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2020年夏期アニメ感想 まとめ

 今期視聴したアニメ・ドラマ。

日本沈没2020
呪怨:呪いの家

 タイトルは「夏期アニメまとめ」だけど、今回は特別にドラマも取り上げます。なぜなら1本しか見ていないから。1本だけだと寂しいので、今回に限り、ドラマも含めますよ。

日本沈没2020 イメージ

 まず『日本沈没2020』。
 おいおい、湯浅監督どうしちゃったの? と問いたくなるくらい出来の悪いアニメ。作画・作劇ともに崩壊しているし、物語を見ても「日本沈没」ではなく「日本沈没?」。樋口真嗣『日本沈没』は「日本沈没せず」だったのに対して湯浅監督は確かに日本沈没はしたものの、納得感ゼロの沈み方。
 感想文にも書いたけれども、「もしも日本が沈没するとしたらいかにして沈没していくか」という映像的な過程がぜんぜん絵として表現されていない。イメージができていない。第2話の沖縄沈没シーンにしても、描写があまりにもデタラメだしいい加減。あそこでもうちょっと詳細なイメージを……例えば地面が裂けて土の下に隠れていた地層がメリメリと立ち上がって、住居があった場所が斜めに傾いて崩れていき、そこに周辺の海が流れ込んできて渦を巻いて住人を飲み込む。海中から泡や泥を吹き上げて、さらに大きく立ち上がった波が一気呵成に街と住居を飲み込んで、最後に大きな渦だけを残して沈んでいく……みたいに細かく描いていけば多少は納得感は出ただろうと思う。専門家の助言を借りながら映像を作っていけばもっともっと詳細にイメージが作られていっただろう。
 リアルな方向に寄せないアニメ的漫画的表現をやるにしても、何かしらの画が絶対必要だった。その工程が明らかにない。
 『日本沈没2020』にはまずそういうイメージを作る、という作業を経ていない。なぜわかるのかというと、映像が明らかにそういうふうに作られてない。「どのように沈没するのか?」という想像をしないまま制作がスタートしている。これじゃどうやっても納得感のある映像ができるわけない。
 きちんと想像力を働かせずに描いてしまっているから、いったい何を描いているのかよくわからない作品になっている。途中の新興宗教や右翼の登場で、日本が沈没するという災害の物語がどんどん後ろにいって「人間」と立ち向かうお話になってしまっている。あれのいったいどこが『日本沈没』なのか。
 その一方で見えてきてしまったのは湯浅監督のかなり残念な政治思想。湯浅監督ってそういう人だったのか、というガッカリ感だけが後に残る作品だった。

 私としてもまさか湯浅政明作品の酷評を書くとは思わなかった。『マインドゲーム』をはじめとして様々な作品を見てきて、素晴らしい経歴を作ってきた人、という認識だったのに。少し表現を考えようかと思ったけれども、しかし内容があまりにもあんまりだったので……。

呪怨Netflixドラマ イメージ4

 もう一つの作品、『呪怨』は堅実にしっかり作られた作品。あのビデオ版『呪怨』からさらに物語を遡って、その起源となる物語を創造している。いわゆる「エピソード0」だけど余計なものという気がしない。新しい正史が生まれたという感じがあった。
 実際の作品を見ると、あまりホラーという感じはなかった。なにしろ幽霊が出てこないから。幽霊は出ずに、取り憑かれた人々が転落し、そこでおぞましさを感じさせるような作りになっている。『呪怨』という作品を拡張する試みとしては、これはなかなか正解だったかな、という内容だった。
 一つ要望があるとしたら、作品の最後に佐伯夫婦の入居を描いて欲しかったかも。これがあったらシリーズが繋がった感じが出たかも知れない。

 ところで聞きかじりの話。
 Netflixアニメがどれもいまいちな理由は「プロデューサーがド素人だから」説。
 まあ、聞きかじりの話だし、実際本当かどうかよくわからない話なんで、話半分に聞いてくれれば良い。

 プロデューサーで作品がどのように変わるのか? これを考える人は少ない。かくいう私もあまりプロデューサーの名前をチェックしない(プロデューサーがスティーブン・スピルバーグとかだったら気にするけど)。
 ほとんどの人は監督や脚本が誰だろう、ということを重要視するだろう。私もそうだ。なぜなら私もみんなもプロデューサーの役割をきちんと理解していないからだ。プロデューサーの関わり方で作品がどのように変わるのかあまり知らない。ベテランと思わしき監督が時々とんでもない駄作を発表してしまうことはあるが、そこでプロデューサーが絡んでいるとは誰も思わない。

 と、書いている私もプロデューサーの仕事がなんなのか理解していないわけだけども……一つの例としてディズニーを見てみよう。
 ディズニーは伝統的に監督よりもプロデューサーの名前が大きく出る傾向がある(これはハリウッド特有の傾向だが、ディズニーは特に監督の名前がわからない)。例えば名作『白雪姫』の監督はウォルト・ディズニーではなく、デイヴィッド・ハンド、ウィルフレッド・ジャクソン、ラリー・モリー、パース・ピアース、ベン・シャープスティーン、ウィリアム・コトレルの5人。ウォルト・ディズニーはあくまでもプロデューサーだ(私も長い間勘違いしていた)。
 ディズニー・カンパニーの歴史を紐解くと、3人の伝説的なプロデューサーの名前が出てくる。創設者であるウォルト・ディズニー、ジェフリー・カッツェンバーグ、ジョン・ラセターの3人だ(ジョン・ラセターはプロデューサーではなくチーフ・クリエイティブ・オフィサー。念のため)。この3人がディズニーの黄金期を築いている。
 ジェフリー・カッツェンバーグの名前は知らなくても作品は誰もが知っているだろう。『リトル・マーメイド』から『ターザン』までの一連のディズニー作品がジェフリーが関わった作品だ。『美女と野獣』『アラジン』『ライオン・キング』『ムーラン』……みんな知っているだろう。最近、ディズニーは過去作品の実写化を進めているが、全てジェフリー・カッツェンバーグ作品だ。

 この3人がいなかった頃のディズニーがどうなっていたかといと、いずれも暗黒期を経験していて、この頃のディズニーは「このまま潰れるんじゃないか」というくらい低迷していた。ディズニーらしさを欠く『ラマになった王様』、どう見てもあの作品のパクリにしか見えない『アトランティス 失われた王国』もこの暗黒期の作品だ。それがジョン・ラセターがやってきて一気に救われた。『塔の上のラプンツェル』『シュガー・ラッシュ』『アナと雪の女王』『ベイマックス』『ズートピア』……ジョン・ラセターがやってきてディズニーは一気に調子を取り戻した。
 かつてウォルト・ディズニーが死去した後もやはり低迷期を経験していた。この時代のディズニーはどの作品もハズレ。駄作と凡作だらけだしアニメーターはどんどん去って行くし、きわどい状態を経験していた。ここにやってきてディズニーを救ったのがジェフリー・カッツェンバーグだ。
 ディズニーは3人のプロデューサーによって3度の黄金期が作られている。プロデューサーの善し悪しがどのように作品に関わってくるか、ここで見えてくるだろう。プロデューサー次第によって作品が傑作になるかゴミになるか、ある意味、監督の存在よりも大きいのがプロデューサーだ。

ディズニーのプロデューサー3人

左からウォルト・ディズニー、ジェフリー・カッツェンバーグ、ジョン・ラセター。ディズニーを去ったジェフリーは、その後ドリームワークスに移籍して『シュレック』シリーズをヒットさせ、さらに『ヒックとドラゴン』シリーズもヒットさせた。常勝のプロデューサーである。

 そのディズニーも3度目の黄金期を作ったジョン・ラセターが去ってしまった。これからディズニーはどうなるのか……。

 というディズニーの今後がどうなるかの話は別テーマなのでさて置くとしよう。

 プロデューサーによって作家の作品がどのように変わるのか。プロデューサーと監督がどのように化学反応を起こすのか。その例として最近「おや?」と感じたのは新海誠作品。『言の葉の庭』までと『君の名は。』以後でまるっきり作品の傾向が変わっている。『君の名は。』は新海誠にとってのメジャー作品だから意識して作品の傾向を変えた……とも取れるが、だとしたら誰が新海誠を変えたのか?
 おそらくこの人じゃないか……と私が見ているのがプロデューサー川村元気。川村元気は『ドラえもん』の映画にも関わっているようだ(こちらはまだ未見。評判の良さは聞いている)。川村元気プロデューサーが関わった作品をまだ充分に見ていないから答えを出すべきじゃないかも知れないが、このプロデューサーとの出会いで新海誠は変わったのかも知れない。

 話はNetflixアニメに戻ってくる。
 Netflixは一時、アニメの黒船として注目された。制作費は通常の深夜アニメの2~3倍。制作委員会を通さず、直接アニメスタジオと交渉を持ち、だからクリエイターに直にお金が入るので今までと違ってクリーンな制作環境を保つことができる。
 ところがどっこいしょ。Netflixアニメはどれもこれもつまらない。確かにNetflixアニメは一定以上クオリティがあるのは確かだが、今まで通りの制作委員会を通して作ったアニメのほうが断然面白い。Netflixアニメがアニメコミュニティの中で話題になることはほぼないし、ずっと見ていてもいまいち作品の熱気や熱意のようなものが感じられない。

 おかしい。予算は深夜アニメの2倍以上出ているはずなのに、クオリティだけならそこそこの高さを維持しているはずなのに、なぜ肝心の「面白さ」に欠けるのか? やはりアニメ制作者が書いた原作よりも、漫画家が構想した原作のほうが面白いからか?
 いやそうではなく、Netflixアニメのプロデューサーがヘッポコであることが理由だとしたら? プロデューサーがきちんと作品に働きかけができていないから、優れた才能と高い予算が出ているのに良作だけがでない原因だとしたら?
(漫画のほうは「編集者」が後ろに付いている。付く編集者次第によって漫画に勢いが出たり、突然展開がイマイチになったりもする。あまり語られない話だが、漫画の面白さに編集者は意外に大事な要素だ)

 でも『デビルマンCrybaby』は面白かったぞ。……いやそれは永井豪の描いた秀逸な原作があったから。それに湯浅政明監督にはサイケデリックな画面を作る才能があったから、幸福なマッチングとなった。プロデューサーが働きかけるまでもなく、あの原作とあの作家を組み合わせれば面白くなるのは当然。むしろここで面白くならなかったら大問題。

 Netflixアニメの問題についてもう一つ付けるとしたならば、IPの権利は別に制作会社のほうに明け渡されるわけではない、ということを書いておこう。確かに深夜アニメより予算は出ているが、作り手側に権利が与えられているわけではない。すべて外資系企業に取り上げられている。そういう意味では制作委員会とたいして変わらない。雇い主が日本から海外に移っただけ、という話だ。だからNetflixがアニメ業界を救う希望の星だとは、私は考えていない。

IP……知的財産権のこと。物語やキャラクターなどの権利のことを指す。

 Netflixアニメのプロデューサーがポンコツかも知れない……。というのは聞きかじりの話だし、Netflixアニメに良作がなぜ出てこないのか、の理由として最良なものだとは思わない。なぜならば私もみんなも、プロデューサーの仕事をよく理解していないからだ。可能性の一つとして捉えておくと良いだろう。
 では実写ドラマのほうはどうなのだろう。話題になった『全裸監督』(まだ未見)や、それなりの佳作である『呪怨』のような作品がある。こちらのほうがクオリティが一定以上にきちんと保たれている印象がある。ということは、実写ドラマのほうのプロデューサーはそこそこ有能、というわけかも知れない。
 本当のところがなんなのかよくわからないので、話半分に聞いてくれれば良し。

 もしもある時、急にNetflixアニメが面白くなっていて、そこでプロデューサーの名前が変わっていたら、このあたりの話にも真実味が出てくるだろう。今のところは「保留」。あるのは状況証拠と推測だけ。状況証拠というのはNetflixオリジナルアニメがことごとくつまらない、ということだけ。でもそれは、たまたま不調が2年くらい続いてしまった、というだけの話かも知れない。もしもある時、突然Netflixアニメが面白くなり、プロデューサーの名前が変わっていたら正解。だから今のところは、そういう説もあるけど、まあ都市伝説のようなものだと捉えておけばよい。信じる信じないは、貴方次第です……ってやつだ。

 可能性に過ぎない話とはいえ、プロデューサーから作品を見る、ということは案外大事かも知れない。私の敬愛するリドリー・スコットは過去に『GIジェーン』という駄作を撮っているが、プロデューサーは主演も務めたデミ・ムーア。一方、同じく戦争映画なのに大傑作だった『ブラック・ホーク・ダウン』のプロデューサーは大ベテランのジェリー・ブラッカイマー。あれほどの大巨匠なのに、プロデューサー次第によってクオリティにものすごい差が出ている。一流監督であれ、新米監督であれ、どんなプロデューサーと関わるか、は私たちが思っている以上に重要なことなのかも知れない。作品のクオリティを決めているのは監督ではなく、プロデューサーかも知れない。
 と言いつつも、私もこれまで映画を見るときにプロデューサーの名前なんてぜんぜんチェックしてこなかったんだけども。これからは気にして見ることにする。

 さて。
 これを書いているのは8月の始まり(8月8日)だというのに、もう今期見る映像作品がなくなってしまった。個人的な話だが、バイトがそろそろ終わる。バイトが終わったら私はしばらく休暇を取るつもりでいるが、このときに何かしらの作品を見るつもりでいる。アニメ感想文はまたその時に書くとしよう。


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