんの?!」とか「いやいや関わりすぎでしょ、目的は?!」とか色々思われると思います。

 でも、素敵なドクターが「ね、尾無さん♪」にこめてくれた思いがありました。それは、グレーな状況・どうにもならない状況から逃げずに関わり続ける力をつけてほしい、保健師さんも「つなぐ」だけではなく、「寄り添う」だけではなく、沢山対象者のために試行錯誤して成長してほしいという想いが込められていました。要は、意識的に学ぶ姿勢で、学ばせてほしいという思いで対象者の方に関わりまくれ!ということです。

 この7年間で本当に多くのことを学ばせていただきました。

 訪問して2年すぎた頃。
 50代男性「ごめんね、よくならなくて。こんなに尾無君が来てくれているのに。治って元気な姿を見せたいんだけどさ。

 訪問して3年がすぎた頃。
 50代男性の奥様「中々改善しなくて本当に辛くなります。でも、彼とまた楽しく音楽を聞いたり、本を読んだり、旅行に行ったりしたいんです。今の彼も彼。でもね、元気な彼も彼なんですよ。
 この言葉も後押しになり、山田町で精神疾患を抱える当事者の家族会を立ち上げることにしました。この話はまた今度…

 訪問して4年がすぎた頃
 50代男性「尾無くん、大学院入学おめでとう!子供も生まれるんだ!お酒大好きだったけど、今は飲む気にもなれないんだ。元気になれるかわからないけど、元気になったら乾杯しようよ!

 訪問して5年がすぎた頃
 50代男性「実はね、運動でもしてみたいなって思えてきたんだ。久しぶりの気持ちだよ。太ってきちゃったし。尾無君健康運動指導士とったんだよね?!大学生ボランティアと運動器具も贈呈したって聞いたし、保健センター行ってみたいな!」(これから1年間は一緒に運動もしました。バイクを漕いだり、一緒に歩いたり、ストレッチをしたり。)

 訪問して6年がすぎた頃
 50代男性の奥様「尾無さん、本当にごめんなさい。実は旦那が、自殺未遂をして。今入院しています。お薬が変わったってお伝えしたじゃないですか?抗うつ薬に。尾無さんから躁鬱病の人は躁転するから飲まないほうが良いって教わっていたのに。主治医に言うべきでした…

 ひどい雨の日も風の日も、雪の日も訪問し続けました。
 看護師さんや助産師さん方のような劇的な回復や感動の場面に日々立ち会う訳ではありません。非常に地味ではありますが、本人やそのご家族が過ごす日常と共に過ごしながら、「辛い、苦しい、でもどうにもならない」を共有し続け、時に小さい変化や有難い言葉を抱きしめ、自分の失敗(今回であれば主治医に思い切って意見する)を猛省し、いろんな勉強をしてトライする。

 3人4脚で歩んできた7年間。
 私が大学教員になることをきっかけに終了しました。
結局、試行錯誤をしまくりましたが、自殺未遂もあり、状態は悪化。結局、寛解を見届けることなく、お二人と別れることに。

 ここで独り言。

 私は変人なので、「寄り添う」ってことが大事って言う人とか、「ありがとう」って仕事で言われるのあまり好きじゃないんです。

 看護業界でよく使われる寄り添う、って言うのは好転させるための知識と技術と熱意をもってしてもどうにもならない時に行うからこそ効果を発揮するんです。また、私たちは対人援助職です。「ありがとう」って言われて喜んでいるようではダメだと思うんです。だって人は援助してもらったらありがとうって言うように教育されてるから。そうじゃない。大事なのでは、その人がその人らしく、納得して生きている状況に導くこと。

 でもダメだった。無力感を感じながらお別れをしました。
 それはもう、悔しかったです。自分の不甲斐なさにはらわた煮え繰り返り、訪問車の中で叫んだことを思い出します。






 それから3年がすぎ、大学で仕事をしている時に一本の電話が。






 「あれ、尾無君?」

 「あ、はい。どちら様ですか?」

 「〇〇だよ、覚えてる?そうそう、躁鬱病の僕だよ!あれからね、尾無くんと運動したでしょ。やっぱり運動が大事だと思って毎日散歩もしたし、今自転車ブームじゃない?!だから自転車も買っちゃって。毎日漕いでてさ。仕事も10年ぶりに再開して、数ヶ月前にはお薬も飲まなくていいって主治医に太鼓判されたんだ。尾無君、本当に頑張って訪問してくれたでしょ。妻が話せる場の家族会も作ってくれてさ。それなのに病気、良くなれくて。申し訳なかった。でも、尾無君も大学で頑張ってるの風の噂で聞こえてきていたし、子供も生まれて3人の親になったんでしょ?!負けてられないなって。元気になったら報告しようと思って、連絡したよ!





 研究室で飛び上がって喜びました。
 大人気なく。それはもう全力で。
 涙も出ました。
 関わった期間の映像が走馬灯のように。。。





 東日本大震災から10年以上が経過しました。
 私たちはあれから何を学び、何を準備してこれているでしょうか。
 また、あのような災害が起きた時、私たちは何ができるでしょうか。




 私は、こういった経験を次に伝え、もし、災害が起きたとき、直接的でなくても、こういったことを伝え、力になれたらと思いますし、これから、もっともっと勉強して、力をつけて備えます。

 10年間闘病された方から力をもらい、私も10年(大学教員4年目なので、とりあえず後7年ちょい)ハイパワーで頑張ります!!!!!!

 と、書いていたら、3本でお送りするところを1本で5000文字行っちゃいましたのでこの辺で!!!笑

次回第12話は、ちょっと皆さんメンタルヘルス飽きてきたと思うので、
大学院のお話でもしようかと思います。

それでは!!!


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