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昭和30年代の小学生の遊び

この記事では、そのころの小学生の遊びの思い出を書きます。
(写真は昭和39年10月11日毎日新聞号外、オリンピック開会式特集から)

書こうと思ったのはkomajinさんの記事を見つけたからです。


①陣取り

彼が「陣地取りん」と呼んでいるのを、私たちは「陣取り」と言っていました。同じ大阪市内でも地域によって多少呼び名が違っていたのかもしれません。

当時私が住んでいた大阪市内の団地には、公園が二つあって大きい公園、小さい公園と呼んでいました。それぞれに滑り台、ぶらんこ、鉄棒、雲梯、砂場があり、ベンチもいくつか並んでいました。
団地が出来たときに公園に植えられた桜の木は年々大きくなり春になると美しく咲きました。他にはネズミモチ、ユキヤナギ、石化柳、平戸ツツジなどが植えられていました。
私の住宅は小さい公園に近くて、小学校に上がる前からここで長い時間よく遊びました。
夕方は暗くなるまで、陣取りや下駄隠し、まりつきなどをしました。

②下駄隠し

小学生の子どもが何人か集まると、よく下駄隠しをしました。下駄隠しは、一人が、鬼になり両目を手で覆って見えなくして、下駄隠しの歌を歌います。この間にほかの子たちは自分の履物の片方をどこかへ隠します。植え込みの中であったり、遊具の隙間など。履物は、主に小学生用の前にゴムがついたペラっとした運動靴。学校が終わるとみんな裸足で履いていました。他には草履や下駄の子も少しだけいたのかもしれません。

歌い終わると鬼になった子は、そこらあたりを探して一つ見つけます。見つけられた子は次回の鬼になる。
単純な遊びだけど、繰り返し繰り返し楽しんでいました。

下駄隠しのうた

下駄かくし、ちゅーれんぼー
橋の下のねずみはー
草履をくわえて、ちゅっちゅくちゅー

ちゅっちゅくまんじゅはだれが食たー
だーれも食わないわしが食たー

表の看板三味線やー
裏から回って三軒め!

(komajinさまからご指摘いただき、歌詞を付け足しました)

③まりつき

女の子たちの「まりつき」にも何曲か、うたがありました。60年以上前のことでほとんど忘れてしまって残念です。
かろうじて憶えているのは、冒頭のところがこんな歌詞でした。この歌に合わせて、まりをつきながら、片足をくるくる回します。

「伊勢、伊勢、いーせ、
二見、二見、ふーたーみー」

小学校六年生の修学旅行で伊勢志摩へ行ったとき、
まりつきの歌の元の場所はここだったのか!と思いました。近鉄電車の特急に乗っていきましたが、当時の小学生には修学旅行は特別な経験でしたね。

戦後でほとんどの世帯が貧しかったけれども、都市の公園では周りの大人が子どもたち全体をそれとなく見守ってくれていたように思います。
高度成長の前で、日本はインフラ整備の真っ最中。空き地に土管やいろんな建設資材が置かれていた。家庭では高価で便利な電化製品が流通し始めたころ。

ゲーム機も携帯やスマホ、パソコンもインターネットも何もなく、家の内外で子どもが無心に遊ぶことが許された時代でした。

お帰りなさい。ツバメさんたち!


今日もすてきな時間をお過ごしください。
地球と宇宙にありがとうございます。

震災で被災された皆さまが、
1日も早く元の生活に戻れますように
お祈りいたします。

Have a nice time.
Take it easy❤️

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