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映画感想 バンブルビー

 『トランスフォーマー』シリーズの決定版!

 『バンブルビー』は2018年に制作された『トランスフォーマー』シリーズ第6作目。……といっても、あんまりにもたくさん作られすぎているので、私もすべてのシリーズを見たかどうかよくわからない。
 『バンブルビー』はお話しが1987年に遡って、オートボットが地球にやってきた最初の事件が描かれる。これまでのシリーズの前日譚にあたるお話しだ。
 監督はトラヴィス・ナイト。アニメ監督で、現役のアニメーターだ。2016年に『KUBO/クボ 2本の弦の秘密』を発表し世界的な話題を獲得した作家だ。本作が初めての実写映画作品となる。プロデューサーはシリーズの監督をずっと引き受けていたマイケル・ベイ。しかしマイケル・ベイは自分の個性は出さず、トラヴィス・ナイトのクリエイティブを認め、すべてを委ねている。

 映画のある場面。要するに時間の経過が圧縮されている場面。アニメでこういう場面はよく見るけれども、実写でやる人は珍しい。このシーンを見たとき、「おや?」と不思議な気分になった。後で監督がアニメ畑の人と聞いて納得した。他にも「実写作品でこれをやる人はあまりいないよな」……という場面はちらほら。
 制作費1億3000万ドルに対し、世界収入は4億6800万ドル。興行収入はシリーズでもっとも低いとされるが、制作費ももっとも低い。第1作目の制作費が1億5000万ドルで、以降のシリーズはみんな制作費2億ドル超え。一見するとあまり稼いでいない気がするが、制作費に対する収入額はそれなりに高い。
 評価は非常に高く、映画批評集積サイトRotten Tomatoesでは肯定評価が91%、一般評価が74%。第39回ゴールデンラズベリー賞でリディーマー賞にノミネートされた。リディーマー賞とは不評だった俳優やシリーズが一転して高い評価を獲得したときに与えられる賞である。
 見た人の印象が非常に良く、『バンブルビー』から始まる新しいシリーズの構想が立てられたが、結局のところ、このシリーズはこれで終了。次回からは『ビーストウォーズ』を原作とした新シリーズとなる。

 では前半のあらすじを見ていこう。


 惑星サイバトロンではサイバトロンとデストロンが激しく争い合っていた。正義のオートボット軍団サイバトロンは劣勢へ追い込まれて、古里である惑星を脱出する。
 身を隠すのにいい星がある。それは《地球》と呼ばれる。地球で拠点をつくり、次なる戦いに備えるのだ……!
 オプティマスの指令により、B-127は仲間達より先行して脱出ポッドへ乗り、地球を目指すことになった。
 地球にやってきたB-127だったが、地球にはすでに知的生命体がいて、B-127が着地した場所は運悪く米軍の訓練演習中の森だった。宇宙から襲来したB-127は、米軍達にとって「敵」と認識され、襲われるのだった。
 B-127は米軍たちに敵意がないことを示そうとしたが、そこにブリッツウィングが攻撃してくる。B-127はブリッツウイングと戦い、勝利するが損傷が激しく、「声」と「記憶」を喪ってしまうのだった。
 意識を失おうとする時、B-127は近くにあったビートルの形をスキャンし、その姿になって身を隠すのだった……。

 チャーリー・ワトソンは目を醒ます。リビングへ行くと、母親のサリーとロンがいる。チャーリーの父親は少し前にこの世を去り、ロンはもうすぐ新しい「父親」になるかも知れない人……。でもチャーリーはそのロンを、まだ受け入れる気はなかった。
 遊園地へアルバイトに行き、そこで稼いだお金でハンクおじさんのボート修理工場へ行く。廃材から車を修理するためのパーツを見付けるためだ。
 捨てられているボートからパーツを拾っていると、ふと気になる車を見付ける。黄色のビートルだ。キーは刺したまま……。どうやら動くようだ。しかしビートルには蜂の巣ができていて、動かそうとするとハチがどんどん入り込んでくる。チャーリーはビートルには手を出さず、去って行くのだった。
 チャーリーは持ち帰ったパーツで、廃車の修理を始める。廃車はシボレー・コルベットC1型だ。しかし故障状態は深刻で、パーツの1つや2つを直したところで、動きそうにない。
 ……こんな時、パパがいてくれたら……。
 翌日の朝、チャーリーは目を醒ます。今日から18歳。チャーリーはしばらく家でくつろいでいたけど、あの車のことが気になる。黄色のビートル……あれを手に入れれば……。
 チャーリーは再びハンクのボート修理工場へ行く。ハンクはもしもあの車を動かせるならば、持っていってもいい……と約束する。チャーリーはその場でビートルを修理し、見事動かすことに成功。そのままビートルに乗って帰宅するのだった。


 ここまでで25分。
 宇宙人が当たり前のように英語を使っている……ということは気にしないでおこう。

 あらすじを見ればわかるように、今回はアクションはかなり抑え気味。地球に降り立ったものの、敵の攻撃により記憶を失ってしまったバンブルビー(B-127)。そのバンブルビーととある少女の交流のお話しがメインテーマになっている。
 時代は1987年。「トランスフォーマー史」を見ると、玩具としてのトランフォーマーは1984年生まれ。1985年にアニメ放送されて爆発的な人気を獲得し、1986年頃には映画も制作されている。そういう現実のトランフォーマー史の初期時代に、本物のトランスフォーマーがやってきてましたよ……というお話になっている。

 しかし本作はトランフォーマー同士のアクションはあまりない。主人公チャーリー・ワトソンとの交流が大部分を占めている。
 そのチャーリー・ワトソン。18歳の誕生日を迎えようという年齢だ。つまりこれから大人になろうとしている少女。前半のシーンで、歯を磨きながら鏡を見て、額にできたニキビを気にするような繊細さを持つ少女だ。年齢的には「大人」と扱われ、大人になりたいと思いながら、まだ少女時代を引きずっている。
 そんなチャーリーはいつごろかわからないが父親を亡くしている。母はすでにロンという新しい男性との恋愛をはじめていて、その男性は当たり前のように家の中にいる。そこまで関係が進んでいる。母が連れてきた男性は悪い人ではない。でもチャーリーはどうしてもロンを受け入れることができない。
 チャーリーが“新しい父親”を受け入れられないのは、チャーリーは以前、「飛込競技」の選手だったが、その大会で栄光を掴んだその日(あるいはその数日以内)に父親を亡くしたから。チャーリーにとって「晴」の瞬間と「ケ」の瞬間が重なっている。飛込選手としての栄光を思い浮かべると、連想のように父親の死が蘇ってしまう。だから父の死をどう受け取っていいかわからない。

 そんなチャーリーが日頃熱心に取り組んでいるのはシボレー・コルベットC1型の修理だ。作中では言及されないが、このシボレーが父親との繋がり(父親の写真の前にシボレーのミニチュアが置かれているので、父親の車だったのだろう)。このシボレーの修理が完了できれば、父親とのわだかまりが解消される……しかしそれができない、というのがチャーリーが置かれた状況だ。 (ひょっとすると父親の死は「事故死」で、その死の瞬間乗っていた車がこのシボレー……という意味だったのかも知れない)

 アメリカ人は車好きだ。車は「便利な道具」あるいは「生活に必須な道具」であると同時に、「アイデンティティ」の有り様でもある。チャーリーがあそこまで車にこだわるのは、「自分のアイデンティティ」が未完成に感じているから。あるいは欠落のようなものを感じる。
 あー車が欲しいなーという憧れとかそういうもの以上に、自我を完成させるために必要なものと感じている。そこで「18歳になったばかりの女の子」……年齢的には大人だけど、精神的にまだ子供、というチャーリーが主人公になっている。
 そこにやってくるのがバンブルビーことフォルクスワーゲン・タイプ1通称「ビートル」。1938年生まれのドイツ車の名作だ。
 それがチャーリーの元へとやってくる。身の小さな可愛い車だ。しかもオンボロというのが、チャーリーの現在地を示している。これでチャーリーはささやかな自我を獲得し、ようやく活動的になり始める。

 そんなチャーリーに対し、いやーな感じの女が出てくるのだけど、乗っている車はBMWだ。たぶん1980年代頃に作られた、この時代最新の大衆車なのだろう。その時代に流行っている大衆車を手にしているから、スネ夫的な嫌味をチャーリーに向けてくる。最新流行のBMWからしてみれば、チャーリーのビートルはオンボロの骨董品……なんでこの女がやたらマウントをかけてくるのか、というと「いい車」を持っているからだ。「私、最新の車をパパに買ってもらったのよ」……というのがこの女の自尊心。
(女の世界に、男の世界特有の「マウント合戦」はない……と思われがちだけど、実際にはある。女もブランドものを持つようになると急に「マウントの取り合い」が始まる。私、こんな高級なバッグを買ってもらったのよ……みたいな)
 相手は最新のBMWを持っていて、自分はオンボロの小さなビートル……。アメリカは持っている車でカーストが決まる世界だ。何も言い返せない。

 さて、チャーリーがアイデンティティの根源にしているのが、シボレー・コルベットC1型だ。1950年代生まれの車なので、チャーリーの父親世代の車だ。チャーリー世代にしてみればすでにクラシックの域だけど、かつて憧れとして語られていたオープンスポーツカーだ。BMWとは比較にならないくらいの圧倒的ハイパワーで見た目も格好いい。
 本当ならBMWなんてチャチな車を乗ってマウントをかけてくる不良達よりも、自分の方がいい車を持っているのに……チャーリーが悔しく感じているのはそういうこと。

 なにもかも思い通りにならない……そんなチャーリーはやっとのことでオンボロのビートルを手に入れることで、ささやかな自我を獲得するのだけど、そのビートルが実は宇宙からやってきた魔法の車だった……というのが本作の面白要素。少女の内面的葛藤、車でカーストが決まり、マウントをかけるアメリカの文化、そこにトランスフォーマーという題材がピタリをハマって生まれたのがこの作品だ。
 一方、オンボロ車に化けるしかなかった……というのが負傷し記憶やらアイデンティティを喪っているバンブルビーの現在地でもある。最終的にバンブルビーも覚醒し、ちょっと良い車に化けられるようになる。チャーリーとバンブルビー、2人にとってのアイデンティティの回復と獲得までが本作のメインテーマとなる。

 ……と、書いてみたけれども、私は車のことはサッパリなんで、この辺りの詳しい心象は私にはわからないんだけど。

 今回はこういう少女の葛藤と成長のお話しがメインテーマなので、アクションは控えめ。前半50分は少女とバンブルビーの交流、葛藤を乗り越える切っ掛けを掴んだところで、宇宙から敵が襲来して戦いになる……というのが本作の構成だ。
 後半はアクションシーンが俄然多くなるのだけど、あくまでも「葛藤を乗り越えるための試練」として描かれるので、これまでシリーズのような、ひたすらに「奔放なアクション」というものではない。きちんとドラマが乗ったアクションの作り方になっている。今までのシリーズを愛していた……という人には物足りなく感じるかも知れない。

 こんな感じのシリーズにとっては「異色のトランスフォーマー」なのだけど……むしろこの描き方の方がトランスフォーマーの在り方として良かったのではないのか……という気がする。この作品によってトランスフォーマーは「宇宙から来た異星人」ではなく、やっと人間と「心の交流」ができる友人と感じられるようになった。それに少女とトランスフォーマーの成長の物語は感動的だ。トランスフォーマーが「心ある存在」と感じられるのは初めてのことだ。
 それに「個性的な1本」になっている。ここにいたるまで5本の映画を観てきたけど……正直なところ、最初の1本目以降はどれも似たり寄ったりで、私の記憶にある作品がどのシリーズなのかわからないくらい。この『バンブルビー』は間違いなく頭に残るが、そういう意味での個性はこれまでのシリーズにはなかった。
 むしろ今までどうしてこう描かなかったのか……というくらい。

 ただ弱点としては「絵力」の弱さ。マイケル・ベイ監督は「脳みそまで筋肉」な映画しか作らないのだけど、絵力だけは圧倒的に強い。マイケル・ベイの弱点はまともな物語を作ることができないこと。
 今作は物語は良かったけど絵力が弱い。一方のマイケル・ベイは物語が作れないけど絵力は強い……。この2つの良いところを、もうすこし混じり合わせられればなぁ……というのが私の感想だった。

 最後に余談。ガソリンスタンドの「ガズリン」……というのが出てくるけど……。書体が「GODZILLA」っぽいのは気のせいだろうか? さすがに関係ないか。


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