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【死に至る2つの病】(その1)

       (新型コロナウイルス感染症・COVID-19)

  私は、医学部において科学的な視点で物事を見つめるということを学び、そして文学部で主観的な想いを客観的な言語・記号で表現するということを学びました。いわゆる理系でありながら文系でもある私が、その二つの学びをもとに、世の中に少しでも役立てばという願いを込めながら掌ほどのレポートを綴ることにいたしました。

世の中のコロナ騒ぎを見つめながら、タイトルにいたしました【死に至る2つの病】という言葉が私の前にすっと立ち現れました。

「死に至る病」は、デンマークの哲学者であり、思想家であるセーレン・キルケゴールが1849年に出版した哲学書の主タイトル名です。高校時代に読んだ時には何だかさっぱり分からずに、期末試験のために人名と書名を暗記して答案用紙に書いただけでした。
その後、大学の一般教養で哲学を学んだ時に少しだけ脳に刻まれたのが「死に至る病とは絶望のことである」という一文でした。キルケゴールは、死に至らない病が希望に繋がる事に対して死に至る病は絶望であると述べたわけです。また、『絶望』とは自己の喪失であるとも述べています。しかし、これまた何とも抽象的な文句ですよね。彼はキリスト教徒としての根底があるため、その先には神との繋がりを思考してゆきます。そういう意味では、神との接点の土台として『絶望』という意識を据えたのかもしれません。

ですが、私が今回お話したい最終的な意義は宗教的なことではなく、物事を客観的にとらえるという『洞察力』についてお話したいのです。

ただ、それを考えてみる一つの視点として今世界中に蔓延するコロナ(正式には『新型コロナウイルス感染症・COVID-19』と命名されていますが「コロナ」と略します)騒ぎを2つの死に至る病を土台にしてお話しいたします。

1:「死に至る病」を端的にとらえてみる。
⇒人間は「僕なんてダメな人間なんだ」「自分を捨ててしまいたい」「俺は惨めな奴だ」などと思いながら自分自身を見失い、神を忘れてしまって「自分こそは誰よりも優れているのだ」などと思いあがってしまったり、挙句の果てには「もう、自分なんてどうなったっていいや!」などと投げやりになってしまったりすることがあります。そんなところから「絶望」がはじまるというのです。そして、これこそが「死に至る病」であるとキルケゴールは言うのです。
 しかし、キルケゴールはこうした「絶望」を、より高度な自己意識へと自分自身を引き上げるチャンスの時だととらえたらよいのではないか、と考えたのです。つまり、現在置かれた「絶望」の淵をしっかりと見つめることにより、「あれか、これか」の二者択一の中でより良い生き方を選択してゆくということを示したのです。もちろん、今私の書いたことは最も直線的で手短な「死に至る病」の片鱗であり、哲学をしっかりと学んでいる方にとっては物足りなく異論もあることだろうと思います。しかし、世の中の説明があまりにも抽象的で難しすぎてほとんど頭に入ってこないことが多いので、簡単にまとめてみたわけです。

 さて、ではなぜ「コロナ」と「死に至る2つの病」ということを並べて思考してみたのかといえば、あまりにも現在の世の中が混沌として、絶望感を持つ人が多いと思えるからなのです。そして、絶望感はさらなる絶望感を生み出し、そのうち「なぜ絶望感を持っているのかもわからないのに、なんとなく絶望している」という、まるでお笑い劇場のようなことが蔓延し始めているように思えるからなのです。
 
 冷静に、客観的に世の中を見てみましょう。コロナに関する本質を一緒に考えてみてください。

2:「死に至る第1の病」 ― 科学的に見つめることを忘れる病 ―
①あなたはコロナの実態を分かっていますか?
(1)コロナはウイルスです。
大腸菌や赤痢菌、ペスト菌のような細菌と、コロナのようなウイルスとでは何が違うのですか?そして、その違いによってなにが起こり、どう対処したら良いのかを知ることが客観的思考であり、結果として世の中に蔓延する不必要な情報を切り捨ててスッキリすることが出来るのです。

⇒さて、まずは以下の図を参照してください。
2020年4月10日  ウイルス3

        (図はNewton別冊 細胞のしくみ より)

この表から客観的に考えられること、科学的な視点での考察をしてゆこうと思います。

(2)細菌とウイルスとの決定的な違い

★それは、細胞の構造を持つか否かということなのです。

生物は原則として細胞膜で覆われた一つの部屋をもち、それが生命の最小単位となっています。

「ここからここまでは僕の部屋だよ!」といって仕切ってしまう。するとその部屋のその内部には机があったり本棚があったり。もしかしたら可愛い子熊のぬいぐるみがあるかもしれません。そうしたものを全てひっくるめて「僕の部屋」と総称しますね。それが生命の最小単位としての「細胞」なのです。
 そうして考えてみると、「細菌」は細胞膜で覆われた生命の最小単位の構造を持ち合わせているのですが、「ウイルス」はその最小単位である「細胞膜」つまりは部屋が存在しないのです。

 細菌は生命体として自分自身で細胞分裂を行いながら増殖が可能なのですが、ウイルスは原則自己増殖できません。そうした「自己増殖出来るか否か」という視点から、長い間ウイルスは生き物ではないとされてきたのです。ただし、近年では新たな発見名などもあり、少しずつ定義は変わってきています。

 ただ、単純に例えてみれば、ゴキブリは自分で卵を産み、ドンドン増えてゆきますね。つまり自己増殖(実際には自分の体内ではありませんが、自分のDNAを持った子孫が増えます)をしてゆきます。そうした自己増殖の視点でいえば「細菌」はゴキブリ型といってみると分かりやすいでしょうか。
それに対して、ホコリは自分では増殖しませんが、部屋を放っておけばチリも積もれば山となります。そして、知らずにそのホコリの上に手を乗せれば黒く汚れてしまったりします。
 ただし、ウイルスが単なるホコリと違うのは、ホコリなら洗い流せば消えてなくなるだけですが、ウイルスは生き物の体内細胞に付着して悪さを仕掛けてゆきます(その悪さのことは、とりあえず「+α」としておいておきましょう)。逆に言えば、コロナウイルスも、空中で自己増殖してゆくわけではないのです。まるでホコリのように机の上に付着していたり、服にくっついていたり、スマホにもくっついているかもしれません。まあ、ホコリと思えばどこにでもいる可能性がありますね。

 さて、どうでしょう、ウイルスとは「ホコリ+α」と考えてみたところで、そこからが大切です。その視点から考えたら、私たちはどんな対処をしたらウイルスから身を守れるのでしょうか?
今回のレポートは世間で「~した方がいい」「~したらいけない」などとはいうものの科学的な根拠や説明がなく、どこかからの聞きかじりだったりするから情報パニックが起きてしまうのです。

★ウイルスをホコリに例えてみるならば。
A:どうでしょうか、ホコリはどうしたってフワフワと漂いますね。だから以下のことが有効だということが分かります。
・ホコリは湿度があれば、水の粒子と共に下に落ちてくる。
⇒肺に侵入すると危険であるというのなら、出来るだけウイルスを鼻や口の位置より下に落としてしまう方が良いでしょう。だから「部屋に湿度を持たせましょう」というわけですね。

・ホコリが空中浮遊をしているように、ウイルスが空中に浮遊しているならば、アルコール除菌エアゾールのちょっとした室内噴射は有効だといえるでしょう。
・ホコリが机や床に落ちてきやすいと考えるなら、そうした怪しそうなところをサッと拭いておくことは有効だと分かりますね。

B:ホコリ+αの「α」とは何でしょうか?
⇒先述の中で、「ウイルスは自己増殖しない」と書きましたね。では、ウイルスはどうやって増殖し、生きてゆくのでしょうか。
⇒まず、最も単純なことから申し上げましょう。ウイルスは泥棒・詐欺師なのです。
「え~!!泥棒・詐欺師?」そう、もちろんそれは例えですよ。
ウイルスは、自分自身は働かない(自己増殖しない)くせに、他の生き物の細胞の中に入り込んで自分のコピーとすり替えて、勝手に増殖させてしまうのです。
 人間であれば、お父さんとお母さんの遺伝子暗号を乗せたDNAという糸がお父さん側とお母さん側から一本ずつ提供されて、新しい生命体形成に関与してゆきます。そうして各細胞を作り上げてゆくのですが、ウイルスは他の生き物の体の中に入り込み、自分自身が一番増殖するのに適した体内の場所を見つけると、そこに居候うをしてしまいます。そして、宿主の細胞が増殖するために遺伝記号の複製をはじめようとすると、その暗号となるRNAという暗号連鎖の糸の上にすました顔をして入り込んでしまうのです。そうして、細胞分裂の間に、コロナの暗号配列と同じ物が増殖されてしまうのです。

 すると、体の中の細胞が元の自分とは違うものが出来上がったことを異常と感知して、免疫防御隊が「この野郎、お前スパイだな!」「侵入者発見!直ちに攻撃せよ!」といって詐欺野郎をぶちのめして殺すのですが、アホになってしまった自分の細胞はずっと詐欺師に騙され続けてコロナの増殖コピーをし続けてしまうのです。はじめのうちは免疫防御隊がぶちのめしていてくれたのですが、「おいおい、こいつらドンドン出て来るよ!」ぶちのめしても、ぶちのめしてもどんどん敵は生まれてきてしまいます。免疫防御隊はとうとう疲れ果て、「降参!」と言ってしまうとあとはコロナの天下取り。となってしまうわけなのです。

2020年4月10日  ウイルス2

       (図はNewton別冊 細胞の仕組み より)

★上記のウイルスについての説明から何が言えるのか。そして何に気を付けたらよいのか。

・通常、ウイルスは他の生き物の細胞に住み着いて悪さをするというわけですが、コロナの場合は主に肺炎が重篤な症状となって現れるということが分かっています。

・つまり、単に手などの皮膚にコロナが付いたとしても、手の平にはびこることはできません。ところが、コロナが付着したままの手で目をこすれば、目の粘膜にコロナが移動して浸透してゆくでしょう。また、コロナが付着している手で鼻をこすれば、鼻の粘膜からコロナが侵入します。そうそう、粘膜が露出しているところが進入口だと考えれば分かりやすいですね。もちろん、飲食の時にも手にコロナが付着していればそのまま体内に入り込みますよ。そして、コロナが一番大好きな場所、気道から肺に至っては、呼吸することによりコロナがフンワリと入り込めば、そのまま住み着いて詐欺師生活を始めちゃいますね。

⇒だからこそ手洗いをしっかりとしましょう。ということになるのです。そして、その際に単に水洗いよりもウイルスを吸着して流してくれるような石鹸の泡をうまく活用するとコロナが流されてゆくということなのです。また、アルコールや次亜塩素酸水などでコロナは活性力を失ってしまいます。
★こうしたことを踏まえて考えると、アルコール消毒や次亜塩素酸水を手に噴霧したり、机を拭くときに使うのが有効であるということが分かります。

C:ウイルスの大きさを考えてみよう。
先述の表の中で、ウイルスの大きさは最近の10分の1以下であるということが分かるはずである。通常、ウイルスは0.02~0.3マイクロメートルだといわれています。
ところで、通常販売されているマスクだが、性能としては試験粒子(0.3㎛)以上を95%捕集できる。と表記されているものを多く見ます。

★これらを比較して考えてみれば、マスクの有用性は手洗いの有用性に比べてみると科学的な根拠としては甘いことが分かるはずです。ですから、マスクの過信は禁物です。正直なところ、エチケットという位に考えるべきなのです。
※ところが、日本政府はマスク2枚で国民に安心感を醸し出そうとしています。こりゃどう考えても本気じゃないですね。マスク配布より、アルコール消毒液配布の方が根拠性が大きいですよね。

★死に至る病が絶望であるならば、今の日本ではメディアに登場する科学的視点を持たない人々の議論ばかりが花盛りであり、さらに言えばどこかから流れてきた根拠に乏しい噂の塗り直しばかりであるように思われます。

しかしながら、大衆は繰り返し与えられる情報によって恐怖心ばかりが先行するようになり、「絶望感」を持たされるのです。そして、その絶望感により思考力が鈍り、無意味な肉体防御に走り出すのです。

つまり、科学的根拠を持った洞察力の欠如から、「第一の死に至る病」が起こるのです。
折角人間に与えられた科学の目という知恵をしっかりと使いこなし、無意味な混乱に走らないようにしたいものです。

さて、ここまでの「第一の死に至る病」に引き続き、次回は「第二の死に至る病」のお話をしたいと思います。





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