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「いっちょんわからん」は「カンガルー」で「I don't know.」だから「全然わかりません」が一番仲間外れのように浮いている。

『気に入ってないのかよ、今の自分』
朋絵「…気に入ってる。すごく好き」
『だったらなに悩んでんだよ鬱陶しい』
『どうせ思春期丸出しで本当の自分はこんなん
じゃない、とか思ってるんだろ?』
朋絵「そ、そうだけど?」
『ウザいわ』
朋絵「ひどー!」
『前がどうだろうと、今のその姿が古賀だよ。
きっかけはどうあれ古賀はなろうと思って、
努力してそうなったんだろ?』
「…う、うん」

第5話「ありったけの嘘を君に」

といふことでこないだ珍しく半額棚で「綺麗に
捨ててある黄色い護美捨て場」からとある本を
拾って来たのですが。

そろそろここを「読む分」でもしっかりと
把握しておきたいな、と思いまして。

一応街中のシネコンに行って涙活がてら
観に行った最後の映画が「青ブタ」なので、
ここから復習しようか、と思った次第。

ま、一応「ジュブナイル」や「ヤングアダルト
(YA)」といった分類で分けられていた頃から
このサイズの文庫本を読んでいる世代としては、
この宣言をまずせざるを得ないんだけど。

ラノベ、といふ言い種は詰まるところ
「角川(系)の二束三文(サバゾッキかないしは
サバショタレ)」と同根のシロモノである、といふ
ニュアンスをそもそも内包した総称。

だから確かにこれはグループ会社化された
ところの電撃文庫ではあるけれど、括りとしては
「角川系の二束三文小説=角川らノベ=ラノベ」
と定義付けられるわけで。

 とりわけその中でも「青ブタ」シリーズは
KADOKAWA傘下の電撃系らしく「とらドラ!」など
にも観られる一種の「新文芸化+厨二病的センス」 が
詰まった会話劇(の丁々発止)を楽しむ部分が
色濃く出ている「まさしく角川に包括ホールディング
されている作品」って印象が強いような。


一応以前掲げた「角川らノベ=ラノベ」の
四大要素は次の4つに大別されるかと。

1.新文芸化
2.厨二病的センス
3.TRPGの残滓を感じるいくつもの考察
4.がっかりの尺度

まあここを詳細に論じても一本書けそうですが、
(だからそこを急ぎ過ぎて本来持ち合わせていた
眉村卓的ジュブナイルのエッセンスをKADOKAWAは
喪ってしまった、と結論付けるものもあるのですが
それはまた別件で起こすようなお話)

あくまで主題は「青ブタ」シリーズにまつわる
よしなしごと。「プチデビル」編を中心に頻出
されている言い廻しと語句にフォーカスしつつ、
「プチデビル」編の入口を開いてみようかと。
(まあ一応アニメ6話部分にほぼ入らない、といふ
あたりで努力はしてみます)





やはり「プチデビル」編の主人公古賀朋絵は
しっかりと◆東山奈央[INTENTION]によって
仕上げられていましたね(方言指導は大分弁
使いの双葉理央(ふたば りお)◆種﨑敦美
[俳協]指導のもと、だったようですが)。

博多弁(ベーシックで一番聞き取り易い福岡の
スタンダードなのは主に「クッキングパパ」で
理解済み)の古賀(今回も名字はIC(インター
チェンジ)なりSA(サービスエリア)の地名
つながりなんだっけ。古賀市は博多大吉先生の
故郷、ですわな。意外なところでは以前にも
書きましたが、金萬や大丸饅頭、とうまん・
都まんじゅう・井筒屋まんじゅう、ロンドン焼
などが該当する、外側はカステラ生地主体で、
表面に焼印が捺されている「唐饅頭製造機」
発祥の地が福岡県古賀市になります)。

当時のアナリーゼとしてはこんなとっかかりで
覚えていたものでした。

ラプラスの悪魔◆東山奈央[INTENTION]繋がり
といい、担当声優がED歌う形式といい、何かに
似ているな、と感じたのはやはり東山奈央が
作中内アイドルとして飛躍的に成長を遂げた
『神のみぞ知るセカイ』でした。


理央「ラプラスの悪魔って聞いたことない?」
『生憎、悪魔の知り合いは居ないな』
理央「この世界に存在するあらゆる物質は同じ
物理法則の支配下に平等である」
理央「その法則を数式化して計算してしまえば
未来の状況が導き出せる」
『まるでピンと来ない』
「つまり、この世界に存在する全ての原子の
位置と運動量が分かれば…」
理央「未来の状況を計算によって導き出せる
ってことだよ」
『全ての原子って凄い数だろ…』
理央「膨大なデータを数式で計算するとなれば、
それ相応の時間が必要となる。一秒後の未来を
計算するのに一秒以上掛かったんじゃ意味がない」
『だよな』
理央「だからそんな途方もない真似が出来る
空想上の存在を物理学者のラプラスさんが考え出した」
理央「その悪魔には一瞬でこの世界に存在する
全ての原子の位置と運動量を把握する力があって、
瞬時に未来を計算出来る」
『僕が今見ているのも、そうやって計算した未来だと?』
理央「そう」
『悪いが僕はそんな怪しげな悪魔じゃないぞ』
理央「だったら本物のラプラスの悪魔を探すんだね」

第4話「ブタ野郎には明日がない」

『神のみ』を角川的ジュブナイル的にこじらせて
『WORKING!!』的に制作陣がこじらせてると
(今回の制作Clover Worksは元々A-1 pictures
高円寺スタジオで10月に分社化したような
アニプレックスの子会社)おそらくこんなんなる
んだろうな、と。

(しっかりと深く「プチデビル」編のラストまで
過不足なくしっかり語られているネタバレはある
から、未見の人は注意)

とりわけアニメを観て思っていたのは出てくる
福岡ことばの要素の説明として過不足ないな、
と思ったのが2つ。
御当番回における「いっちょんわからん」と、
11話で出て来たボロの一種で出て来た挿話での
「さんのーがーはい」です。

まずは標題にも組み込んだのでほぼ出て来た
時期は大河ドラマ「いだてん」で熊本弁としても
出て来た「いっちょんわからん」から。

『一応聞くけど…古賀に心当たりはないのか?』
朋絵「いっちょんわからん」
『なんだって?』
朋絵「ぜ、全然分かんない」
『つかえねー』
朋絵「それ先輩じゃん!」

第4話「ブタ野郎には明日がない」
「プチデビル」小説版だとp57あたり

この初出を観ても標準語への矯正、ってホント
本来持っている意味が遠くなるなあ、と。
ニュアンスとしては「ひとつもよくわからない」
のニュアンスを残している「いっちょんわからん」
の方が理解しやすく、現地であの動物は何だ?
と指さしたけど、「わからない」ってニュアンスで
使われた「カンガルー」が動物名として定着した
カンガルーや英語の「I don't know.」の方が
親和性が高く、なんか妙にお高く止まった表現を
する分「全然わかりません」が一番仲間外れの
ように浮いているなあ、とも感じられるわけで。

そして古賀朋絵が操る博多弁の代名詞の一つ
「いっちょんわからん」が「いだてん」の主人公の
一人金栗四三●中村勘九郎からちゃんと最終回にも
出てくるあたり(熊本弁も「いっちょんわからん」
=全然わかりません(=カンガルー=I don't know.)
を使うので)、これがなるほど令和の世の中なんだな、
とこれもまた一つ腑に落ちたあたりだったわけです)。

がこの当時感じた「いっちょんわからん」評、
といふことで。ここを皮切りに上手く「いっちょん
わからん」が応用されて、そのたびに「ばりむかー」
するあたりが古賀朋絵の魅力の一つ。

一応東山奈央の「ここ!」と挙げているシーンで
使われる「いっちょんわからん」の用法も絶品
なんですが、そこはアニメなり小説版で。

第11話「かえでクエスト」
脚本●横谷昌宏
絵コンテ・演出●堀口和樹

朋絵「ビールのタンク」
『はいよ』
朋絵「いくよ…さん、のー、がー、はい!」
『は?』
朋絵「先輩、ちゃんと持ってよ…!」
『いや、古賀が変な呪文を唱えたから…
さんのーがなんたら』
朋絵「嘘ー!どうしよ!こないだナナちゃんと
掃除当番の時、言っちゃったよー!」
『お前…時々ボロが出てるからもうナナちゃん
も分かってるって』
『じゃあ行くぞ…さんのーがーはい』
朋絵「先輩、マジムカつく…!」
『しかしまあ…古賀と喋ってると元気出るなー』
朋絵「棒読みで言うな!先輩バリムカぁぁぁ!」

第11話「かえでクエスト」

昔あれはケンミンSHOWのドラマで博多華丸・大吉が
しっかりやってたネタだったはずなのに「あっぴ」
並みに知らずに使ってしまう、との福岡県民の独白も
多かったようですけど。

まあこのあたりは福岡の教練がFBSの最近の
CIロゴに現れてる「ヤー」ともども独特の教え
られ方をされて来たからそうならざるを得ない、
とはされているようですが。

といふことで少し長くなりましたが、「いっちょん
わからん」は「カンガルー」で「I don't know.」
だから「全然わかりません」が一番仲間外れのように
浮いている、でした。