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ゲーム感想 スーパーマリオ3Dコレクション

スーパーマリオ 3Dコレクション 紹介映像

購入にいたる経緯

 9月の終わり頃の話。

 へえー『マリオ3D』初期シリーズ3作品がセットになって販売されるのか……。まあ、こういうのはそのうちに……って期間限定販売なのか。ダウンロードのほうも3月までの期間限定。
 それじゃ、今のうちに買っちゃうか。ちょうどバイトが終わって、休暇期間に入るし。私は『マリオ』シリーズはだいたい遊んでいるけど、『マリオサンシャイン』と『マリオギャラクシー』の2作は実は遊んでいない。たぶん、『スーパーマリオ』シリーズの中で触れていないのがこの2本だと思う。
 よし、いい機会だから買ってしまおう。これで『スーパーマリオ』シリーズコンプリートだ!(多分)

 Nintendo Switchにソフトを挿入してゲームを起動……。
 一瞬だ!! いやビックリ。ソフト起動ローディング画面がない
 これはとりあえずオープニングムービーと次にシンプルな選択画面だけを読み込んで、それから改めて大きなデータを読み込んでいるのだろう。それにしても早い!
 ゲーム全体を見てもローディング画面が全くなく、快適にゲームを進められる。昔のカートリッジゲーム感覚でゲームを進行させられる。こういった快適性という部分は流石。やっぱりローディング時間がないって良いことだよ。

 ……というわけで、10月1日より『マリオ3D』スタート!

マリオサンシャインの感想

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 まずオープニング。キャラクターが気持ち悪い。黎明期のCGアニメを見ているようだ。質感が陶器人形のよう。動きもぎこちなく、振り向く動きでもロボットみたいに首だけがグググと動いてしまう。2002年のゲームムービーの質ってまだまだこんなものだったっけ……?
 冒頭はピーチ姫自家用ジェットの中だが、英雄マリオ、ピーチ姫と並んで座っている「キノじい」と呼ばれる老人。いったい何者なのか? 過去シリーズのどこかに登場しただろうか……。オープニングであんな並びで登場するから、何かしら重要な役割、物語に絡んでくるキャラクターなのかな……と思いきや特に何もなし。いったいなんだったんだ、あの老人は?

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 かなり乱暴に着地をする専用ジェット機。シートベルトも締めていなかったマリオ一同(警告もなかった)はあわや大事故……かと思いきや無傷。なにしろマリオですから。とっても頑丈。

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 滑走路の上に書かれた落書き。ただのインクではなく、触れるとダメージになるが、インクを塗った側はインクの中に潜れてしまう。
 ……ああ! Splatoon!! こんなところに伏線があったのか。
 Splatoonは2015年発売。こんなところに制作のヒントがあったとは。今更ながら新発見だ(みんな知っていたんだろうけど)。
 この空港のシーンは新ギミックであるポンプを手に入れ、基本的なチュートリアルが説明される。それにしても、ポンプの開発が「オヤ・マー博士」とは……。今作ではオヤ・マー博士は登場しないが、いったいどういった経緯であのポンプがあの場所に置かれていたのだろう……? 勝手に使ってしまったが。

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 チュートリアルを経て、裁判のシーンに入るのだが……。
 マリオシリーズにしてはゲームが始まるまで長過ぎではないか? 見ているだけの部分がやけに長い。『マリオ64』は最初にピーチ姫の手紙が出て、以降ずっとプレイシーンだったし、その他のシリーズでも冒頭の説明でこんなに尺を使う作品はない。見ているだけでも何かしら面白味があればいいのだが、それもなし。この時代のムービーだからクオリティが低いし、スクウェアゲームのような賑やかさもないしで、かなり退屈な導入部になっている。

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 ゲームが始まって……カメラの動きが逆だ!! 私はカメラの動きリバース派。どこかでカメラの動きを変更できないかと探したが、そういう操作はなし……。ずっと感覚逆のまま。やりづらいし、気持ち悪いでゲームを進めなければならなくなった。

※ この感想文が書かれたのは10月8日。10月27日に更新が入り、カメラリバースへの変更が可能になった。

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 ここで一気にゲームの感想に入るが……正直なところ、つまらなかった。『マリオサンシャイン』は面白くなかった。
 面白くなかった理由は、難易度高すぎ。しかし一見すると難しそうに見えない。ステージ構造は非常にシンプルで、やはりマリオシリーズらしく、一見してどうやってゲームを進めるか、わかりやすく配慮されている。そこは任天堂ブランドらしい作りだ。だが、一見した感覚と、実際やってみるととはまるで意味が違う。
 まず平衡感覚を狂わせるギミックが多い。プレイヤー感覚としては地面に対して直立しているつもりでいるのだが、微妙にズレていて滑り落ちてしまう……そういうことが多かった。
 カメラをベストな位置に持っていきたいところだが、しかしカメラにもしっかり当たり判定が存在していて、しょっちゅう何かしらのオブジェクトに引っ掛かる。「今ここにカメラを持っていきたいのに」と思ってもカメラが引っ掛かってベストな位置に設置できない……そういうことも多かった。
 今作にも壁ジャンプを繰り返して上の足場に移動するシチュエーションは非常に多いのだが、ジャンプを繰り返しているうちに少しずつズレて、最終的には壁から逸れてあらぬ方向に飛び出してしまうことも多かった。壁ジャンプすべき場所とカメラ位置とが平行であればこんな失敗はしないのだが、平行に持って行けないシチュエーションがあまりにも多かった。
 実際のゲームプレイを(ゲーム実況動画などで)見ていて、客観的に見ると難しい・難しそうとはあまり思わないだろう。というのもゲーム構造が非常にシンプルに見えて、見ればただちにどうやって進行すべきかすぐにわかるように作られているし、それも単純な組み合わせに過ぎないから、どちらかといえば「簡単そう」という印象を抱くだろう。だが実際にやってみると、やたらと難しい。
 かといって「鬼畜難易度」「無慈悲に殺しに来ている」というのとは意味合いが違う。この作品特有のクセがなんともいえない複雑さをもたらしている。

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 どこのワールドでも必ず上図のようなステージが挿入されるが、これが難題だった。上にも書いたように、「直立しているつもりが微妙にズレて」転落死してしまうシチュエーションが非常に多かった。いま自分が立っている位置が平行なのかズレているのか、画面を見ていてもわからない・わかりづらい、というのが「一見簡単そうに見えて難しい」原因となってしまっている。
 さらにハイジャンプ、壁キックなど併用するシチュエーションも多く、壁キックそれ自体は難しいアクションではないのだが、どうにも自分が思った方向にすっと進んでくれない。カメラをベストな位置に持ってくること自体が難しいからだ。
 カメラをベストな位置に持って行けない……ということがゲーム全体の難易度を底上げしていて、プレイヤーが意図しない方向に進んでしまったり、ジャンプしてしまったり、とうまく操作できない。
 これはいわゆる「難易度」というものとはちょっと違っていて、「遊びやすさ」や「操作性」に関する話だ。カメラ位置の微妙なズレによって、プレイヤーが思っている方向に移動できないし、ジャンプするとあらぬ方向にズレてしまう。壁キックを繰り返して上層へ行くシチュエーションにしても、『マリオサンシャイン』の場合なかなかうまくいかない。アナログスティックとはいえ、所詮は8方向にしか移動できないものだし、それが不自由なカメラと組み合わさると簡単なはずのアクションでもうまく操作できない。簡単なはずなのに「高難易度」に感じるという印象をもたらしてしまう。

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 同じ場所で何度も転落死し、そのたびにやり直しさせられる。同じシチュエーションを繰り返しやらされてしまう。これが面倒くさいったらなかった。
 ゲームオーバーになったらドルピックタウンのイカ像の前からやり直し、さっきまでやっていたステージまで移動しなければならないが、そこに至るまでのデモ映像も繰り返し見ることになるし、さらに同じ場所まで行くのもやたらと大変……ということも多かった。これがこのゲームの苛々を募らせるポイントになっている。「何度同じシーンを繰り返すんだ」と言いたくなる。
 マリオシリーズはとにかくも転落死が多い。『マリオサンシャイン』はそこそこライフ多めに設定されているが、そのライフが尽きてゲームオーバーはあまりなかった。どちらかといえば転落死。転落死して、最初からやり直し。何度も転落死と蘇生を繰り返しているうちに、「ここはなんの地獄だろうか?」と思わずにはいられなかった。

 しかしゲーム中のキャプションをこうやって感想文を書きながら振り返ってみると、よくよく見るとゲームのステージ構造はそこまで複雑でもないし、「鬼畜難易度」というのとははっきり違うと気付かされる。
 問題はなんだったのか、というととにかくもカメラ位置の微妙なズレ。思った位置にカメラを固定できず、プレイヤーが思っている位置から微妙にズレるし、移動する方向も微妙にズレてしまう。よくよく考えると、問題はその一点だけだったのではないか……と後になって気付かされる。むしろゲームとしてはまっとうな作りだったのではないか……。カメラの問題さえ解消されていれば、別に「高難易度」というほど難しくもなかったのではないか……? そう考えると、「カメラ操作」はゲーム批評ではあまり注目されない要素だが、実はとんでもなく重要だし、この技術が3Dゲームの快適性の本質に繋がる……ということを考えさせられる。

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 『マリオサンシャイン』の象徴すべきギミックであるポンプだが、ポンプによってマリオのゲームが劇的に変わった、という印象はなかった。必要があればポンプを使用する。それくらいのものしか感じられなかった。
 確かに『マリオサンシャイン』全般にポンプを使うシチュエーションはあるが、どうにも「無理に使っている」という印象があった。いっそ、ほとんどのシーンはポンプがなくても、今までのマリオで成立してしまう。
 部分的に……例えばシレナビーチのボスであるマンタは、ステージ上をインクでどんどん塗りつぶしていくボスで、これをポンプで倒すという解き方には蓋然性があった。しかし例えば中ボスで登場する巨大イカはポンプを使わなくても、触手を踏みつけて引っ張って引っこ抜き、という立ち回りで倒せてしまう。ポンプは使用しない。というか、ゲームをやっているとポンプを使う、というギミックを忘れてしまう。
 ゲームを進めているとふっとポンプを使うべきシチュエーションが来て、そのたびに「ああそうか、ポンプポンプ」という感じだ。
 ポンプというギミックによってゲームが彩り豊かになるか……というと実際はそうではなく、ただマリオの操作が複雑になっただけ。むやみに複雑になったし、「独特な遊び感覚」はあるといえばあったが、それがこの作品特有の快楽をもたらしているかというとそうではない。要するにこの遊びに「気持ちよさ」がない

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 『3Dマリオシリーズ』には1つのワールドにいくつもスターがあって、それを回収する……という繰り返しの遊びが毎回あるのだが、『マリオサンシャイン』の場合、このスターがなんと8つもある。さらに隠しスターもあるようだ。
 いくらなんでも多すぎだ。1つのステージを終えて、何度も同じステージに入る。これをひたすら繰り返す。ステージに遊びに行く、というより作業感が出てしまっている。同じステージに入り、違う楽しみがあるなら歓迎だが、そこまで変わった印象はなく、スター集めが作業に陥ってしまっている
 スターは結局すべて集めなかったが、全部で120あるようだ。そう考えるとワールドの数が少ない。1つのワールドに対してスターの数が多すぎ。少ないワールドの中に、無理に120のスターを詰め込んだような印象になってしまっている。これが『マリオサンシャイン』のゲーム体験を薄く引き延ばしたような印象にしてしまっている

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 『マリオサンシャイン』のトータルとしての感想は、「くたびれた……」の一言だった。楽しいはずのステージがカメラ操作の不自由さで快適に楽しめない。同じシチュエーションを何度も何度も繰り返しやらされて、苦行になってしまっている。途中、「もうこのゲーム、やめようか」と何度も考えた。なぜなら、まったく面白くなかったから。『マリオサンシャイン』をやるとどんな笑顔も険しくなる。しかしお金を出して買ったものだから、せめてエンディングまで……と義務感のようなものでなんとか進めていったが、エンディングを見ても特に達成感もなく、後に残ったのは「疲れた……」という徒労感だけだった。

 『マリオサンシャイン』という古いゲームを今の時代にプレイすることにどんな意義があったのだろうか。単に歴史をなぞり、知るということ以上にどんな意義があったのか。
 それは『マリオギャラクシー』を始めたところでいろいろな理解に繋がってくる。
 
 では続いて『マリオギャラクシー』の感想に移る。

マリオギャラクシーの感想

 『マリオサンシャイン』ですっかり消耗してしまった体で、そのまま『マリオギャラクシー』を始める。『マリオサンシャイン』があの内容だったので、『マリオギャラクシー』にはあまり期待せず、購入したから……という義務感だけでスタートしていた。

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 『マリオギャラクシー』は2007年のゲームだ。『マリオサンシャイン』から5年。ムービーの質は圧倒的に高くなっている。ゲームキューブとWiiは中に入っている機械は一緒だったはずだから、「スペックがあがったから」ではなく、モデリングの技術やレンダリングの手法がそのぶん変わったということだろう。
 ゲームの導入部も非常に自然。いつものようにピーチ姫から招待の手紙が送られてきて、その直後からプレイシーンに入る。ゲームを始めるのに待たされたり、見るだけのシーンが続いたり……というようなストレスなく始まり、その後ムービーが挿入されるがこれも短く抑えられていて冗長な感じがない。この最初の数シーンだけで、いろんな変化があったのだな、と気付かされる。
 ただ、後でキャプションを見ながら思い出したのだが、空飛ぶ円盤……このオープニング以降出てこなかったね。もしかして各ステージの足場になっていたあれが空飛ぶ円盤だったのだろうか?

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 『マリオギャラクシー』はロゼッタさん初参加作品。以降、『マリオカート』シリーズなんかで登場しているが、初登場作品をプレイしていなかったものだから「どこのお嬢さんだろう?」と思っていた。今回『マリオギャラクシー』に触れて、やっと「ああ、こちらの方でしたか」と納得することができた。
 ロゼッタさんは今回だけでお別れだけではなく、先にも挙げた『マリオカート』や『スマブラ』その他でしょっちゅう遊びに来ているから、地球の環境がそこそこ気に入ったようである。

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 『マリオギャラクシー』の楽しさは圧倒的なギミックの数。拠点から様々な星に飛び、そこにあるステージをクリアしていく、という構造だが、一つ一つのワールドがまるで別ゲームというくらい個性に溢れている。絵の雰囲気が違う、という話ではなくコンセプトがまるで違う。そのステージだけしか登場しない特別なパワーアップアイテム(ある意味のコスプレ)もあり、しかもステージクリアのために意義ある存在としてきちんと機能している。
 今作の大ネタである重力変動もゲーム全体を統括するギミックとしてうまく機能している。小さな惑星のようなところを移るとき、重力が変化していく感覚は新しいし(といっても2007年だが)、様々なシチュエーションでこれまでにない感触を加えている。後の『マリオオデッセイ』にもない、このゲームだけの「一点もの」の感覚だ。

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 単純に思える2Dステージでも、ただ右方向に進んでいくだけの単調さから解放され、重力変動で上へ下へ左へと方向転換していき、これがこれまでの2Dゲームにない特色を作っているし、これまで考えもしなかった解き方を考えさせる契機にもなるし、なにより重力が変化していく感触が新鮮で楽しい。
 3Dシーンでも様々なシチュエーションで重力変動要素が導入されているのも良い。単純に小さな惑星をジャンプで次々と移っていくのは楽しかったし、これまで考えもしなかった「このステージの側面はどうなっているのだろう? 行けるのだろうか?」を考えるのも楽しいし(それで時々転落死したが)、これがステージクリアに繋がる謎解きになっているシーンもそれなりにあり、重力変化は確実に楽しいゲーム体験をもたらす優れたアイデアであったといえる。

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 前作でたっぷり苦しまされた「カメラワーク問題」だが、『マリオギャラクシー』ではほとんど苦労を感じなかった。時々、思っている方向と微妙に逸れて転落……ということもあったが、それは『マリオサンシャイン』の頃と比べると格段に少ない。壁キックして上層に登るシーンはだいたいカメラは固定だったし、難しい局面に入るとむしろカメラの動きは完全に固定、作り手が「ここだ」という場所から動かなくなり、これが遊びやすかった。「ここがベスト」という設置してくれるので、非常にありがたい仕様だ。
 カメラの動き自体、相当に制限が付けられているが、むしろそのおかげで遊びやすくなっていた。「自由」で解放されているよりも、むしろ「制約」があったほうが受け取り側としては遊びやすくなる……ということのお手本のようなゲームになっている。
 一見すると転落死ポイントだらけの難しいシチュエーションは至るとことにあったのだが、実際やってみると転落死することはほとんどなかった。ほとんどのシチュエーションで思った方向に迷わず進めて、間違わずジャンプできて、するっとクリアできてしまう。もちろんプレイヤーの腕前が突然上がったのではなく、カメラの問題が解消された、というこの一点だけ。カメラの問題を解消するだけでゲームの遊びやすさがこんなにも変わるものなのか、という感動と衝撃があった。その比較をするだけでも『マリオサンシャイン』と『マリオギャラクシー』の2作は続けて遊ぶ意義はあった。

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 もう一つ、『マリオギャラクシー』の特色といえば画面に表示するポインター。始めた最初の頃はうまく動かせず、「微妙かな?」と感じたが、これもなれると非常に扱いやすい。選択画面はポインターでパッと選べてストレスが少ない。ポインターで金平糖集めもなかなか楽しい。
 ただ、ゲーム的なギミックとしてポインターが活躍する場面が少なかった……というのも事実。青い小さな星(正式名称はなんだろう?)に飛びつくシチュエーションなどはあったが、せいぜいそれくらい。ポインタを使ったゲームギミックといったら、まあそんなものだろうか。
 上画面はジョイコンを立てて、少しずつ角度を傾けながら遊ぶ、というシチュエーション。これは難しかった……。後半、高難易度ステージ『試練の扉』があったが、そのどれもがジャイロ機能を活用したステージ。あれはクリアに相当時間をかけた。難しかったが苛々する……というのではなく、楽しかった。
 他にもWiiリモコンを扱った遊びが結構あったのだが、ジョイコンでほとんど再現できる、ということをこのゲームが証明したように感じられる。ということは、他のWiiならではのゲームをSwitchで再現することは可能なのではないだろうか。例えばWii版『零』とか……。こちらのリバイバルでないかな……。
(ただ、ポインターはWiiのように画面の位置と完全に同期しているわけではないから、ゲームを続けていると少しずつズレてしまう。その都度、Rボタンで補正が必要になる。小さな青い星を移ってテレサとの競争に勝たなくてはならない……というステージがあったが、ポインターがズレてしまって難しくなっている、というところがあった)

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 ステージ構造についてもう少し掘り下げると、各ステージのスターの数は基本的に3つ。さらに隠しスターがあり、高難易度の流星ステージが後から出現する……という構成だ。
 『マリオサンシャイン』の頃を比べると一ステージのスターが減り、ワールド全体の数が増えている。
 それだけではなく、それぞれのステージの構成やゴール地点、目標地点がまるっきり違うように作られている。一つのワールドに様々な惑星が設置されていて、ステージによって移動先が違うので、ほとんど「別のステージ」へ行くくらいの感覚だった
 同じステージを繰り返されている、スター集めが苦行、という感じがなく、どのステージもひたすらに楽しい。面白い。それにカメラの問題も解消されているから遊びやすいし、ライフがたったの3しかないのに「すぐに死ぬ」という印象が少ない。実際、ステージを進めていてもほとんど死ななかったどころか、どんどん残機数(マリオの人数)が増えていっていた。(そういえばゲームオーバー画面を一度も見なかった)
 途中スタートが多くなっているのも今作からの配慮で、ミスした後おなじシチュエーションを繰り返さなければならない……という面倒くささも解消されている。
 これまでシリーズであった面倒くささや不満が一気に解消されて、ゲームそれ自体に純粋に集中できるよう、様々な配慮が張り巡らされている。進化したのはグラフィックやサウンドだけではなく、それ以上にゲームそれ自体が進化、いや深化していることがはっきりわかる。
 『マリオギャラクシー』にはかなり無茶な高難易度ステージも実はちらちらとあるのだけど、様々な配慮が行き届いているおかげで挫折することなく、クリアまで何度も挑戦することができた。

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 物語……というようなものは『マリオ』シリーズだからほとんどないのだが、後半へ向かっていく展開でじわじわと気分が高揚していくような感じがあった。キャラクターのダイアローグで盛り上げていく、というのではなく、ゲームのギミックが次第に複雑になっていき、ビジュアルも前半のような穏やかさもなくなし、豪華なオーケストラサウンドも次第にシリアスな色調に変わっていき、いよいよクライマックスだぞ、という気分が整えられていくように作られている。物語がほとんどないのに、ドラマを感じさせるような作りになっており、「ゲームを遊んでいる」感覚から「冒険を楽しんでいる」感覚に自然に気持ちを切り替えさせてくれている
 こういったところはステージの構造作りやサウンドの作りの功績なのだが、非常にうまくいっている。ゲームの構造だけで物語を展開させていっている。このあたりは流石アクションゲーム制作のマエストロといったところだ。本当にまいった。
 そして冒険のクライマックスにいつものおじさん……クッパおとっつあんとの戦いを経てのエンディングはなかなかない感動があった。
(謎もあった。あれはビッグバンが起きて惑星消失が起きた後、チコたちが介入して、新しい惑星が生まれた瞬間、時間のねじれが起きてオープニング前に戻った……ということだと解釈したが。このあたりはSFに詳しい人に解説を委ねよう)

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 『マリオギャラクシー』の総合的な感想を言うと、ただひたすらに面白かった。驚きもあったし、発見もあったし、感動もあった。2007年の作品。だが色あせているものを一切感じさせない。『マリオサンシャイン』は時代の隔たりを感じてキツさを感じたが、『マリオギャラクシー』は今でも充分に楽しく、得るものも多い作品だった。これは紛れもなく名作。『マリオギャラクシー』は多くの栄冠を得た作品だが、それも納得の逸品だった。
 『マリオサンシャイン』と『マリオギャラクシー』の2作に触れて気付いたのだが、この2作を経て『マリオオデッセイ』に繋がったのだな……と感じさせる2作だった。『マリオサンシャイン』からいきなり『オデッセイ』に繋がるということはあり得ないというか、ミッシングリングがあるんじゃないかというくらいの変化だが、間に『マリオギャラクシー』が入るとああなるほど、ここにステップがあってそれを乗り越えたのか、と理解に繋がる。この系譜を理解する上で、『マリオサンシャイン』と『マリオギャラクシー』の2作を続けて遊ぶ意義はあったように感じる。
 というか、この系譜を知らないまま、私は『マリオオデッセイ』を楽しんでいたんだな……。

 とにかくも『マリオギャラクー』はお勧めの一作。文句なしの傑作だ。


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