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5月19日 水原一平野球賭博事件ハリウッドでドラマ化(?)という話を聞いて思ったこと。

 水原一平による野球賭博事件がハリウッドでドラマ化するそうな……。

 といっても、私は野球のことなんかな~んにも知らない。興味もまったくない。どうやらそういう事件があったらしい、しかもそれがドラマ化かあるいは映画化するかも知れない……という話をどこかで聞いた……程度の知識と関心しかない。
(私は野球知識もないし、関心もないから、水原一平や大谷翔平の顔もわからない。タイトル画像に写真を使っているが、合っているかどうかもよくわからない)
 でもこの話題について、2つほど思うところがあるので、少し触れてみることにする。

 まず第1に、アメリカは文化の中心が「映画」。文化の中心ということは、世の中のあらゆる事件を一回映画にして、映画にしたものを見て、その上で事件の背景や内実を知る……というのがアメリカの国民性。
 日本の場合、こういう文化の中心地が「漫画」。漫画が文化の中心だから、漫画にして、漫画になったものを見て、その事件の背景や内実を知る……というのが日本の国民性。といっても、日本はそこまで実在事件の漫画化に熱心ではない。実録モノは探せばいくらでもあるけれど、内容もそこまで厚いものでもないし、それが流行ったという話はほとんど聞いたことがない。日本人は極端に抽象化したものを好むから、抽象化されたものから、それがどういう内実を持っているのか……という解読をしていかねばならない。そういう難しい解読を好むのもまた日本人の国民性だ。

 ではどうして、事件を映画や漫画にして、その映画や漫画になったものを見たがるのか。その答えは、そもそも人間は「物語」にしないと物事の全容を理解できないから。今回の野球賭博の事件も、ほとんどの人はニュースなんかで見て「ああ、そんなことがあったのね」という感じでしょう。私だってそう。世の中にはこの事件を最初から追いかけていて、尋ねられればいちから全部語れる……という人もいるけれど、そういう人は稀な存在。ほとんどの人は、事件の始まりがどこで、結末がどうなったのか……そういうことすら把握できない。断片でしか理解できないし、断片的な理解はすぐに忘れてしまう。物語になったものであれば、全体が理解できる。というか「事件が腑に落ちる」という感覚になる。こういう深い理解が得られるようにするには、「物語」にする以外にない。
 アメリカの場合、文化の中心が映画だから、映画にする。日本人だったら漫画にする。これはその国の文化観をよく現していて、「語り物にする」という国もあれば、「歌にする」という国もあるでしょう。どのように物語化するかで、その国の文化の中心がなんであるかがわかる。

 第2に思ったのは、ハリウッドには世の中を騒がすような事件が起きると、すぐに「映画化権」を取ろうとする手の早いプロデューサーがいる……ということ。
 こういうプロデューサー、別に「この事件はもっと世に知られるべきだ」とか「真実が知られるべきだ」……みたいな志なんかないよ。「儲けの臭い」がしたから手を出しただけ。
 今回の話だけではなく、ちょっとでも話題になった事件があると、すぐに映画化権だけが押さえられる。新聞記事の端っこに載っていただけ、という事件でも映画化権を取得されることもある。売れた書籍が映画化権の争奪戦になることは当たり前だが、そうではない微妙な本でも「売れそう」と思われたら映画化権を取ろうとする。他の映画会社に取られたくないから、という理由だけで映画化権をとりあえず押さえておく……ということもある。こういう時のハリウッドのプロデューサーは超貪欲。世の中のだいたいの事件は、誰かが映画化権を取っている……くらいに思ってもいいかも。
 そこからの仕事は光の早さだ。脚本家に依頼し、その間に監督や出演俳優の候補絞り込みをはじめる。ハリウッドのプロデューサーはこういう時、ただ「完成させること」だけを目的とするのではなく、その企画を世界規模で売れるものにするために、全体のパッケージまで構想する。
 ここがハリウッドのすごさで、日本が見習うべきところ。日本は文化の中心が漫画で、あらゆる題材が漫画になるけれど、その漫画を世界展開するところまで構想を組み立てるプロデューサーなんて聞いたことがない。そういう人がいたら、漫画文化がローカルな文化ではなく、もっと世界的なものになれたんじゃないかな……とか思うけども。

クリント・イーストウッドの『運び屋』。もともとは新聞記事の端っこにのっていた記事から、映画のアイデアが着想された。
2024年の映画『ダム・マネー ウォール街を狙え』。この作品は2020年に起きた実話の映画化。実話の映画化としてはかなり早い。

 でも、それで実際に映画化するか、ドラマ化するか……は、わからない。これまでも話題になった事件が「映画化する!」という話はいくらでもあったけれど、ほとんどがそれ以降企画が動くこともなく、事件自体も風化して忘れられていく。
 事件の内実を追っていくと、いまいち厚みがない、物語にしても盛り上がりに欠ける……そう判断されたら、プロデューサーも映画化を諦める。映画は作るのにお金がかかる。その予算に見合うだけのドラマ、商業性を持ち得るか……そういう天秤にかけられ、審査され、勝負できないな、となったら映画化の話は流れていく。映画化権は取得されたけれど、映画にならなかったもののほうが世の中的には多いはずだ。

 そんなわけで、今回の件で、「映画化するのか!」みたいな話がちょっと話題になったけど、ハリウッドではよくある話ですよ。次に必ず映画になるというわけじゃございませんよ。
 実際に映画になるとしても、数年後だし、もしかしたら十年くらいたって、忘れた頃に映画になるかも知れないし。そのまま、映画化なんて話もあったねぇ……と、完全に忘れられるかも知れないし。
 映画になったら、その時にまた改めて事件について思い出して、掘り下げようじゃありませんか。私みたいな映画鑑賞者が動くのは、その時ですよ。

 私が個人的に気にしているのは、主人公も関係者も日本人以外……になる可能性が高いってことかな……。「選手と通訳」のお話しだから、アメリカ白人になる可能性は低いけど、黒人か、あるいは中国人に変更される可能性はある。今アメリカはポリコレでうるさいけれども、日本人は別に保護対象じゃないもの。商業的観点から見ても、中国市場を意識するとしたら、中国人に変更……の可能性は高い。そもそもアメリカ人は、日本人と中国人の区別付かないしね。「どっちでもいいだろ」という感覚で中国人へ変更されるかも?


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