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Zero Waste Centerで昭和のエコな価値観を考える…幸せとはなにか。



徳島県上勝町のゼロ・ウェイスト・センターへ。
お客さまをご案内。

ここの中心は地域のゴミステーション。
上勝町の人口は1380人(2020年)、
1457人(2022年)。
町はゴミ収集はせず、住民自らがここへ持ち込み
45種類に分別する。

そのシステムは画期的だ。
しかし住民が持ち込む負担が大きい面もある。
大都市では難しいだろう。
地域のかたの話によればといろいろと問題もあるが前向きに取り組んでおられると感じた。

https://www.topics.or.jp/articles/-/857345

ゼロ・ウェイスト・センター。
全国から、また外国からも見学者が絶えない。

おしゃれな建物に、usedの品物がお持ち帰りできるスペース。環境問題を考えるホテル。
集積のゴミステーションであると同時に
この町を全国に知らしめる拠点でもある。

誰もが日々ゴミを作り出す生活をしている。
しかしこのことに真剣に向き合う機会は少ない。
毎日購入するたくさんのものにゴミがついてくる。
それを何も考えずに捨てている。

いまゴミについて考えることは、
現代の生活全般を見直すことであり
たいへん重要だと思う。
ぜひ立ち止まって真剣に考えてみよう。

ここで視点を変えてみたい。

幸せとは何か。

私は終戦後の時代の生まれである。

生活が今のように便利でないころを覚えている。
電気製品はまだなかった。
冷蔵庫も洗濯機も掃除機も。
生活にはたくさんの工夫があった。

衣服は母が作ってくれたこともある。
足踏みミシンを持っていて、
子どもの下着も工夫して作ったり。
母の手作りのワンピースを着て
幸せな気持ちになれた。
従姉妹からのお下がりも嬉しかった。

おやつも手作り。
母の作ったドーナツやホットケーキ。
クッキーは私たちもいっしょに
作らせてもらい、出来上がる工程を学んだ。

お豆腐屋さんは、夕方笛を吹きながら
自転車で売りに来る。
小銭を持って鍋持参で買いに走った。

市場で卵が一玉単位で売られていた。
大きさによって値段が違う。
私の時代は一玉が7円から12円くらい。
新聞紙にくるくると包んでくれた。

野菜も魚も新聞紙で包む。

父は材木屋さんで木を買ってきて
棚や縁側を作ったり、
壁を塗ったり、大抵のものを修理した。
ホームセンターはない時代だったが、
今でいうDIYを普通にやっていた。

また狭い庭には野菜や花を植えた。
母は戦争中食べるものがなく、
女学生のころ野菜を育てた経験があると言った。
だから家庭菜園もできた。
鶏を飼っていたこともある。

あのころは普通の市民の暮らしが
サステナブルでエコだった。

戦後はほとんどの人が裕福ではなかった。
手作りの衣服、当時はむしろ恥ずかしかった。
お金持ちはデパートで衣服を買ったり、
オーダーメイドするらしかった。

いったいいつからだろう?
手作りが値打ちになったのは?
価値観は時代とともに変化する。

ファストフッションは皆無だったが、
古着屋や質屋はあった。

女性の正装は着物だった。
冠婚葬祭は参列者も着物を着るのが当たり前。
年齢や既婚未婚により色や模様が変わる。
着物にも袖丈や材質でたくさんの種類がある。

お母さんたちは小学校の入学式にも
着物に羽織を。
写真に写っている彼女らは全員和装。

太平洋戦争後、私たちは少しずつ
少しずつ、電気を使う便利な生活に
慣れていった。

それは人々を幸せにしたのか?

いまはものすごく便利な時代になった。
信じられないくらい。

果たして子どもたちも、大人たちも
便利であることの幸せをしみじみと
感じているだろうか。 


ゴミステーションのリサイクルコーナーでは
誰でも自由に品物を持ち帰ることができる。
リユース品を活かすという目的である。
前回訪れたときにはスペイン語辞書をいただいた。

ゴミを見つめると社会が見えてくると思われる。

何に価値を置き、どう生きるか、よく考えて
行動したいと思う。

Have a nice time! Take it easy.

ゼロ・ウエイスト・センターから臨む上勝の山々

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