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ったく、「これだからバボちゃんは」。バボちゃんに対しての処方箋で最も大事なのは、「デジタルに弾かないこと」である。「デジタルに弾いて、なかったもの扱い」されたがるモノの中に大体解決の糸口があり、ここに気づかないで放置すると大概は「ワンみずほ」になる。

まあコトバの中でここから読んでも大丈夫なように
初見で引っかかる単語としては、これから説明する
バボちゃんの語釈よりも「ワンみずほ」だけは既に
こちらで説明しているので、そっちに引っかかった
のであれば、まずこちらをお読み下さい。

貴女(あなた)の日常に「メガネ、メガネ」が
降りかかってくるのは、もしかすると認知する
ことをすっ飛ばした「本来の片付けるリスク」を
すっ飛ばして「見てくれの片付け」に走って
しまうからかもしれない。~日頃の行いを非常識
な「ワンみずほ」にしない為の転ばぬ杖。|torov|note

問題なければ、話を進めていきます。

ではタイトルに沿って。

「デジタルに弾かないこと」

バボちゃんに対しての処方箋で最も大事なのは、
「デジタルに弾かないこと」である。

「デジタルに弾いて、なかったもの扱い」されたがる
モノの中に大体解決の糸口がある、といえば
まずは対義語を見つけ出すところから始めると。

そこから追求していくと、「デジタルに弾く」の
対義語は「アナログ的な部分や視点から丹念に
目視する」になる。

 これをドモホルンリンクルくらい丹念に分析ないし
目視しないと「茶のしずく」みたいな副作用や裁判に
化けてしまう、という可能性を排除することが出来ない。

その点で俎上にあげようと思うのはこれになると。

アニソンも「デジタル」と「グローバル」の波に
乗ったところが勝利する|高達俊之(codate)|note

症状的には「ワンみずほ」の一歩手前なミスリード。でなんか死語の「ジャパニメーション」って
コトバに酔いしれ費(つか)い果たして没落していった人達にすごく似ている。

 特に危険なデータ分析のミスリードはこの3つの単語を
掛け合わせている危険性がまあ非常に危ういと。

「デジタル」
「グローバル」
勝利する

ま、「ビッグウエーブの予感」なんて字句は高橋克実に
言わせるまでもなく「根拠のないムダな自信」だけで
信頼には値しないものと相場が決まっているものですが。


音楽ナタリーのデータ出しに問題はないけど、それよりは

 いま少しこんまい形で分析すると、音楽ナタリーの元に
上がっているデータは多方向に広げられるなかなか参考
にはなるデータが揃っている感じだけれども。

今年海外でもっとも再生された日本の楽曲は?
Spotifyが2022年振り返るランキング発表 - 音楽ナタリー

藤井風、YOASOBI、そして久石譲を中心としたジブリ
音楽(今年もっとも再生された70年代の楽曲に入る
荒井由実のベスト10に入る曲の過半が「魔女宅」使用曲)、
あとはことBGM版権で使われているのがイマジン出身の
作曲家による楽曲(田中公平、宮崎慎二、浜口史郎)な
あたりは理解できるのですが。

藤井風とTeriyaki Boyzの2つ以外は、すべてアニメ関連楽曲ですね。

が乱暴すぎる視点だなと。

リアルサウンドの分析の方が、より腑に落ちる。

リアルサウンドの分析の方が、より腑に落ちる。

 藤井風のワールドワイドなブレイク、そしてYOASOBIの
88rising主催フェスでの熱狂は、J-POPを代表するアーティストが
アジア圏の文化的な連帯と共に世界に存在感を広げて
いる2020年代の新しい状況を象徴する出来事と
言えるのではないだろうか。

Spotify、2022年年間ランキング分析 
J-POP/グローバルポップミュージックシーンに生まれる新たな広がり
文=柴那典

と当時にアニメのビッグコンテンツに乗っかった楽曲
『進撃』『呪術』『鬼滅』で9位のビッケブランカが
『ブラッククローバー』の主題歌くらいか。

「デジタルに弾いて、なかったもの扱い」されてる部分の厭らしさも手伝って、「著しく鈍くて乱暴なバボちゃん」

 こうしたビッグコンテンツのアニメに乗っかっているだけ
なのでそうした作品にハマらなかった私みたいな層には
正直ピンと来ない事実、ってのもあって「デジタルに
弾いて、なかったもの扱い」されてる部分の厭らしさも
手伝って「著しく鈍くて乱暴なバボちゃん」だな、と。

 ま、「ばかぼんぼん」をより視覚的に、かつ「置いて
いきますよ感」を感じさせる厭らしさとコンテンツを
ゆるキャラ的に想起すると、「いやこれはあのバボちゃん
みたいだな」に一致すると解釈できたことに納得と安堵は
あるのですが。


真っ当なプロテスト(抵抗)の手段はまず「反芻」。

「置いていきますよ感」だけで置いて行かれた方の視点、
として真っ当なプロテストの手段はまず「反芻」って
作業になる。
 その視点で行くと「面白くなければテレビじゃない」と
「置いていきますよ感」のスピードで人の記憶力の範疇から
消えていった醜悪な固まりはなるほど松平なバレーボールの
喧伝で二転三転した中心にいた「バボちゃん」そのもので、
なるほど「ばかぼんぼん」の略称形に相応しい。
「これだからバボちゃんは」と活用も利きそう。

(というのもその犠牲とカウンターになったのが
『小公女セーラ』だったのを知っているので。
『小公女セーラ』がオンエアされた1985年は、
スポンサーに就いたハウスの社長が御巣鷹に墜落
してノンスポ扱いで放送される回があったり、
終盤松平な「バボちゃん」廻りのワールドカップ
に時間を取られてセーラが「マッチ売りの少女」
しなきゃいけないところまで追い詰められてかつ
一ヶ月ほどオンエアがなかったりしたことも
実際あったので)

「これだからバボちゃんは」の視点で眺めると、インター
ナショナルは「際物」であり、「グローバル」は単純に
農協旅行で「広げただけの風呂敷」でしかない。

 それで「勝利する」といったジャンプイズムの残りカス
だけでブチ上げることの虚しさに気付けていない時点で、
症状的には「ワンみずほ」の一歩手前な「バボちゃん」
にしか見えない。
 それはまたなんか死語の「ジャパニメーション」って
コトバに酔いしれ費(つか)い果たして没落して
った人達にすごく似ている。

確かに巨大サービスコンテンツの充実は
それまでの「世帯消費」から「個人消費」にシフト
する上で、の入口になるようなインフラと窓口、
として充実してきた、まではいいけれど

また各種アプリや巨大サービスコンテンツの充実は
それまでの「世帯消費」から「個人消費」にシフト
する上で、の入口になるようなインフラと窓口として
ようやく揃ってきた。

ですがそこからの広がりと敷衍効果はほぼ乏しく、
出口戦略として他の世代や無縁な層にも記憶に留めて
貰う為のフックにも乏しさが見られているし、ある意味
「少女民俗学」的にニッチな一部の世代だけで費消されて
跡形に何も残らない可能性が高い類の「デジタル」や
「広げただけの風呂敷」になる可能性の方がこのまま
行くと高いな、と。

いわゆるもう少し前後の世界の解釈では「なかったもの」
にされることの高いサービスにもなりやすそう、とも
見える危険性があるから「ワンみずほ」の一歩手前、
って診断にもなるのかなと。

このまま進むと出口的にはただ虚しい「運命(さだめ)ぢゃ」になりそうで

 虚しく世界中から非難されながら勝利して簒奪した
成果は只の汚点として記録に残されているアレから
大体20年は経っているのですけど、こうも記憶の端にも
上らないって処理を時代がしているのは、しょせんその
行為自体がオロカブでしかなかった、ってことでもあるの
でしょうけど。ただ虚しいのは確かなので。


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