虹の端のしっぽ
以前描いた絵手紙をアップしていきます。
英語でネイティブ、ノンネイティブと交流したい!もちろん語彙も文法も大事だけどまずコミュニケーションを楽しみたい気持ちで英語継続中です。
初めて入れ歯保持者になりました。おっかなびっくり 自分の歯と対峙する備忘録的記録。
徳島大学で三隅友子教授の公開講座を受講しています。この講座の講師は「Miro革命」の田原真人先生。
毎日のルーティンで大切なことは? 朝は目をあけて まず太陽に手を合わせ 今日も生きてます ありがとうございますとお礼をいう 明日はもうここにいないかもしれないから 深呼吸して 空気があり水がある地球に生まれたことを 深く考えてみる 目に見えるもの 目に見えないもの たくさんの生き物に感謝 ごはんを食べるとき 食材の一つ一つに人の援けがあって この食卓へ届いたことに想いを馳せる 心から感謝しいただく 自分の力だけではできなかった 山からも畑からも海からも 何もかも、 急
今年3月、友人の3回忌法要に参列した話です。 ガーデンシクラメンは小型のシクラメン。 冬も屋外で咲き続ける。 逞ましい。 明るい炎のかたちの花。 花が終わると丸い拳を振り上げる。 中にはシクラメンの種が。 ほったらかしでこの種から 小さなシクラメンが芽吹くが、 いつも夏になると消えてしまった。 2年前に友人が亡くなった。 66歳。 肺がんが転移、長い闘病の末。 40年以上の交流があった。 彼は単身赴任生活が長く、 関西、関東、中四国一円と広範囲に仕事をした。 会社員
扇町公園のダークな歴史について書きます。 大阪市内に扇町公園という四角い公園がある。 現在は隣に関西テレビや北区役所そして屋内プール施設。屋外に広場。 子ども連れのお母さんが散歩している。 昼の時間はビジネスマンも。 梅田に近く、周囲が開発されていく中、 今も大きな広場のままだ。 たまたま公園前に新築した病院へ家族が入院したのでここを歩いた。 この公園にかつて競技用屋外プールがあった。 プールの周囲に観客席も。 深さは2mはあったと思う。 私は昔、実際に泳いだことが
艶やかに 花が咲く もし誰も見ていなくても 自ずから咲く たくさんの人が見ていても 淡々と咲く 花は人の気持ちを知っている 期待や喜びや失望や絶望を 知っていて淡々と咲く 今日もすてきな一日をお過ごしください。 地球と宇宙にありがとうございます。 Have a nice time. Take it easy❤️
GW始まりました。 今日も笑顔で。 いい一日になりますように。
少し前から大阪の歴史に興味を持ち、 何冊か本を読んでいる。 故郷だけど、これまでは小学生レベルの 知識だけ。 2024年4月17日 大昔の大阪を感じたくなり、実際に歩いてみた。 大昔というのは、この地に人が住み始めたころ。 土地のアップダウンをまず最初に。 コース: 八軒家浜(天満橋)→(上り坂) →大阪城沿いに南へ→難波宮跡→(下り坂) →JR森ノ宮駅 上町台地へ北から上陸して東へ。 古代、上町台地は半島状に北へ伸び、半島の東西は海。西側は大阪湾。 東側は初めは海、
日本列島に春が訪れた。 四季がある嬉しさ。 山が笑っている。 微笑む山、くすくす笑いの山、笑顔の山、 機嫌良く笑う山、爆笑する山、楽しそう。 天然林、照葉樹林、落葉樹林、針葉樹林、混成林、 それぞれの表情が違う。下草もいろいろ。 自然の色彩は美しい。 しかし最近は苦笑いする山、泣き笑いする山、 震災や火災に遭って、また林道を通した結果、 山崩れを起こして、 「幸せでない山」も見かけるが。 とりわけ悲しいのは殺される山。 つまり山の中の太陽光発電パネル、 そして尾根沿
交通系IDカードの話。 私が住む四国は地方である。 もともと大阪の人間だったが、故郷を離れて50年近く。つまり「今浦島」なのである(この言葉自体すでに死語か?) 東京大阪、京都神戸とはいろんな面で格差がある。 ソフト面もハード面も。 今回はハード面について。 私は交通系カードにまったく詳しくない。 でもPiTaPaを1枚作って持っている。 ふだんの生活で使う機会は全くないが、都市に行くときには最低限必要だ。 乗るたびに券売機で切符を買うのは面倒すぎる。 PiTaPa以
スリランカ人の知人との交流の話をします。 スリランカ人オーナーシェフのレストランにここ数年よく行くようになった。彼はスリランカでもすでにプロのシェフであったから、素人の料理ではない。そして彼の料理はおいしくて元気が出る。 辛さは日本人向けに辛さを抑えた料理を用意してくれる。辛口と指定するとスリランカの普通の辛さが出される。スパイスの調合はアユルヴェーダに基づく。私は薬膳料理という感覚でいただいている。 彼は日本生活が20数年。若いころ日本人の伴侶と結婚して家族を持ち、日
異なる言葉と文化を持つ人々が暮らす社会について考える。 日本では日本語が話せて理解できればとりあえず暮らしていける。 子どものときから家庭では日本語しか聞いていない。当たり前過ぎて、以前は考えたこともなかった。 日本語でいつも考えている。 日本語的な思考回路や偏向も潜むだろう。 そして学校で教えられた一定の歴史解釈や考え方も含んでいる。あまりにも狭い。 それは多角的な視点でない場合もある。 私の住む地方都市の、中心から離れた住宅地も空き家が目立ってきた。 高齢者が亡くなり
この記事では、そのころの小学生の遊びの思い出を書きます。 (写真は昭和39年10月11日毎日新聞号外、オリンピック開会式特集から) 書こうと思ったのはkomajinさんの記事を見つけたからです。 ①陣取り 彼が「陣地取りん」と呼んでいるのを、私たちは「陣取り」と言っていました。同じ大阪市内でも地域によって多少呼び名が違っていたのかもしれません。 当時私が住んでいた大阪市内の団地には、公園が二つあって大きい公園、小さい公園と呼んでいました。それぞれに滑り台、ぶらんこ、鉄
記憶の中の、過去の大阪について書きます。 故郷の大阪を離れて、50年近い。 母が歳を取り弱ってきて、 時々この街へ帰ってくるようになった。 大都会の風景がどんどん変わっていく中で 変わらない部分もあると感じる。 どんどん変わっていく梅田周辺。 まるでシンガポールか香港か?と思う。 アジアの都市はどこも似ている気がする。 現代的なデザインの高層ビル街。 商店街やモールと違うおしゃれで新しい ショッピング街が次々と。 デパートもホテルも眼をみはる美しさ。 しかし下町の空気
母が歳を取った。90代半ば、相応に機能が弱る。目が、耳が、咀嚼が、運動機能が落ちてくる。 人間は生物で寿命があり、普通のこと。 歴史上どんな権力者も永遠の生命は得られなかった。脳や遺伝子を保管して、将来科学が発展する時を待つという話も聞くが、そこまでして生き続けたいという意志は何なのか。 人はそもそも生まれたいという意志を持って生まれてくるのか?生まれる前から競争を勝ち抜いて生まれてきたという。 この世に生を受けた後も真実は知らされない。 意識が明瞭で真実を見つめ、理を
オンライン英会話の中で、先生の発音が聴き取れず、ちんぷんかんだった話をする。 週3回、1回30分、主に3人のnative tutorとオンライン英会話に取り組んでいる。話すのも聴くのもどうも進歩していない。 同じ先生と何年も会話していると慣れもあって、彼(や彼女)の話がなんとなく英語のまま聴き取れる。同世代の先生を選んでいるので、お互いに日々の環境も大して変わらない。友人とレストランへ行ったとか、子どもたちと誕生日を祝ったとか、bird feeder に野鳥が来たとか。
こんな夢を見た。 夜の海をゆっくりと進む帆船。 港を出たところらしい。 重そうな錨が水面すれすれに浮いているところへ 帆船がやってくる。 錨の上部の赤錆色が水面に突き出ている。 なぜ重い錨が浮いているのか? これに当たると船がやばいんじゃないのか? すると帆船のキールに浮いた錨が引っかかり、そのまま進んでいく。船は水面下に鎖を垂らしたまま引きずって帆走しているようなのだ。それは帆走の抵抗になるだろう。しかし船員たちはそのことを知らない。知っているのは私だけ。 私は水
1月2月は暖かいと感じていたのに、 3月に入って夜間は幾分冷えるようになった。 夫が、焼き肉をしたいと300グラム買ってきた。 そこそこ脂身も多くない柔らかそうな肉。 ほかにもかぼちゃやなす、玉ねぎ、春キャベツまでも。 (えー?こんなに寒いのに、外でBBQやて⁇ ほんまかいな)と内心思ったが、 (まあ雪も降ってないし、ほんならいっちょうやりましょか)と私は炭を熾すことに。 道具はいろいろ持っている。 アウトドア、サバイバルな遊びは本来私の得意分野。 炭壺から消し炭を出し