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6月20日 コスプレイヤーの創作

 コスプレイヤーの人は、自分が創造したキャラクターを絵とかではなく、自分自身で扮装して表現する。時々そういうの見かけるけど、あれはいいアイデアだ。
 絵描きの創作するキャラクターもだいたい自分の身体から想像するわけだから。自分の身体からかけ離れた、“理想型”から着想する人もわりといるけれども。自分の身体から遠く離れたキャラクターの創造は、大抵、仕事の要請とか物語の要請とかで作られる物だから、そういう要請がない状態なら、絵描きはひたすら自分の“好きなもの”だけからキャラクターを作りかねない(私がそうだ!)。その好きなもの、というのは大抵、自分自身がベースとなっている。これも私自身の事実として、私の描く絵は私自身からそこまで遠くかけ離れたものではない。絵描きは自分をモデルに(あるいは参考に)絵を描くのだ。

 コスプレイヤーは自分で考え出したキャラクターを、衣装、ウィッグ、メイクで表現する。自分自身がベースだが、メイクとウィッグがそこに加わるわけだから、元の自分とはだいぶ違うものにもなれる。
 これは表現のアウトプットの方法が違うだけでコスプレイヤーは絵描きと同じ事をしているのだといえる。

 というか、自分の身体を使って、自分の創造する通りの人間ならぬ“キャラクター”自身になれる彼ら・彼女らが羨ましい。私もそういうのやってみたい!
 私だって一応表現者であるわけだが、その表現の手法を指先からアウトプットするというやり方を採っているが、それのみでしか表現できないということに忸怩たる思いある。「それしかできないの?」という感じ。自分の身体を使ってキャラクターを表現する、キャラクターを描く、というやり方を使ったって構わないわけじゃないか。
 私にも根っこのところに“変身願望”はあるわけだけど、時代的にそういう選択肢を採れなかったから、ライターやペインターになっていったわけだし。

 ううむ。コスプレイヤーみたいに、自分の身体でキャラクターを表現する試み、というものをやってみたい。表現として挑戦しがいがあるだろうし、なにより楽しそうだ。やりがいがあるだろう。
 といっても、「やってみたい」とちょっと思ってもポンとできるものでもない……。あれは実現するには、相当の日頃の努力とそこそこ以上のお金が掛かる。すぐにはムリだ。
 いいなぁと眺めているだけで終わるのが悔しい。


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