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ユーラシア大陸横断日記16 砂漠の道はブハラからヒヴァへ(ウズベキスタン)


ユーラシア大陸を西へ西へ、中国の上海からポルトガルのロカ岬まで。
陸路・海路でユーラシア大陸を横断した、ユーラシア大陸横断(2008)の記録です。

ウズベキスタンのサマルカンドから古都ブハラに移動。
ブハラは街並みに情緒があふれ、散歩が楽しい街です。
結構気に入り、しばらくいるつもりでしたが…

前回はこちらです ↓

行くか、残るか

ブハラは日干しレンガの古都の街並みが魅力的で、あちこちを歩いてまわった。
子どもが多くてよく写真を撮ってとせがまれたけれど、それもまた楽しかった。
ブハラほんとによいところ… !

ゆるゆる散歩して歩き、夕方宿に帰ると主人である女性から声をかけられた。

「あなた、このあとヒヴァに行くんでしょ?」

女性主人とは旅のことなんかをいろいろ話していたので、西に進んでいくということ、このあとはヒヴァに行ってみたいことも知っていて、

「今日泊まりに来てるタクシードライバーさん、明日ヒヴァに帰るそうなんだけど、行くなら安くで乗せてくれるかもしれないよ!」

と教えてくれた。

これはすごくラッキー。女性主人の話を聞くと、同じ宿に泊まっているフランス人カップルの2人の乗り合いでヒヴァまで行けるらしい。

当時、ブハラからヒヴァに行く乗り合いバスはなく、ヒヴァに行くにはタクシーを利用するしかなかった。

ブハラ~ヒヴァは距離でおよそ460km、車で6時間以上かかる道のりなので、タクシー代もかなり高くなるだろうな、とうっすら思っていた。

ブハラ市街にヒヴァ行きのタクシー乗り場はあるらしい(なんとかバザール?)のだけど、その場合やはり交渉が大変なのと、うまく他の乗客と乗り合いにできるか(人が集まらなかったら出発しない)もみえない。

なので、女性主人の提案はとてもありがたかった。

でもブハラにはついこの前に着いたばっかりだしもうちょっといたい…でもこんな機会はなかなかない…

迷いに迷ったけれど「西に行かねば」の気持ちが勝って、自分も乗せてもらうことにした。

ドライバーは50歳くらいのおっちゃん。
話してみると、おっちゃんはヒヴァで宿の経営もしているそうで、自分のところに泊まっていいよと言ってくれる。
泊まるところを探す手間も省けそうなので、ありがたくそうさせてもらうことにした。めちゃラッキー!

というわけで、急展開ながらフランス人カップルと一緒に翌朝ヒヴァへ出発することになった。

名残り惜しすぎるけれどさらばブハラ…!

ヒヴァ行きのタクシー

次の日、早めの朝食を済ませてタクシーに荷物を積み込む。

後ろの座席にカップル、助手席に自分が乗り込み、ここから西へ460km、ヒヴァへの道のりを進んでいく。

ブハラはまさに「オアシス都市」で、街をはずれるとあとは延々と砂漠が続く。
砂漠の中をアスファルトの道が1本突っ切っていて、行けども行けどもどこまでも砂漠、まわりを見ても地平線まで砂漠。ほんっとうに見渡す限りの砂漠の世界。

タクシーは快調にとばし、このまま順調にヒヴァへ、と思いきや、砂漠のど真ん中で問題が発生…
とにかくめっちゃお腹が痛い…気のせいだと思い込もうとしたけれど、ほんとにめちゃめちゃお腹が痛い…
おそらくだけど、ブハラの宿で最後に食べた朝食の中の何かにやられてしまった(サラダかな?)…

もちろんトイレもなにもないし、仮に砂漠のそのへんで、、となったとしても地平線まで丸見え状態。
言えない、、ということで、ヒヴァまでの残り4時間~5時間ほどを腹痛に耐えながら過ごしていくというヒヤヒヤの道のりとなってしまった。

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なんとか、なんとかと宿までと必死にこらえ続ける、後席のカップルは楽しく談笑し、こちらにも話しかけてきてくれたりするし、ドライバーのおっちゃんもいろいろと話をしてくれる。

平静を装って会話を続けるのもつらくなってきた…
言ってしまった方がいいだろうか…
いや、「それではそこの砂漠で」となったらそれもだいぶつらい…

とお腹の具合いも頭の中もいっぱいいっぱいとなり、いよいよ限界か、というころ車はようやくヒヴァに到着した。

幸い、ドライバーのおっちゃんの宿にすぐチェックインでき、すぐさまトイレに駆け込む。
自分にとっては結構大変な1日となってしまった。

ヒヴァでの日々

翌朝なんというかまだお腹の調子がよくない。
完全にお腹を壊してしまったようで、せっかくヒヴァにいながら出歩くこともできずベッドに横たわって苦しみながら過ごすことになってしまった。

手持ちの薬をいろいろ飲んでみたが一向によくならない。

水と食べるものだけ買いに出かけた以外あとはひたすら部屋にこもって回復を待つけど、全然良くならない…つらい。

翌日になっても治らず「病院に連れていってもらった方がいいだろか、けどまわり全部砂漠だったし病院とかあるんだろかどうしよう…」といよいよどうしたらいいかわからなくなってきたとき、ドライバー兼宿のおっちゃんが部屋にやって来て、

「これを飲むんだ」

と、いと怪しげな緑色のカプセルをくれた。
どうやら観光にも出かけずひたすら部屋にこもっているので状況を察してくれたらしい。ありがとうおっちゃん!

とはいっても何の薬かは定かではない。

見れば見るほど怪しい緑色のカプセル。謎すぎる…
飲むべきか、飲まないべきか、悩んだものの最終的には藁にもすがる思いで謎のカプセルをありがたくいただき、そのまま寝てしまった。

何時間ほど寝たのか、目を覚ましたらからだはずいぶんよくなっていた 笑!

あの怪しげなカプセルが効いたようで、さっきまでの苦しみ続けた時間が嘘のよう。

全快とはいかないまでもずいぶん元気になった。
そうなると「出かけよう!」という気持ちが一気に出てきて、カメラをもってようやくヒヴァの街歩き。元気があればなんでもできる。

2階にある自分の部屋から階段を下りたところで主人のおっちゃんに出会い、すっかり元気なようすに

「おお!大丈夫か?行っておいで」

と送り出してくれた。

ヒヴァはかつてのヒヴァ・ハン国の首都。世界史の授業でしか知らなかったホラズム地方。

ブハラやイランなどさまざまな国の干渉・支配を受けながら今にその姿を残す、歴史の要衝に気持ちが高まる。

重厚な城壁・城塞都市といったかんじで、ブハラとはまた違った趣がある。
これも美しい…!

今思えばもっと写真を撮っておけばよかったけれど、まだまだ病み上がりで、でも久しぶりに外に出たのが気持ちよくて、近所をゆっくり散歩した。

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体調を崩していた時間が長かったものだから、せっかくのイチャン・カラなのに、カルタ・ミナルにもマドラサにもモスクにも足を運んでおらず、写真が全然ないのが今となっては本当に残念…(また行きたい)

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こちらに続きます↓


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