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ウエストランドの漫才じゃあないけれど「退け目」は感じるので。夏記事に関わるタグ付けはせずに基本姿勢はスルーとします。「#炭酸が好き」には参加して、たまにはさっぽろ夏まつりで昼からアサヒのブースを堪能する、も小さな目標でよろしいんではないかと。

たまにはここいらで昼更新。

#炭酸が好き

はぼちぼち参加するネタの収集と算段をつけようか、って気分に
ようやくなりかけていますが。

まあウエストランドの漫才じゃあないけれど「退け目」は
感じるくらいうだりから抜けた北海道の夏は丁度いい季節になってる。

 なので班を押したように暑い暑いと時候の挨拶をする必要も殊更
ないわけで。
 従って同調圧力が強めでその強引さにも「退け目」を矢張
感じる夏記事に関わるタグ付けはせずに基本姿勢はスルー、
とする考えは揺らがないわけで。

 なのでそちらの連続投稿は最後まで読ませるものであれば
別かもしれませんが、基本的にはお相手しませんスルーしますので、
と宣言はしておこうかと。

 で、しぱしスポンサータグ案件は関わっていなかったけど、
こちらには参加してみるかと。

「#炭酸が好き」の人気タグ記事一覧|note ――つくる、つながる、とどける。

公式の手引きとしてはこれで。

あなたの炭酸のエピソードについて教えてください!お題企画「#炭酸が好き」で募集します。|note公式

 まあ基礎知識的にはタレントパワーにスポンサーフィーを
持ってかれて、飲料自体のプライドと信頼がイマイチ欠けてる生き残ってしまったベンダー、って印象が「十六茶一本槍」や「ウッズWONDA」や「琢磨汁(H2O)」の頃から
拭えない、ってところはあるのですが。


 それでも迷走アサヒの頃からは少し脱却して思い入れが
強めなカルピスもニッカもアサヒ飲料系列である、といふ
視点からなら少しは書けるかなあと。

『ペリーヌ物語』をざっくりと語ってはみるか。|torov

『ペリーヌ物語』はカルピス劇場の頃の名作劇場でした。
カルピスの思い入れが強すぎて反作用が出ているのと同時に
一度目の大コケで会社が傾いた、と諸々云われるのが『フランダースの犬』なのは結構知られている話ですよね。


本作の企画・制作には一社提供スポンサーであったカルピスの影響力が大きい。

元々ズイヨー映像(本作制作中に日本アニメーションとして独立)では『ハイジ』の後番組として、「シートン動物記」のアニメ化作品が企画されていた。

しかし、当時のカルピス食品工業の社長であった土倉冨士雄氏が「フランダースの犬」のアニメ化を強く推薦したため、「シートン動物記」の企画は取り下げられ、本作の制作に至ったのだ《>>>1》《>>>2》。

制作中においては土倉氏は全話脚本のチェックを行っている。

それ自体はそれまでの提供作品でも行ってきたことなのだが、本作に関しては特に最終回への強いこだわりを見せている。

最終回では脚本のみならず絵コンテまでもチェックしており、劇伴には「アベマリア」を使ってもらうためにかなりの自費負担も行っている。

そして、ネロとパトラッシュの最期についても直接的に「死」を描くのではなく、「昇天」という形をとるように求めたのも土倉氏である。

《>>>1 その後、「シートン動物記」の企画は別の放送枠で採用され、1977年にANB系列で『シートン動物記 くまの子ジャッキー』として放送された。
監督とキャラデザは本作と同じであり、他にも多くのメインスタッフが共通している。》

《>>>2 「シートン動物記」の企画があったというのは黒田(昌郎)監督の談によるもの。
一方、「ハイジが生まれ日 テレビアニメの金字塔を築いた人々」の著者ちばかおり氏によると、「ウィリアム・テル」の企画が最終的に挙がっていたという。》

で、正月から大晦日まで53回やった『ペリーヌ物語』の
後業績不振でカルピスは降板するので。

名劇シリーズではその前身となる枠「カルピスまんが劇場」の頃よりカルピス食品工業を一社提供スポンサーとして作品を制作していた。

しかし、カルピスの業績不振により二社提供制となった前作『アン』を最後に降板し、その時の共同スポンサーであった花王石鹸が本作の一社提供スポンサーとなったのだ。

その後、ハウス食品工業による一社提供制が始まるまで、他社が参入しつつも花王石鹸がメインのスポンサーであり続けた。

(とここまではかつて記していたメモ書きを頼りに。なので
典拠元なしで記してみましたが、典拠元がわかる方がいましたらコメント欄までどうかよしなに)


 で、ニッカ方面の話をしないと小さな目標に繋がらないな。

 昔「竹鶴やる夫」を観たのもあってニッカに対する熱が
一時期あったのですが、マルエフの黒生になるアサヒ黒生
を体験したのも、またそこにあった竹鶴に関する史料の展示が
あったこともあって関心を持ったのが、さっぽろ夏まつりの
アサヒビールのブースにあった、って経験が実はあるんですよね。

まあ今年もブラックニッカ樽詰めハイボールとかあるから
期間までに一度行くのもいいじゃないか、で進めようかな、
と考えてる次第。


夏競馬と相武紗季と「マッサン」ノート。|torov

摂津酒造跡のプレートは当時堺トラムに乗って現地まで行ってきました。

その後顕彰史跡として石碑プレートになったのね。

「マッサン」観るくらいなら「竹鶴やる夫」読んだ方がずっといい。史料性も高いし。通史としても優秀。|torov

米華堂があった頃は「マッサン」のシュークリームを舘ブランシェで売っている頃でした。
 後に小樽のモンブランが食べたくて再訪していますが。

「小樽のモンブラン」にまつわる由緒と謎をつらつらとまた紐解いてみる。〜午後からの小樽ソロ旅行で、半ば感傷的に。|torov

米華堂のおばちゃんとニッカの話いっぱいして、再訪しようと調べてたら跡形もろとも無くなってたのもまた思い出の一つですが。

まあいつもの修羅場は抜けましたので、いよいよこれから。2023年4月のみちしるべ。色々あってグッドニュースもバッドニュースもそして「書かさる押ささる食べらさる」も。|torov

「#炭酸が好き」には参加して、たまにはさっぽろ夏まつりで
昼からアサヒのブースを堪能する、も小さな目標でよろしいんでは
ないかと、といふことでたまにはお送りしてみました。
あと一つか二つは記事書いて、昼から呑みに行くのも一興、とは思いつつ。





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#さっぽろ夏まつり
#カルピス
#ニッカ
#米華堂
#退け目
#沼落ちnote
#摂津酒造跡のプレート

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