臥薪嘗胆


生麦事件 薩英戦争(1862年)

長州高杉晋作ら英国公使館焼き討ち(1862年12月)

長州藩関門海峡で外国船砲撃(1863年5月)


これらを今更ながら振り返ってみたい

過去から現在までの欧米の手口などを考慮すると

こう言う捉え方もできないだろうか?


薩長は裏でずっと外国と手を握っていた (ひょっとすると 今でも?)

そこで外国とお互いに了解した上で上記の茶番劇を演じていた

それを了承していたのは多分上層部だけで下々は全く知らない

そして

外国はそれをネタに幕府を脅し金を強奪する

薩長はそれをネタに幕府は弱腰だと批判する

正しくどうしょうもない腐ったWINWIN

殆どアルカイダとかISと全く同じ瓜二つ


その後の流れ

明治維新

廃仏毀釈

カラユキさんとその上がりで奴らからの兵器購入(この二つとも奴らの願ったり叶ったりで奴らはもう本当に大喜びバカ様様、幕府が健在だったらこうはいかない)

アジア侵略

太平洋戦争の上

日本植民地化

現在は

武士の腰抜け化と撫子の腰振り化と双方の奴隷化ほぼ完了

ジパング意外とチョロかったな♡

てな感じだろうか

超腹立つ







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