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映画『マルクスエンゲルス』感想 マルクスのこと何にも知らないけど情熱的な人だと雰囲気掴めた。

映画『マルクスエンゲルス』を鑑賞した。映画としての出来が良かったし、マルクスやエンゲルスを知るための勉強にもなったので学んだことをメモっておく(以下ネタばれあり。2021年1月10日現在が最終更新)

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この2時間弱の映画では、マルクスエンゲルスの思想の具体がどうこうというよりは、マルクスエンゲルスが実際に生きた時代背景を鮮やかに理解するのにまず良い映画と思う。産業革命の爆発力。工場生産型労働による格差拡大。1840年代の空気感。ブルジョワジーとプロレタリアートの断絶的な格差は着る洋服や行動圏の建物を見れば一目瞭然だし、この時代の“討論会の熱量”を肌身で体感できるのも貴重。歓声、拍手喝采に、野次。こういう土壌から粗野なマルクスは登場してきた。
そして出版物の影響力の大きさも。
肖像画の晩年感に誤解をさせられているが、二人の代表作『共産党宣言』は血気盛んな“20代”の頃に書かれた若々しい作品。限られた締切までの短期間(たった5週間)に突貫で書きあげねばならず、蝋燭の火をたよりに徹夜で読み合わせをする夜のシーン。瑞々しいエネルギーに溢れている。この著作がその後ふたりの名を歴史に残すことになるのか。

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向こう見ずでエネルギッシュなマルクスはあちこちで遠慮ないディベートを仕掛け、四方八方から嫌われ、批判を重ねる態度のせいで国外追放までされてしまう。年長者プルードンにも指摘される、「マルクス、非難の応酬をやめてくれ、傷つけ合うのはもうよそう」。しかしその正直さは、彼の重要な信念である事も伝わる。
そして、理想家であると同時に、マルクスは現実的な生活費に困窮し日銭に追われてもいる。じっくり腰を据えて論文執筆に没頭したい欲望があるが、新聞に明日の記事を売って日銭を稼がねばならない。この史実もとても重要だ。思想家が机上の空論だけしてるのでなく、実際に困窮し明日に光を求めているのである。乳飲み子を育てるのには金がかかる。まとまった金を手に入れるために本を書きたい、書かないといけないとマルクスは言う。世界を変える以前に、生活への切実さがにじみ出ている。
マルクスとエンゲルスは生活環境が真逆で、エンゲルスは父親が工場長のブルジョワジーで何不自由ない裕福な家庭で育つ。しかし逆に、そこで産業革命が生み落とした工事労働の現状の壮絶さを間近で見てきたからこそエンゲルスの思想には階層格差への課題認識が強く芽生えたように描かれていた。「金持ちの暇つぶし」と陰口を叩かれもするが、エンゲルスは労働者階級の女性に恋をする。それは平等性という信念のシンボルのように光り輝く。

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歴史的人物の事を語る時、その人物が残した“実績の数々”を思い出すのが自然で、その人物の妻や子、恋愛を思い浮かべる事はまれだが、歴史的人物たちも“ひとりの人”である。誰かを愛し、子を育てる。マルクスも情熱的に妻イェニーを愛していたし20代の若者らしく愛し合うシーンも描かれた。歴史的思想家なんて堅物なイメージしかないけれども映画を通じて彼らの人間味を知ることでマルクスの見方も変わってくる。映画を観る醍醐味だ。恋に情熱的で、金策に追われ、親友エンゲルスに仕送りしてもらい、熱くなると本人の前で悪口が止められない。人間味あふれる生きたマルクスを知ることができる。

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明け方。まだ陽は昇ってはおらず真っ暗だ。べらぼうに酔って、小汚い裏道で嘔吐しながらマルクスはエンゲルスに話しかける。今は話さないほうがいいよと諭すエンゲルスを手で制して。
「今日君と話したのが良い機会になり、確信した」と。
「これまで哲学者は解釈しかしてこなかった。世界を解釈しているにすぎなかった。しかしこれからは変革するべきだ。」
マルクスとエンゲルスは2歳違いで、まだふたりとも20代の名もなき若者だった。実際的な実践者にならなければならないと、出会った夜にマルクスはエンゲルスに宣言した。ここから物語ははじまる。はじまりの、青臭い瞬間を閉じ込めた卒業アルバムのような映画である。

(おわり)

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