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「素直」に欠落したものを自分なりに拾いながら。しっくりくるコトバとスタイルを求めて

確かに決め打ちやどんなテーマでのアイデアを
メモから起こして記事にすることは多いのです
が、タグの決め打ちからスタートすることは稀
なので、今回はここをトバ口にするか。

一応ここのテーマソングは悩んだ末に
この曲へと至る。槇原敬之の「素直」。

シングルもいいけど、この時の福原美穂が
やはり合っていたので。

ではメインタグは「#noteでよかったこと」か。

もう最近では、図書館に行かなくなり、本も
以前よりは買わなくなりました。

で始まるエッセイがnoteにあったけど、残念
ながらnoteが書斎に、にはなり得ないので、
そこの趣は当然異なる。

ただ状況的に図書館に行けなくなり、本も
物理的な理由で近くに本屋が無くなったので
そういう買い方をすることではなくなっただけ。

といふ表現が一番しっくりくるかな。
 まだバス一本圏内ならば(逆に街中の本屋
が痩せ病みかけてるので、JRといった三下
高上がり機関に乗るのは引くようになった
昨今ですが)まだまだ本屋は健在だし、他方
ではヨドバシって手段もあるので、電子書籍
に行くことだけは現時点ではないかな、と
いふ感じ。

 まあ家の中にライブラリとダンジョンは
構築出来てはいるので、「黄色い護美捨て場」
も活用しつつ物理的な本を積み重ねては、
少しづつ整頓し目録を付けていくフェイズに
入って来たのかなと。

むしろこのスタイルでアウトプット出来る
場所があり、そこでそこそこ観ても貰えるし、
時に反応もある、といった状況が作れている。
これこそが私にとって「#noteでよかったこと」
になりうることなのかなと。

あとはフェイバリットシングス(何かいい
こと)な部分で言うと小林信彦がかつて欠落
していると嘆いていた箇所がnoteだとクリア
できていることもまた「#noteでよかったこと」
になるのかな。

ー氷室冴子さんとも話したんだけど、音の
強さってのは小説に欠落したものだね。
つくづく痛感したけど、どうしょうもない。

小林信彦「セプテンバー・ソングのように 1946‐1989」(弓立社)
(1989.09)p39

まあ「無冠の文芸四天王」は会う機会が
少なくても、結構交流があったり、同じ雑誌に
載っていたりして、かなり「当たらずも遠か
らず」な距離感にいつもいた印象は常に受ける
のだけど。

「素直」に欠落したものを自分なりに拾いながら。
〜しっくりくるコトバとスタイルを求めて、
でした。



#noteでよかったこと
#晩秋に聴くと沁みる曲
#思い出の曲

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