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day9 年齢に縛られず、過去の自分と比べる

一、乳児は しっかり 肌を離すな
一、幼児は 肌を離せ 手を離すな
一、少年は 手を離せ 目を離すな
一、青年は 目を離せ 心を離すな

緒方 甫「子育て四訓」

手を離すなだの、目を離せ、だの、なんか子育て関連の論語みたいのあったな、と思い出して調べてみたら「子育て四訓」と言うそうです。

幼児期にこの言葉を知り、感銘を受けて、上手に子離れしていきたいと思ったことを覚えています。

息子は、とても幼いところがあって、発達には少しの凸凹があります(あくまで私の肌感覚)。できるところは驚くくらいできるのに、幼いところは残っていて、早生まれというのもあいまって、学年でくくるのは良くない気がして、幼少期から年齢や学年は度外視して、息子のみの成長を見るようにしていました。

ですが、息子が小学生になったときに、やはり小学生という重みに、私自身も侵されていたのか、もしくは私自身の問題で、私自身がしっかりしていなかったから、せめて息子だけでもという期待があったからか、いくつかの点において、息子にはまだ難しいことを求めてしまいました。
それは、例えば遅刻しないように自分で準備して出れるようにすることや、忘れ物をしないことなどです。

今思えば、なぜあそこまで先取りして自立を強要したのか分からないくらい、特に忘れ物に関しては厳しい親でした。
子育て四訓の示すところの、手を離すことを、年齢通りに実行していたのです。

息子が不登校になってから、様々あった理由の一つに、私の厳しさもあったと思い、私はいつか息子自ら手を離すまでは、サポートをしようと決めました。
ただ、全てやってあげるということではなく、「お願いしたことについては助ける」という約束をしました。
学校の準備ならば、もちろん主導は息子ですが、物が見つからないとか、時間がないとかの時は、お願いされれば一緒に準備します。これは、5年生の今でもです。

私が小1のときから、忘れ物に厳しかった理由は、一つは自分で自分の物を管理できるようになってほしかったからですが、もう一つには、例え忘れたとしても何とかなる(人に助けてもらえる)体験をしてほしかったというのもあります。
助けてもらった分、次は他の人を助ければいいと思っていました(この考えは、後に、小学校の先生は忘れ物をものすごく怒るのだと知り、改めました)。

そんなわけで、私は今ではすっかり甘い親なのですが、息子は確実に成長しているので、これでいいんだろうなと思っています。一度躓いた息子にとって、当たり前のことを当たり前にできることはすごいことだと思うので、息子が「宿題をするのは普通だよ」と言っても、「過去の自分ができなかったことをできているのだから、それはすごいことだし、成長したところなんだよ」と伝えています。

そんなことを繰り返すうちに、息子は自分のできることに目を向けて、「◯◯ができたのってすごくない?」と言ってくるようになりました。
周りと比較するのではなく、過去の自分と比較して今の自分を評価できる考え方は、一生使えるものなので、この調子で成長してくれーと願っています。

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