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っとに手こずらせてからに。まあここは作業も進んだのでこちらから。コメダでブラックモンブランのシロノワールを完食してきました。ホールで。写経ノートする作業も捗ったのでまだまだイケるな、と。

ってことでひとまずスキャン作業と写真の整頓はやった。
 まあひとまずはこれもトリミングしたので、まあこれでも
喰いながら作業してみますか。

イズヤパン名義で。

 まあすっかり取り込まれたイズヤパンに関しては少しだけ
書きましたが。

まあわずかにでも名跡が残っていること自体はいいなと。
(あとはそれを有効活用出来る知恵と工夫が責任者に存在
しうるかどうか、ですやね)


社名はイズヤパンからとかち帯広ヤマザキに

そして、何のスキャン作業と写真の整頓をしてたか、といえば
作業前に書いてあった文章は次のようになる。

まあ位相並べ替えでいくとコメダでブラックモンブランの
シロノワールを食べに行こうか、と思って参考資料並べた
のはここからか。前回のドニチカキップ行の時には正確に
出してはいたと。

トプロ版ウマ娘ことRTTTにカロリーを持っていかれるのは
計算済み。それまでにやっておくべき日曜日の過ごし方と
しては。〜鞘師ドラマとドニチカキップミニトリップと
ジェネリックぴーちゃん豆「カモ井のゆでピーナッツ
しょうゆ味」と。|torov|note

まあそもそも昔九州に行った頃から竹下製菓のアイスは
知ってて道の駅にちゃんと売ってて買って食べたこともある
し、一応遠目で薄い繫がりながらも基本的に雪印の混乱で
アイス事業くすねた企業が是正もしなかったから、北海道の
アイス事業は全道レベルのセイコーマートを除くと壊滅
している無法地帯(要するに地アイスは奇特なレベルで
スーパーになく、道の駅か専門店、ないしはレベルの高い
ソフトクリーム扱っているところに全く勝ててない)なのでね。

 だからこそそれ専門のレポート上げる人の記事も成り立つ
構図なのですが。

 まあフランチャイズコメダのソフトクリームは本部基準
だから北海道のソフトクリームの基準に達していないと
評価が辛めだったような。

むろんサガン鳥栖のスポンサー(現在は鎖骨部分、かな)
なのは履修済。

なのでそれらの刃毀(こぼ)れから「メガドンキ」に行くか
「一風堂」に行けば食えるくらいだったのがブラックモンブラン
との付き合い方だったわけですが。
(最近はどちらも行動範囲から遠くなってね)
 他方47都道府県進出達成したコメダだと食べられる範囲も
広がるわけで。

こないだ佐久間宣行ANN0聴いたあとそのままに朝から
ホール(ミニではない)を食べては来たのですが、
(まあコメダは完全フランチャイズ式だから、裁量で
店ごとに値段も前後する。街中行くよりは競争率も低く
更に20円安かったのも魅力の一つでバスの時間とも合わ
ない感じだったのでいそいそ歩いていったと)

でそろそろ写真の処理をしてないのもあるし、スキャン
案件もあるからなあ。ここでそれを施してくるわ。

って経緯で写真の処理もスキャン案件も施してきた。
なので新さっぽろの方も書けるけど、文章が纏まってはる
んでこちらをドンと先に書いたほうが素早くお出し出来る
かと。

まあジャケット映りはこんなもんですが。

それをかるがる実物が越えて来るのがコメダクオリティ。

この雄姿

まあ本のチェックする前に早く食べないとアイスが溶ける。
ソフトクリームの周りに散らされたザクザクのチョコが
非常にブラックモンブランの再現度高し、といふスイーツでした。

ブラックモンブラン実物(これで780)



なお、ゆっくり食べたいのであればアイスソフト部分は
ホイップクリームに変更可能。ノーマルならよく焼きを
頼むのも一手ではあるけどね。

まあドリンク頼まずモーニングは回避したので水のお代りも
出来にくそうな状況だったけど、ノート写経の作業はそれから
捗った(まあ午前九時開店のサツドラを待ちながら、って
タスクではあったのもある)。


オシム 終わりなき闘い (小学館文庫) をようやくノート写経
作業して残りの部分を消化。2018年の12月には読み終えて
いた本だったけど、ようやっと写経ノートに要点は遷し終える
ことが出来た。
 やはり気になったのはミシャが率いてた時代の浦和レッズを
オシムがすごく憂いていたこと。

「浦和はお手本になるべき素晴らしいクラブなのに…」以前から、
埼玉スタジアムの雰囲気を絶賛していたオシムは落胆とも失望
ともとれる表情を浮かべた。劇的にチームを向上させた浦和の
指揮官ミシャ・ペトロヴィッチ(現コンサドーレ札幌監督)は、
シュトゥルム・グラーツで監督オシムの下でコーチをしていた
いわば愛弟子であり、親近感も強い。

木村元彦「オシム 終わりなき闘い 」(小学館文庫,2018.06) p232

 この憂いを発生させたのが当時のこの事件である。

 まあこれで初の無観客試合を経験していたことが逆にある意味
その後に起こった御時世においての対策にいち早く対処できてた
のもある意味皮肉ではある。

 この空気を少なくとも徐々に払拭していったからこそ、
今の浦和レッズがあるのかなと。具体的にはやはり武藤雄樹と
ショルツなんですかね。

DFアレクサンダー・ショルツの順応ぶりはお見事。

まあ諸々の事情はあれど、ユンカーが名古屋に期限付き移籍
したのはこの順応性の違いにも一端があるかな、と。

 だからホーム枠内シュートゼロでもACLを制することが
出来る粘りと体裁は整えられたのかな、と思える次第。

ってことで無事に「ごちそーさまでした」と感謝しつつ。

ごちそーさまでした

コメダでブラックモンブランのシロノワールを完食して
きました。ホールで、でした。