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読書感想文 新・文系ウソ社会の研究

この記事はノートから書き起こされたものです。詳しい事情は→この8か月間に起きたこと。

 戦時中の日本は、政府と軍の検閲で自由がなかった。戦後、GHQがやってきて、全てが解放され、自由がやってきた……。
 これはウソだった。

 日本にやってきたGHQは、「日本をいかに無力化・愚民化させられるか」に全てを注いだ。その一つが、あの「憲法9条」――日本に軍隊を持たせない、自衛すらさせないことを「憲法」の一つにすることだった。
 そのためにGHQは幣原内閣(しではらないかく)の大臣を5人追放し、4月の総選挙では立候補予定だった321人を追放させ立候補させなかった。さらに次期首相になるはずだった鳩山一郎を追放し、GHQの意のままになる吉田茂を首相の座に据えた。
 当時の日本共産党野坂参三はこう語る。
「わが国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それ故に我が党は民族独立のためにこの憲法に反対しなければならない」
 なんと共産党すらも憲法9条に反対していた。

 左翼が大好きな「永世中立国」スイスはどうしたのか。スイスは一般家庭でも核シェルターがあり、若者は20歳になると21週間の軍事訓練を受け、この訓練期間中は自動小銃が各個人に貸与される。
 即ち、有事に対する備えは万全であり、誰もがいつでも軍人として戦えるようになっている。ここまで備えてこその「永世中立国」なのだ。決してスイスに「憲法9条」のようなものがあるわけではない。

 しかもそのうえで、GHQは憲法9条を自分たちの指示によって成立したものではなく、日本人自身の手によって生まれた……と人々が思い込むように偽造した。なぜなら、GHQのしたことは合衆国憲法修正第1条に反しているからだ。

「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」

 だからGHQは、自分たちが検閲していることを日本人に知らせず、また気づかれないように立ち回った。戦時中の検閲とGHQの検閲はここで質が異なる。例えば戦時中の検閲は文章や図に墨塗りという誰が見てもわかりやすい検閲だった。一方のGHQの検閲は「検閲基本計画」なるルールブックを作り、細かく指定した。そこでは検閲の入った部分は必ず余白を埋め、組み換えをして、検閲が入っていたことを気づかれないようにせよ、という指示があった。
 こうした検閲は新聞や文芸のみならず、映画、小説、漫画、詩、短歌、俳句、歌詞、評論、論文、回想録、手記、選挙演説までもが対象となった。実は個人の手紙や電話も検閲対象となっていた。

 しかしながら米国人であるGHQは日本語がわからない。誰がこれだけの検閲を行っていたのか。
 実は日本人である。
 GHQは日本人を検閲官として雇い入れていた。その数は1万人を越えるといわれるが、詳しい記録は残っていない。戦後の貧しい時代、CCD(民間教育情報局)は少なくとも700円、時には1200円という高給で日本人を雇い、検閲に当たらせていた。

 本書から離れる話題だが、読んでいてあっと気付くことが一つあった。
 藤田嗣治はフランスで名声を得た後、戦時下の日本に帰国していた。そこで多くの戦争画を描いていた。藤田は軍から特別待遇を受ける「戦争画家」として精力的に作品を作っていて、決して「軍に絵を描かされていた」人ではなかった。
 近所で出兵するという人がいると家に招き入れてご馳走し、自らリンゴの皮をむいて差し出し、送り出しの時には深く頭を下げて無事を祈ったという。
 しかし戦後、藤田は日本を去り、フランスに永住することになる。これが長らく美術界における謎だった。なぜ藤田は日本を捨てたのか?
 「戦争犯罪美術家」なるリストが作られて、共産党に入党した日本美術会の書記長、内田巌が藤田に「貴下を戦犯画家に指名する」という決議文を渡されたから――という話もある。当時の美術界はみんなこぞって共産党入りしており、藤田のような画家がいる場所がなかったのかもしれない。
 でもおそらくは、とどめとなったのはGHQの検閲だ。あるいは急速に左翼化していく日本に嫌気がさしたのだろう。日本美術会も左翼の巣窟になっていた。
 もうあの国は亡びた――そう感じての日本脱出だったのではないだろうか。私の想像だけど。

 話を戻そう。
 これでも満足しなかったGHQは、日本をさらに愚民化させるために、「教育」にも手を加え始めた。
 その中で衝撃的だったのが「教員及び教育関係官の調査、除外、認可に関する件」だった。要するに、「GHQの意に沿わない教員は排除する」だった。
 こうしてわずか1年の間に教員5201名が追放。その前に自ら辞職した教員が11万5778名にも及んだ。
 この空席に、GHQは左翼を送り込んだ。GHQは左翼があのロシア帝国を滅ぼしたように、日本を滅ぼしてくれることを期待した。
 GHQはまだ満足しなかった。GHQは獄中にいた羽仁五郎という男を解放した。羽仁五郎はゴリゴリのマルキストで、反日、皇室否定論者だ。GHQは羽仁五郎に自由を与え、自由に活動させた。羽仁五郎は左翼思想を理念とする「日教組」を結成させ、自ら代表になった。羽仁五郎の後ろについて、資金提供しちたのはGHQと中ソだった。

 戦後、GHQがやってきてすべてが解放され、自由がやってきた。……これには一つ真実が含まれる。“左翼にとっての自由”が与えられたのだ。

 こうして日本は、北から南まで左翼まみれ左翼思想一色となり、日本という国はガタガタに崩れた。
 そんな矢先、昭和25年(1950)6月25日、北朝鮮が韓国への侵略を開始した。中立を約束したはずの共産国家が約束を破り、軍事行動を開始したのだ。
 米国は大慌てだった。この時には日本国内は左翼まみれで、朝鮮戦争に呼応しようとする動きがあちこちに出ていた。それ以前に現実の武力に対応しなくてはならない。
 こうしてGHQは後ろ脚に砂で、立つ鳥後を濁しまくりで日本を去っていった。

 GHQが去ったことにより、日本はついに本当の自由が戻った……いや、そうはならなかった。
 なぜなら日本列島は北から南まですでに左翼だらけ。左翼たちは日本という国を破壊したいのだから、むしろ解放されないままでいい。GHQが実施していた検閲をその後も維持し、「検閲されていた・今も検閲している」事実を国民に明かさなかった。
 これは社会やマスコミよりも、エンターテインメントを見た方がわかりやすい。なぜなら今までに戦後の検閲を描いた映画・小説・漫画・ゲームは皆無だからだ。誰も語らなかった。
 では検閲の事実はどこに書かれているのか? 証拠はどこにあるのか? 実際、日本側にGHQによる検閲の資料はほぼ残っていない。が、米国側には資料が公文書として大量に残っていた。そこから明らかになった事実である。

 GHQのWGIP(ウォーギルトインフォメーションプログラム)の影響は去った後も力を増し続けた。その受難を、正面から受けたのが学校教育だ。
 教科書問題のターニングポイントは昭和57年(1982)の夏だ。この夏、「教科書誤報事件」が起きる。高校教科書に「華北への侵略」と書いてあったところを、文部省が圧力をかけて“進出”と書き換えさせたのだという。
 これは誤報であった。そのような事実はなかった。
 しかし朝日新聞とNHKは連日これを「問題だ」と報道してきて、つられて中国と韓国も吠え始めた。とうとう宮沢喜一官房長官が謝罪してしまった。
 この一件以来、中国韓国は「喚くだけでいくらでも日本の教科書を書き換えさせられるぞ」ということを学習。以後、現在に至るも中国韓国は日本の教科書に干渉をし続け、自分たちの思う方向に日本の教育を操作し続けている。

 学校の教科書は私の時代でもすでに結構なウソが書かれていたが、あれから数十年……教科書の質はさらに悪くなっているようだ。学校教師の大半は左翼だから、教科書に書かれているウソをウソと子供に知らせず、むしろ喜んでウソを教えている。
 最近の話題でいえば江戸時代の傘の使い方がどうとかで捏造だと大騒ぎになったが、あれなどは小さな話だ。もっと大きな話、歴史教科書などはウソまみれで、古代史近代史は中華思想がだいぶ入り込みまくっている。しかし日本の歴史学者はこっちの件についてはまったく声を上げない。これが我が国の学者の質だ。
 確かに歴史や歴史観は生きて行くのに不要かも知れない。だが自分たちは何者なのか、ルーツは何なのか。このことを知ろうと思った時、学校の教科書は何の役に立たない。子供時代に教わったことは何の役に立たない。自分の足で探さなければならない。そうした事態を放置しておくべきなのだろうか。

 我が国の近代史は朝日新聞とともにあった、といっても間違いない。もちろん、ポジティブな意味ではなく、かなりネガティブな意味でだ。

 昭和6年(1931)8月8日の朝日新聞社説には次のように書かれている。

「軍部が政治や外交にくちばしを容れ、これを動かさんとするは、まるで征夷大将軍の勢力が今日において得んとするものではないか。危険これより甚だしきはない。国民はこれをどうして黙視できようぞ。」

 驚くべきことに、朝日新聞は戦争に反対していた。
 ところが同年9月24日。軍をバックにした内田良平と井上藤三郎大阪朝日調査部長が料亭で会談。それ以降、朝日新聞は軍部支持に転向し、国民を戦争へと煽りまくっていく。
 昭和天皇は戦争には反対していた。日独伊三国同盟も、米国開戦も、昭和天皇は「慎重に」と忠告を出していた。が、近衛文麿も東条英機も天皇の意向を無視し、次々と最悪の選択をしていった。

 戦後、日本は朝鮮人による不法行為、米兵による殺人、強姦が頻発していた。米兵が日本人少女27人を拉致し、輪姦する事件もあった。
 新聞はこの事件を紙面上に掲載した。が、9月14日、同盟通信社はGHQにより24時間の業務停止命令を受ける。それ以降、通信社はGHQの検閲を受け、米兵による事件は報道されなくなった。戦後もやっぱり報道の自由はなかったのだ。

 昭和20年(1945)9月29日。GHQは「新聞と言論の自由に関する新措置」を日本政府に通知。これはあたかも「言論の自由」を保証するかのような印象だが、実際にはGHQの意に添うように報道せよという内容だった。
 10月5日。GHQは朝日、毎日、読売、日本産業、東京新聞の在京5社の編集局長を呼び出し、訓告。要するに、GHQに従わないと罰則を耐えるぞ、と脅迫した。
 興味深いことに、この時呼び出しを受けた新聞社の中に産経新聞が入っていない。もしかしたら、これが現在も産経だけスタンスが違う理由かもしれない。

 GHQは徹底した検閲を実施し、マスコミ業界にも左翼を送り込み、GHQが去って一人立ちした後もマスコミは「報道の不自由」を律義に守り、報道の世界はガタガタに崩れることになった。
 そして昭和52年(1977)。吉田清治による『朝鮮人慰安婦と日本』なる本が世に出ることになる。朝日新聞はこの本に乗っかり、「慰安婦問題」を国内外に宣伝しまくった。

 まず大事なポイントとして、「慰安婦」は実在した。その総数は1万数千人であり、構成は日本人が40%、現地人が30%、朝鮮人が20%、その他が1%と推定される。
 お給料はいくらほどかというと、慰安婦の月収は1000~2000円。当時の一般兵士の月収は15~20円、二等兵は6円、東条首相は800円……なんと慰安婦は時の首相よりも高い給料をもらっていた。ついでに、慰安所は米国にも韓国にもあった。

 ところが、だ。吉田清治は朝鮮人20万人も強制連行し、性的サービスさせた、という。
 ……いったいどうやって???
 日本が何もしないままに、従軍慰安婦の話は海外へと飛び火する。米国マイク・ホンダ下院議員は下院に「慰安婦決議案121号第100米国議会2007-2008」を提出する。平成19年(2007)7月30日、米下院は本会議で「慰安婦問題に対する対日非難決議」を採択する。
 これに対して日本は、反対も否定もせず、ただただ謝った。「否定もしなかったということは事実ですよね」と言わんばかりに、「戦時中、日本は20万人もの朝鮮人を性奴隷にした」という話は国際的にも共有される“事実”となり、今日も非難が続いている。

※ 「慰安婦」は海外では「セックススレイブ=性奴隷」という言葉で紹介されている。

 疑問なのが吉田清治という人物への世間の対応だ。なぜ世の人々は吉田清治を糾弾し、裁かなかったのか?
 例えばナチスに深く関わった者は、戦後も追跡され、逮捕され、裁かれる。
 ちなみに「日本軍に強制連行されて慰安婦となった女性」は実際にいる。日本軍がインドネシアをオランダから解放した後、オランダ人女性を2人、2か月間売春行為させた。この顛末はどうなったかというと、この事実を知った軍上層部は関係した軍人5人、民間人4人を懲役刑とし、1人を死刑にしている。
 さて吉田清治だが、彼は20万人もの朝鮮人女性を強制連行し、性的サービスを強要させたと自ら告白した。とんでもない極悪人じゃないか。しかし、なぜか誰も吉田清治を逮捕せよとも裁きを受けさせよとも言わなかった。それどころか吉田清治を英雄として祭り上げてしまった。これはなぜだろう? 私にはよくわからない。

 戦時中の日本軍による暴挙といえば、代表格「七三一部隊」だ。七三一部隊が3000人もの中国人を生きたまま人体実験に使い、殺してきたという。この物語は今でも中国人の怒りの源泉であり、日本人にとってはタブー視扱いされている物語である。
 平成14年(2002)8月、中国人の自称遺族がかつて日本の七三一部隊の細菌攻撃を受け、被害を受けたと日本政府に謝罪と賠償を求めた。東京地裁はろくに事件について調べることなく事実と認定し、賠償金を払った。
 続いて平成15年(2003)5月にはまた中国人が「日本軍が持ち込んだ毒ガスによる被害受けた」と訴訟を起こし、この一件は国側の勝利だったが、裁判官は「政治的、道義的責任は別である」と説教を垂れた。
 中国人による「七三一部隊の被害者」はこの後も続々と現れ、そのたびに日本側は何も調べず、中国側に謝罪して賠償金を支払い続ける、ということが続いてしまう。

 最近ではとある漫画作品に登場する人物の名前が七三一部隊を連想させると変更を要求してきた。これに対して、件の漫画出版社集英社は、情けないことに調べもしないで言われるままに要求を受け入れてしまった(最近、エンターテインメント業界に蔓延しつつある「中国忖度」の悪しき例の一つとなった)。中国からしてみれば、「あの国は七三一部隊を持ち出せばフィクションも書き換えられるぞ」という認識を与えただけである。かの国の芸術は、それくらい容易いものなのだ、と。逆の視点でいえば、お前の作家としてのプライドはその程度のものか、と。

 中国は非常に衛生観念が低い。大気は汚染されているし、地下水も汚染され、生水は絶対に飲めない。淡水、海水のほとんどが黴菌、寄生虫、化学物質、重金属で汚染され、水道水は絶対に飲んではならない(自殺願望があるなら止はしないが)。かつては、という話ではなく、現代でも同じ状況だ。現代の方が水が化学物質に汚染されまくって、かなり危険な状態だともいえる。
 戦前の中国となるとさらに不潔だった。ペスト、コレラ、チフスが常時発生し、その他訳の分からない疫病の温床だった(繰り返すが、「昔は」ではなく現代でもあまり変わらない)。
 明治27年(1894)に日清戦争が始まったが、日本兵は戦闘による死者よりも疫病の死者が10倍も多かったといわれている。

 昭和3年(1928)、欧米20ヵ国が生物化学兵器を禁止するジュネーブ条約に調印した。
 が、中国とソ連は生物兵器、毒ガス兵器を使いまくっていた。昭和元年(1926)年3月、中国はソ連から1万発もの毒ガス弾を購入しており、さらに昭和12年(1937)9月、第2次上海事件ではコレラ菌やホスゲン等の細菌・猛毒を日本軍に対して各地で使用していた。それは中国民衆をも死に至らしめていた。

 では七三一部隊とは何のために結成された部隊だったのか。それは泥水、小便、古井戸などのあらゆる「水」を「清水」に変える濾過水器を開発し、運用するためだった。
 中国はもともと国土全体が不潔なうえに、遠慮なく毒ガスや細菌攻撃を仕掛けてくるから、飲料水を確保するために必要だった。七三一部隊はそのための部隊だった。
 「3000人もの中国人を人体実験に使った」なんて話はとんでもない。実際の七三一部隊は防護・防疫の研究を行うための部隊だ。中共は今でも「3000人もの被害者」と訴えるが、実は根拠ゼロ。「遺棄された毒ガス兵器が発見された」というなら、それを遺棄したのは日本軍ではなく、中国軍だ。完全なるプロパガンダである。

 日本はこうして今もどこかにいいようにコントロールされ、自由に喋ることも考えることも禁止されている。このブログはせいぜい3人くらいしか読んでいないから問題にならないが、これがもっと公の場に出てくると、人々はこう叫ぶだろう。
「不謹慎だ!」「今すぐ取り下げろ!」「ヘイトスピーチだ!!」
 これこそ「表現の不自由」「言論の不自由」なのだが、そのように考える人はこの国において少数派だ。「本当のことだったとしても書いたり言ったりしてはいけない」。我が国は今でもGHQの検閲が精神の深いところで根付いてしまっている。

 というこの本だが、実は突っ込みたいことが2つある。
 1つは誤字の多さ。「性奴隷」が「征奴隷」になっていたり、「ある境に」とするべきところを「ある堺に」となっていたり。メモを取りながら読んでいたわけではないので他の誤字は忘れてしまったが、とにかくも誤字が結構あった。
 もう一つはタイトル。『文系ウソ社会の研究』。確かに狂ったのは「文系社会」なのは間違いないのだが、このタイトル、しかもかなりポップな字体が採用されていて、表紙のイメージと中身が違いすぎる。タイトルと表紙から中身を連想できないというか、乖離している。
 他にも話題があっちこっちに飛び回りすぎることがあり、テーマと年代を整えて、順を追って話を深めてほしかった。得る部分の多い本だが、残念なところも一方で多いのが惜しい。


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