ってことで、ネットを駆使した部分から、今度は過去史料を
紐解くモードになるのかなと。
ここはまあネット情報をベースに山田航の最近の連載を
かすめてみよう。なぜこの銅像が札幌の歴史で重要なのか、
あまり繋げて調べられてはいないこと。まあ詳しくパソコン
の過去データで調べるのは後にして。|torov|note
銅像に関連して、主に上野幌の話してたところの続きを
今度は過去スレのレストアって形で並べてみようかと。
「マイナーな地名スレ」で上野幌の話になったのは、12スレ
こと「【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌
【その十弐】 」の頃に集中していたかと。
その中で取り出しておくべき情報としてはまず宇都宮勤に関して
としますか。宇都宮勤が宇都宮仙太郎翁の長男だったことは
ここで判明していると。
で、改めて目を通した中では北1西1にあった「王子サーモン」
の建物自体が昭和24年に「北海道ホルスタイン会館」として
建設されたものだった、って記述のあるあたりでしょうか。
また宇都宮牧場の変遷は、北1条西15丁目→菊水→上野幌、
と移転した変遷、となるようで。
札幌地名考の件の記述はp68に確かにあるが、うろな部分の走り
書きな部分が強くこれは誤りと観て然るべきかと。
南の沢の自助園農場に関する記述もちゃんと補足がスレにある。
看板画像ではその頃提示されてた雪印のブリックアイスクリーム
の画像があったので粗いですが、使って観ました。
あとはGHQのいかにもな失敗と、このときにもあまり学ぶこと
のなかった関西圏の先走りがつまらなく「雪印」をバラバラにする
「繰り返す過ち」の突端的なエピソードもあったらしく。
如何に関西人が後日の件で学ばなかったか、エステーのCM
プランナーに転職させたり、ただでさえ冷え切っていた就職
困難なところに拍車をかけるだけかけてクレーマー化を避けなか
った結果、必然的に関西経済圏がひとりでに没落していくのは
まさしく先人に学ぶことのない自業自得というべきで、アイス事業が
結果的に返還されなかったことを古(いにしえ)の道民は
決して忘れていないからな。
(なので、地アイスを剥ぎ取られた北海道において関西発の
アイスはセンタンなどの一部を除き、大変存在感が薄いです。
その後20年ほど九州アイスの攻勢にも晒されましたしね)
といふあたりを今回はひとまずレストアしてみました。
精読すれば、いろいろわかってくるものですねえ。
「マイナーな地名スレ」から紐解く幾つかのよしなしごと、
でした。