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空は特定できない(日記13)

空を特定してみなさい、と偉そうに言ったところで、空は1つしかない……。【しょんぼり】


Twitterが無くなったら私たちはどこで何を叫ぶようになるんだろう。Twitterが無くなって、その代替も、またその代替も無くなったときは?(アナログに戻るだけ?)

承認欲求とか自己顕示欲とかの、「悪いわけではないけどなんでか心がモヤモヤするの」について彼氏と話していた。

私は大学4回生なのでこの時期は当然、就活やら教採やら大学院やらはたまた留年やら、進路の報告が溢れかえる時期で、それに嫌気がさす人のため息で心なしかスマホの画面は曇り空で……(バキバキに割れているだけ?あなたの心の表象)

他人のことはどうしたって他人なので、誰がどこ受かったとか誰が顔載せてるとか誰が成績を載せてるだとか、気にしたところで自分の人生に全く影響はしないことは分かっていても、際限なく心が曇ってしまうのは、どちらかというともう曇るこちら側の問題なのかもしれない。

《あなたのその自己評価と、わたしのあなたに対する他己評価🐙あるいはとある物事に対する評価基準が、著しくズレている》のでしょうね。

基準も容量【キャパシティ】も尺度も異なることなんて分かっているはずなのに、《自我と他我の境界が曖昧になっている》のでしょうね。


さっきテレビで、Aimerがリリイ・シュシュを聴いていたことを知って小さく驚いた。
小さな驚き。とってもちょうどいい。


これからそう遠くない将来に、私は今いる誰かと離れて新しい誰かといるようになってまた離れて、また誰かと出会ってまた離れて、を繰り返すことが少なくなっていく。それも大人になることの象徴の1つだと思う。


その作品が“愛”であることの証明は不確かなまま、京セラに運ばれてきたルーヴルの絵画を想う。