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読書感想 天狗にさらわれた少年

 少年の語る物語は真実か、ホラ話か?

 近代以前の日本には“変な話”が一杯あった(いや、日本以外にも変な話は一杯あったが)。例えば村から人が行方不明になり、どこを探してもいない。なのに1ヶ月や2ヶ月がすぎて、突然屋根の上に現れる。今までいったいどこへ行っていたんだ? と尋ねると「天狗と一緒に旅をしていた」と答える。こんな感じに今となっては真偽不明、現代的に解釈しようとしてもなんだかよくわからない“変な話”はそこら中に転がっていた。
 今回紹介するお話しは、そんな変な話のなかでも特級の変な話。江戸後期、天狗につれさらわれた……と証言する少年が現れた。その名は寅吉。寅吉が語るには、7歳の頃仙人につれさらわれ、以来天狗や山人の住む仙境とこちらの世界を何度も行き来してきたという。
 そんなお話しの聞き手となっているのが、平田篤胤だ。江戸時代最高の頭脳と呼ばれた学者である。
 平田篤胤は近所に天狗につれさらわれた少年がいる……という話を聞いて、興味を抱く。今まで文献でしか聞いたことのない、伝承の世界に直接触れたという少年がいる。ぜひ話を聞いてみたい。そんな感じにこの本のお話は始まる。


 文政3年(1820)、10月1日。平田篤胤のもとに屋代弘賢という老人が訪ねて来て、こう話す。
「山崎美成のところに天狗に誘われて、以来天狗の使者となっている少年がいるそうです。その少年が語る内容が、かねてから先生が語る内容に合致しているところが多い。今から少年のところに行くのですが、先生もご一緒なさいませんか?」
 平田篤胤は常々このような人に直接会って、いろいろ尋ねたいと思っていた。そこに、そういう少年がごく近くに住んでいるという。こんな嬉しいことはない。来客中ではあったが、ぜひ行きたい。その欲求に逆らえず、行ってみることにした。
 その場所というのは、平田篤胤が済んでいた湯島天神の男坂下(現代の東京都文京区湯島天神男坂下界隈)から7、800メートルほどのところだった。
 道すがら、平田篤胤は屋代弘賢に話を聞く。
「神誘い(神隠しのこと)にあった者は、体験をおぼろげに話すことが多いのだが、その少年はどうだろうか?」
 屋代弘賢は答える。
「世間で聞くところ、その少年は包み隠さずすべて語るそうです。蜷川家へ行ったときは、遠い西の果てにある国々の元へ行き、迦陵頻伽さえ見たといいます」
(迦陵頻伽(かりょうびんが)…人頭鳥身で美しい声で鳴くといわれている想像上の生き物)
 その話を聞き、平田篤胤はひそかに心躍った。今まで書物でしか聞いたことのない世界を、深く知るいい機会かも知れない。これはなんという巡り合わせであろうか。そうこうしているうちに、少年の住む家に到着したのだった。

 山崎の家へ行くと、少年に会うことができた。少年は憎らしさのないごく普通の子供に見えた。年齢は15歳(数え年で15歳。つまり14歳)。三白眼だったので、やや眼光鋭く見えるところがあった。
 その少年――寅吉は江戸下谷七軒町(現在の東京都台東区元浅草1丁目界隈)の越中屋与惣次郎という者の次男だった。文化3年(1806)12月の晦日に生まれた。残念ながら父はすでに死去し、兄の荘吉が商いをして家族を養っていた。

 後で寅吉の母親に取材したのだが、寅吉はごく幼い頃から「普通の子」とは違うところがあった。
 ごく幼い頃、寅吉が自宅の屋根に登り、「広小路が火事だ!」と言った。なんでそんなことを言うのだろう、と尋ねたところ「あんなに火が燃えているのに、どうしてみんなには見えないの?」と言う。果たしてその翌日、広小路は大火事になった。
 またある日、父に向かって「明日は怪我をするだろうから、用心して」と言う。父は「何を言うんだ」と無視したが、実際大怪我をした。
 また別の日では「今夜必ず盗人が入るに違いない」と言い出す。この時も父は「そんなこと言うな」と叱ったのだが、その夜、本当に盗人が入ってきた。
 寅吉にはどうやらもともと未来を予知する能力があったらしい。

 平田篤胤はまずはじめに、寅吉から神誘いに遭った話を聞くことにした。
 寅吉の話は次のようなものだった。
 文化9年(1812)、寅吉が7歳の頃、池之端茅町の境稲荷の前に、貞意という名前の占い師がいた。7歳の寅吉は、占いに興味を持ち、それを習いたいと思っていた。しかし占い師は、「習いたい」と言っても笑うだけでなにも教えてくれなかった。
 同じ年の4月頃、東叡山(寛永寺)の山の下へ行き、黒門前の五条天神のあたりをぼんやりと見ていた。すると50歳ほどの、長く伸ばした髪をくるくると櫛巻きのように結んだ旅装束の翁がやってきた。老人は丸薬を売っているようだった。老人は小さなつづらの中にいくつも小瓶を並べていたのだが、寅吉が見ていると、老人自身もつづらの中の小瓶にシュッと入ってしまった。老人を入れた小瓶は、そのまま空に飛び上がり、どこかへ行ってしまったのだった。
 あれはいったい何だったんだろうか……。寅吉は翌日も同じ場所にやってきた。夕暮れになると、あの老人はやってきた。老人は寅吉に声をかけてきた。
「お前もこの小瓶に入りなさい。面白いものを見せてやろう」
 寅吉はさすがに気味が悪いので断った。すると老人は、
「お前さんは占いのことが知りたいと思っているんだろう? この小瓶に入って、私と一緒に来なさい。そうすれば教えてやろう」
 怖い。でも占いを習いたい。寅吉は老人と一緒に小瓶の中へ入ってみることにした。
 すると一瞬にして、とある山の頂に瞬間移動していた。そこは常陸国(現在の茨城)にある南台丈と呼ばれる山だった。でも間もなく夜という時間だったので、幼い寅吉は心細くなって泣き出してしまう。
「仕方ない、家に送り返そう。ただし、今日のことは決して人に話してはいけないよ。毎日五条天神の前に来なさい。私が送り迎えをして、占いを教えてやるから」
 そう言って、老人は寅吉を家に送り返してくれた。
 それから寅吉は、毎日昼過ぎには五条天神へ行き、そこから老人とともに常陸国の山へ行き、夕暮れには家に戻る……という生活を始めた。その最中に寅吉は仙境の様々なことを知り、学ぶのだった。


寅吉。三白眼だった。

 いったんここまでとしましょう。
 すでに不思議なお話が始まっているが、このお話は「フィクション」ではない……ということになっている。平田篤胤は少年の語るお話を「事実」として語っている。
 まず少年・寅吉は、仙境に通うようになる以前から、すこし不思議な子だった。ごく幼い頃から予知や予言をして、周囲を驚かせていた。それでも当時は「時々変なことを言う子だ」というくらいなもので、周囲はそこまで不思議だとは思っていなかった。
 そんな寅吉は7歳の頃、上野の五条天神(五條天神社)で不思議な老人に会う。老人は小瓶の中にするりと入って、どこかへ行ってしまった。そんな怪しい老人とともに小瓶の中に入ると、そこはなんと常陸国(茨城県)。それ以来、寅吉は毎日上野から茨城県へ通い、修行をするのだった。
 寅吉はそこで様々な秘術を学ぶ。武術、書道、祈祷呪禁の方法、護符の描き方、幣(ぬさ)の切り方、薬や武器の作り方、仏教の秘事や経文……。こんなふうに修行の日々は7歳から11歳まで、5年間続いた(※4年間では?と思われそうだが、本には「5年」と書かれている)。
 11歳からは池之端の正慶寺というところに修行へ行くのだが、あるとき人がやってきて「失せ物を占って欲しい」という。寅吉は「それはとある人が盗んで、井戸の傍らに隠してある」と教えると、その通りの場所から出てきた。それからはたくさんの人がやってきて、寅吉を頼りにするようになったせいで、寺の修行を諦めて去ってしまっている。
 次に修行へ入ったのが筑波山の白石丈之進という人の元で、ここで神道を学んだ。しばらく修行の日々を過ごしていたのだが、12歳の冬、長く家を離れていたから、「母はどうなっただろうか」と心配になってきた。それで一時帰宅することになったのだが、師匠は「私のことは岩間山に住む十三天狗のうち、名前を杉山僧正というように言っておきなさい」と語る。
 その後もいろいろあったけれど、あるとき山崎美成という人が訪ねて来て、「私の家に来なさい」と言ったので、それで山崎家にご厄介になっていた。そんな時に噂を聞きつけてやってきたのが平田篤胤……というところで最初のエピソードにつながってくる。

 さて、みんな気になっているのは、この少年・寅吉の話が真実であるか、ホラ話であるか……というところだろう。これが正直なところ……よくわからない。私もこの本を読むとき、かなり警戒心を持って読み進めたのだけど、果たしてどちらなのだろうか。それ以前に、どう捉えるべきなのかよくわからない話がえんえん出てくるから、次第にどう判断していいかわからなくなってくる。読んでいると不思議な世界に足を踏み入れているような、妙な気持ちになってしまった。
 少年の話ははっきりいって妙な話ばかりだ。例えば日本列島の東1600キロほどのところに「女嶋」と呼ばれる島があるという。その島には女だけしか住んでいないのだが、寅吉はこの島にも訪ねていき、彼女たちがどうやって孕むのか観察していたという。鉄を喰う獣の話や、異界の人々がどんな服を着ているのか……とか。空飛ぶ謎の盆、つまりUFOの話も出てくる。そんな変な話がえんえん続く。
 作り話じゃないのか……という気がするが少年の口から語られるお話というのが、非常に理路整然としている。仏教や神道にまつわる議論もあるが、14歳の少年とは思えない知識量だ。語り口も落ち着いている。それに聞き手になっているのが、江戸期最高の頭脳であった平田篤胤だ。変な矛盾や曖昧にしているところがあったらすぐに指摘しただろう。そんな平田篤胤を感心させるくらい、寅吉の語る話には矛盾がなく、ディテールもしっかりしていた。平田篤胤の弟子にはいろんな職業の人がいて、例えば火縄銃職人もいるのだが、その火縄銃職人と異界の銃について議論している場面があるのだが、知識がしっかりしているので職人も話を聞いて変だとは思っていない。もしもホラ話だったとしても、寅吉が天才少年だったのは間違いない。

 だが少年の話を訝しむ者も現れる。次はそんな人のお話だ。


 ある日の夕方、荻野梅塢がやってきて、議論になった。
「彼がこれまで神仙に仕えたと言ってきた話はすべて妄言です。彼は頭脳明晰ですから、あちこちを徘徊しながら、聞きかじった話をさも幽境にて見聞きしたように言いふらしているだけでございます」
 平田篤胤は戸惑いながら反論する。
「確かに寅吉が語る話は、どこかで聞いた話を語っている部分はあるかもしれない。しかし全てが嘘だとはなかなか思えない。七韶舞(しちようのまい)のこと、仙炮のことなど、ついぞこの世のものとは思われないのだ」
 荻野梅塢は言う。
「ですからそれらもすべて妄想です。怜悧なる子供に限って、妖魔に魅入られてそのような状態になることもあるのです。私も子供だった頃、世間で神童ともてはやされたものでした。目に見えないはずの物事を言い当てたり、天気を当てたり、リクト(気)も見えると思い込んでいたものです。それを人が褒めてくれるものですから、嬉しくなって、いま思えばずいぶんな妄言を披露していました。あの少年も人に聞いたことを、あたかも山人に習ったふうに言っているのでしょう。例えば私が彼と初めて会ったとき、彼は印相についてまったく知らなかったのです。それを教えたのが私です。寅吉はそれをあっという間に覚えてしまい、その後、私が教えた印相を、さも以前から知っていたかのように披露していたのです。この一事をもってしても、少年の語る話は推して知るべしです。早く追い出しましょう」
 平田篤胤が戸惑っていると、寅吉が隣部屋で聞いていたらしく、飛び込んできた。
「今ここで聞いていましたが、荻野氏の話は納得いきません。私はいまだかつて妄言など言ったことはなく、印相についてもあの人から習ったわけではありません。印相については美成さんの家で初めて会ったときに、荻野氏は「印相は尊いものだ」と語り、「仙境にも印相を結ぶことはあるのか?」と尋ねられました。そのために、私は師から教わった印相をあの人に教えて差し上げました。こうしたことをよく知っているから、ぜひ僧侶になれとお勧めになられたのです。このことは美成さんもよくご存じです。そういったわけですから、いくら先生の客人であるとはいえ、聞き捨てなりません!」
 と寅吉は憤慨するのだった。
 この件について、後で美成に確かめたところ、寅吉の言い分の方が正しいという話だった。荻野梅塢がなぜあのようなことを言い出したのか、わからないままだった。


 このエピソード、どう考えるべきだろうか。
 この本、『天狗につれさらわれた少年』は江戸時代に出版された平田篤胤著『仙境異聞』の抄訳である。いろんなエピソードが書かれているが、ピックアップされているエピソードは本をまとめた今井秀和という人の選出である。では今井秀和がなぜこのエピソードをピックアップしたのか。
 まず考えられるのは、少年による不思議話がえんえん続くのだが、誰も少年の話に異議を唱えない。「ツッコミ不在」状態で話が進んでいく。荻野梅塢との議論は、その中で唯一、異論を唱える場面となっている。
 もしかすると今井秀和も少年の話に不審に思うところがあり、荻野梅塢に共感していた部分があったかも知れない。少年の話をすべて信じるのではなく、すこしの警戒心を持って欲しい。本のバランスとしても、少年の語る不思議話ばかりではなく、すこし現実に引き戻すためにも、荻野梅塢のエピソードは意義があるように感じられる。

 では荻野梅塢の話は本当だろうか。後で山崎美成に確認を取ったところ、山崎家で実際その通りのやりとりがあり、寅吉の語ったほうが真実だと証言している。寅吉のほうに軍配が上がりそうだが、しかし平田篤胤は少年の話を信じ切っているので、そこでバイアスが生じた可能性もある。尋ね方次第では、寅吉少年のほうが真実であるかのように証言することもあるだろう。尋ねるほうもそういう意図もなしに、そのように答えを誘導してしまうこともある。
 結局どっちが真実なのか、なんとも言えない……というのが現状の答えだった。

 この後も、少年の不思議話が語られ続ける。平田篤胤は好奇心の人だから、「あの本に書かれていることは本当だろうか」「あの話は実際はどうだったのだろうか」「仙境にはどんな習慣があるのだろうか」とひたすら寅吉を質問攻めにして、寅吉は聞かれたことについて、あたかも見てきたかのように語る……という二人の問答がえんえん続く。
 読んでいて思うのは、この時代に信じられていた“世界観”というものがどういったものだったのか。現代の私たちはあたかも科学知識に基づいて物事を考えている……ように信じられているが、果たして本当だろうか、という疑問が常々ある。例えばテレビの世界では年がら年中「○○健康法! これをやると寿命が10年延びる!」なんて放送をやっているけど、ああいったものの大半は10年くらいすると「あの○○健康法は間違っていた! 新事実に基づく新しい健康法はこうだ!」と真逆の話が解説されたりする。
 価値観に基づく話でも、10年前ではこれが素晴らしい、あれは良くない……と言われていたものが、その10年後には真逆の価値観に入れ替わっている……ということもよくある。流行にまつわるものになると、「いま若者に流行っているのはこれ! これをやらない若者はダサい!」と大騒ぎするくせに、1週間後にはみんな忘れている。こんなに意識や考え方の軸がないのに、私たちは普遍的な意識や哲学を持って日々を生きているといえるのだろうか?
 もしかしたら100年くらいたつと、現代の人々が「科学的だ」と信じられている多くのできごとは、まったく新しい事実によって真逆に変わっているかも知れない。100年後の人が現代の人々の価値観や行動様式を見て、きっと不思議に思うことだろう。「2000年代の日本人には科学意識はなかったのか」とか言って。それくらいに、人間が信じ込んでいる世界観というのは、あやふやなものでしかない。
 この本『仙境異聞』が出版されたのは今から200年前。この時代では山に天狗がいて、麓の人々が見たことのないような異界が存在していた――と、人々は信じていた。それがこの時代の人々にとって、リアルに感じられる世界観だった。現代人には変な話のように感じられるものでも、この時代の人々にとっては「科学的」な世界観だった。
 いや、もしかすると……寅吉が語ったような仙境の世界は、この時代においては実在していたのかも知れない。少なくとも、実在すると信じられていた。そういう文化観を持っていた。この本は、ある意味そういう文化観に基づいて描かれた……という見方もできる。もしかすると、現代の人が考えて書くような時代小説よりも、こっちのほうが江戸時代の心情的なリアリズムを書いているのかも知れない。

 さて、この本の最後はどうなるのだろうか? 寅吉のその後はどうなるのだろうか?
 実はそれについてほとんど何も書かれていない。最後に「宇宙はどうなっているのか?」という議論をした後、お話しは突然終わる。寅吉はその後どうなったのか、結局、寅吉の話は真実だったのかどうか――なにもわからないまま。
 現代翻訳をした今井秀和による注釈がほんの2行くらいあって、そこで寅吉がその後出家し、さらにその後医者になった……という話が書かれているだけである。
 寅吉の語ったお話が真実だったのかホラ話だったのか……最後までわからないまま。ただあるのは、この時代、こういう世界観が信じられていたという事実のみである。


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