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そういえば。パラパラと「写経ノート」を見ていたら。~久世光彦さんがおおたか靜流さんについて触れていた。

そういえば。パラパラと「写経ノート」を見ていたら
久世さんの本に「おおたか靜流」の項目がありました。
おそらくは中央公論社で「ひと恋しくて 余白の多い
交友録」から。

映画『シコふんじゃった。』でも、この人の「林檎の
木の下で」がエンディングに使われていた。柄本明
なんかは、ライヴをしょっちゅう聞きにいくそうだし、
知っている人は知っているのだ。

久世光彦(てるひこ)「ひと恋しくて 余白の多い
交友録」(中央公論社)p110

まあでも紐帯が強いてあったのは久世さんあたり迄
なのか。なるほどヤフーまでは載るけど「THE TIME,」で
一切扱われることもないのはそういう「思われもなさ」が
豚局に炸裂しただけか。

 本当に向う岸の人なのかもしれない。どこまでも高く、
澄んだ空から降ってくる。悲しい天の声のようである。
夢の中で見る、もう一つの夢のようである。ちょっと大げさ
だが、この人の歌には、生きているということ、儚(はかな)
さみたいなものが静かに流れているのだ。

久世光彦(てるひこ)「ひと恋しくて 余白の多い
交友録」(中央公論社)p110-111

9/5死去。享年69。改めて御冥福をお祈り致します。

 で、更にパラパラと「写経ノート」をめくっていると、
今度はいかりや長介が久世光彦(てるひこ)氏との会話で
有名になる「流行語」の端緒について書いていたりするの
で、そこから引いてみる。

 1980(昭和55)年春頃。
 その頃のTBSの局側のプロデューサーは後に小説家
(山本周五郎賞作家)になる久世光彦(くぜてるひこ)がたま
たま担当だった。
 人気ドラマ「ムー一族」「寺内貫太郎一家」「時間ですよ」
などを担当してきた天才演出家だった。喜劇を、コメディを
覚えたいってんで、腰掛け担当になったんだが、嫌味な野郎で、
私のことを「師匠、師匠」と呼んで困らせた。天才演出家の
くせに。
 その久世が3ロビ会議(いかりや長介とディレクターと
作家を交えて行う2日間設けられていた会議(水曜と木曜に
設けられ、後に木曜だけになる))で面白いことをいいはじめた。

「笑っちゃったよ、うちのガキがさあ」
「なんだい」
「『カーラース なぜなくの カラスの勝手でしょ』って、
こういうんで、笑っちゃったよ」
 私も思わず笑ってしまった。誰が考えたか知らないが、
そんな歌が流行っている、というのだ。
 久世さんの許しを得て、これを志村(けん)に歌わせた。
とぼけた声を作って歌った。大当たりだった。志村の人気は
揺るぎなくなった。

いかりや長介「だめだこりゃ」(新潮社版)p152-153


まあぱらぱら「写経ノート」をめくっていると、久世さん
繋がりでこう連環することもあるわけで。
そういえば。パラパラと「写経ノート」を見ていたらでした。

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