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ドラマ感想 返校

 ――『返校』。2017年に台湾よりPCゲームとして発表されたホラーゲームだ。学校を舞台にした、ありきたりなホラーゲームかな……と思って進めてみると、思わぬ展開を見せ、やがて1960年代に実際に起きたある事件を絡ませながら、なんともいえないビターなエンディングを迎えていく、秀逸な一本だった。
 1960年代に起きた事件というのは「白色テロ」といい、台湾人にとっては忘れようもないトラウマ的な黒歴史である。だが台湾以外の誰もこの事件について知らなかった――『返校』が世に出るまでは。『返校』の見事なストーリーは世界的な話題になり、Steam世界売り上げ第3位にランクイン。その後PS4版やSwitch版も発売された。台湾の黒歴史を世界に知らせる役割を持つ作品となった。
 そのゲームのドラマ版がNetflixで配信されている、この『返校』だ。

 第1話のあらすじを見ていこう。

 主人公のリン・ユンシアンは精神が不安定な少女で、時々奇妙な幻覚を見ることに悩まされていた。その母親は教育熱心で、進学校として知られる翠華高校へ通わせるために娘と一緒に金鸞までやってきた。
 母親はリン・ユンシアンにこう言う――「父さんが来れば戻れる」。リン・ユンシアンが一生懸命勉強し、よい成績を出せば父親が戻ってきてくれる……そう信じていた。

 翠華高校へ行くと、そこは時代錯誤な厳しい体罰、相互監視がはびこる高校だった。ユンシアンが教室へ行くと、一番後ろの席には「鬼(幽霊)」と書かれた札を首に提げた生徒が2人。成績が低く、何か問題を起こす生徒は「鬼」と書かれた札を首に提げ、全員から“いない者”扱いされることが決まりだった。

 級長のツァイ・ルイシュエはリン・ユンシアンを学校内の案内する。
 そこでリン・ユンシアンは学校の敷地内に、古い廃校の存在があることに気付く。函翠楼。奇妙な事件が立て続けに起こり、大地震の後は立ち入りが制限された場所だった。
 リン・ユンシアンは級長に「保健室へ行く」と告げて、廃校舎・函翠楼の中へ入っていく。函翠楼の中は誰もいない静寂があった。リン・ユンシアンは函翠楼の屋上まで上がり、1人ゆったりとタバコを吸う。
 そこに、ふらりとチョン・ウェンリアンがやってくる。「鬼」の札を下げたクラスメイトだ。同じく授業をサボってやってきたウェンリアンに、ユンシアンは親しみを感じる。
 そろそろ戻ろう……そう考えたところに、1人の女生徒が現れる。女生徒は椅子を手に持ち、屋上の縁に上がってしまう。
 ユンシアンは飛び出していき、「何をする気」と尋ねる。
 女生徒は答える――「もう思い出せないの。本当の私がどんな姿だったか」
 そう言い残し、女生徒は飛び降りてしまう。

 ユンシアンとウェンリアンはその場から逃げ出す。だが飛び降りの現場に、生徒がいたらしいことはすぐに気付かれてしまう。バイ教官は各クラスの級長に函翠楼の話をしている生徒を見付けて、自分の所に密告するように、と指示を出す。

 その後、リン・ユンシアンは廃校に薬を落としてしまったことに気付く。ユンシアンは級長にそのことを相談するが、級長は「誰にも言っては駄目よ」と忠告する。
 しばらくしてバイ教官が教室へやってきて、あの時廃校にいた生徒は誰なのか、と問いただしにやってくる。級長は「知らない」と答えるが、ある生徒――首に「鬼」の札を下げた女生徒が「ユンシアンが函翠楼に行ったそうです」と告げ口をする。級長との会話を立ち聞きしていたのだ。
 この一件でリン・ユンシアンは首に「鬼」の札を下げるようになり、クラスからのイジメを受けるようになる。

 リン・ユンシアンは薬を探すために1人函翠楼へ向かう。間もなくトイレで薬を見付けるが、何者かに閉じ込められてしまう。
 女生徒の声がする……「お互いに協力しない? あなたが望むなら、力を貸すわ」
 リン・ユンシアンは答える「先生が嫌い」。
 声は答える「いいわ」。
 トイレのドアが開いた。

 その夜。担任教師が帰ろうとしたところ、函翠楼に光がちらつく様子が見えた。生徒が残って何かしているのかも知れない。そう思った担任教師は函翠楼の中へ入っていき――そこで幽霊に掴まってしまう。

 ここまでが第1話のあらすじ。

 まず全体の印象の話から始めよう。
 このドラマ、あまり面白くない。
 面白くない最初の理由は、シーンの造りが未熟だから。恐いシーンには恐い音楽をかける。情緒のあるシーンには、ゆったりとしたピアノ曲を流す……。当たり前だが、このドラマの場合、延々、似たような音楽が流れ続ける。聞いていてもどうにも個性のない、メロディの捉えどころのないピアノ曲が延々。まるでドラマを作るのが初めて……という作品のようだ。
 どのシーンを見ても展開が遅く、「この台詞必要かな……」「今の構図必要かな……」と疑問に感じる所だらけ。視聴しながらだんだん頭の中で「今の台詞とカットいらないよな」と編集を始めてしまう。どのシーンも間延びしているように長く、かつ個性のないピアノ曲がえんえん流れるだけだから、見ていてだんだん眠くなってくる(なんど早送り視聴しようと考えたことか)。まるで日本の民放ドラマを見ているかのような退屈さだ。
 1エピソードにつき15分ほどカットすればテンポアップするが、それで面白くなるかと言えばそうでもない。その理由に入っていこう。

 第2話に入り、リン・ユンシアンは函翠楼にはびこるゴーストの世界に囚われ、とある少女の霊に取り憑かれてしまう。ここでいよいよ、本編が始まるのかな……と思いきや、ゴーストの世界はそこで終わってしまう。その後はまたごく普通の日常の物語に戻ってしまう。
 リン・ユンシアンは函翠楼の亡霊に取り憑かれるのだが、その後もごく普通の生活を続けてしまう。少女の亡霊がいつも側にいるのだが、それ以降は当たり前のように側にいて、特に「幽霊メイク」もしなければカメラワークにこだわることもないので、ぜんぜん恐くない。恐くないどころか、「見守ってくれている」感すら出てしまっている。リン・ユンシアンは亡霊に取り憑かれたことによって、詩の才能に目覚め、そのおかげで様々な自己実現を達成してしまう。周りから注目され、疎遠になっていた父親が戻ってきてくれる。
 亡霊の存在がぜんぜん恐くない上に、主人公に様々な恩恵を与えるので、見ていると「あれ? 実はいい奴じゃないか?」という気がしてしまう。
 このお話に並行して、少女の亡霊が30年前に体験したストーリーも同時に語られるのだが、これがやはりモタモタとしている。似たような表情クローズアップが延々、ピアノ曲も延々。大した展開のないお話が延々続く。展開を見ても構図を見ても面白味がないから、ただひたすらに退屈。毎回の55分が2時間くらいに感じる。

 一応、この辺りの展開について追求していくと、これはW・W・ジェイコブズ『猿の手』などに現れるストーリーに範を得ている。悪魔が現れ、願いを叶えてやろうと誘いかけてくる。お願いをすると、その代償として悪魔に何かを奪われてしまう(あるいは、意図しない形で願いを達成してしまう)。
 ドラマ『返校』の場合は、次第に主人公の自我が亡霊に侵食されてしまう。第1話冒頭で飛び降りてしまった少女は、亡霊に自我を乗っ取られ、アイデンティティの喪失に耐えられなくなって……だった。
 『返校』では第3話以降、亡霊の過去が語られ、次第に亡霊の自我に侵食されていく様子が描かれていくのだが……さほど恐くない。恐くないどころか、色んなものを失っていた主人公が自身を取り戻すフェーズに入っていき、「むしろそのほうがいいんじゃない?」とすら感じてしまう。悪魔的な怖さや「アイデンティティ崩壊」の恐怖はなく、「やっぱり幽霊、良い奴じゃないか?」という気がしてしまう。
 こう思われるのは、明らかに作り手の意図していないこと。作り手は次第に幽霊に乗っ取られていくことに「怖さ」を感じて欲しかったはず。意図していない方向に、見ている側の印象が流れてしまっている。これがこの作品の良くないところだ。

 一時、幽霊と共闘するのか……という流れが生まれ始めてきて、そういう展開になるとむしろ逆に新しいかも……。という期待はあったのだが、そういう流れにすらならず。

 この作品の大きな引っ掛かりは、ぜんぜんホラーじゃないこと。まったく恐くない。求めていたものと違うことだ。
 第2話、廃校からゴーストの世界に迷い込んでいき、「いよいよ本編……」という期待感があったのだが、ゴーストの世界はあそこで終わり。それ以降は延々日常物語。ゴーストの世界は第2話の一瞬で終わり、あそこだけだから全体を俯瞰するとむしろ浮いてしまっている。
 あのゴーストの世界はゲーム版『返校』をベースに作られたシーンだから、ゲーム版をやっていると納得できるのだが、ゲーム版を知らない人からするとなんなのかよくわからない。ドラマを俯瞰して見ても、ドラマの内容と紐付けてイメージが作られておらず、そういう意味でも「浮いている」シーンになっている。ゲーム版プレイヤーに向けたファンサービスだとしても中途半端だし、全体の構成から見ると余計な一場面に感じられる。あそこが作品の肝になっているはずのシーンなのに。

 第4話以降、除霊を受け入れたことによって詩の才能を失ってしまうリン・ユンシアン。担任教師シェン・ホワとの関係がやがてこじれていき、この教師から強姦を受けてしまう。その後は、「強姦を受けたという話は本当かどうか」という話が始まるのだが……。
 求めていたもの違う。ホラーを求めていたのに、ホラー展開にならない。一昔前のつまらない民放ドラマでやっていたようなお話がえんえん続く。その背景に幽霊が出ているのだが、存在が薄く、あれだと別にいてもいなくても一緒。というか、中途半端になるから、いないほうがいい。

 終幕に向けて、幽霊も「復讐」という自己実現の達成に向かうのだが……。その復讐のシーンも、浮いて見える。そんな凄まじい神通力が使える(人間を一瞬で絞め殺せる)なら、どうしてもっと色んな場面で使わなかったのか……? と疑問に感じてしまう。あの少女の亡霊は函翠楼に30年間とどまっていたそうだが、それまでにあの神通力を使って何かできたはずだ。なのに復讐に30年かかっていたのはどういうことだろう?
 どちらにしても、最後の最後で唐突にやってくる「ホラー要素」が無理矢理感が出てしまっている。ホラーをやりたいのか、学園ものをやりたいのか、どっちつかずのコンセプトのあやふやな作品になってしまっている。
 どうせならホラーをやって欲しかった。原作のゲーム『返校』はホラーだし、私はホラーを求めてこの作品を視聴し始めた。ホラーだと思ったら、何でもない学園ものだった。かつてあった白色テロを伝える作品としても中途半端。ホラーを求めていた気持ちをどこに納めていいのかわからなくなる。仮に学園ものがメインのドラマだったとしても、内容がつまらないのだから、どうしようもない。

 原作のゲーム『返校』はホラーとしての不穏さ、怖さを備えつつ、台湾でかつて起きていた「白色テロ」という歴史事件を明らかにしてくれた。
 台湾での「白色テロ」とは1947年、国民党が台湾にやってきたことから始まる。台湾ははじめ、国民党がやってきたことを歓迎したそうだが、国民党が始めたのは相互監視と密告。反対勢力への徹底したあぶり出しと弾圧だった。これによって14万人が投獄され、3000人が処刑された。往来での公開処刑もあったという話も聞いている。国民党に反抗意思を持っている者を排除するために、台湾人を徹底的に弾圧したのだ。
 この空気は学校内でも醸成され、選ばれた生徒が学校内を監視し、反抗意思を持つ者を密告させていた。ドラマ『返校』で描かれていたとおり、学生でも密告があれば拘束され、場合によっては処刑された(17歳で投獄され、以降15年間刑務所にいた……作中にそういうキャラクターがいたが、こういうのも実際にいたそうだ)。この白色テロの時代に、青春を失った十代が一杯いたのだ。これがゲーム版『返校』で描かれたストーリーだ。
 この白色テロは1987年まで続き、ようやく台湾は解放された。台湾人にとっては忘れようもない暗黒史だった。
 が、世界中の誰も白色テロがあったことすら知らなかった。この『返校』というゲームが世に出るまで。
 エンターテインメントの大半は「楽しむ」ためのものだが、時にこういう「告発」「啓蒙」という効果を持つ作品がある。『返校』はまさしくそういう意義を持った作品だった。この一点だけでも『返校』は作られる意義があり、選ばれる理由のある作品だった。

 『返校』のあと、『還願』(ホァンユエン)が制作された。しかしこのゲームの中で(現在の中国最高指導者である)習近平を揶揄する一文が発見されたことにより、中国で炎上。『還願』は発売中止になり、2021年にようやく日の目を見るが、それまで手に入れることができなかった。
 習近平を揶揄する一文は不穏当……と見られるが、作者である赤燭遊戲は『返校』でかつて中国から受けてきた仕打ちをテーマにゲームを作った。台湾に対する中国に対する圧力は、その当時で終わりではなく現在も続き、中国は台湾の独立を認めていない。そういう政治意識を持った者なら、習近平を攻撃した一文を残すことになんら不思議はない(むしろ「本音が出た」場面)。『返校』からの流れを見ていたら、中国人ユーザーでも納得できるはずだ。
 が、中国人たちは許さなかった。『還願』を徹底的に避難し、問題の一文を削除した後も攻撃し続け、販売させないようにしてきた。中国人ゲーマーですら、中国の大国主義の思想に飲まれてしまっている。
 『返校』にしても『還願』にしても、作品に現れているのは台湾独立の意思だ。だが今、これは世界的には「発言してはならないこと」の一つになっている。YouTubeの世界で「台湾は独立国」――これを発言すると大炎上し、即座に動画は閲覧中止になるし、再び動画を出すためには謝罪しなければならないことになっている。こんな場末のブログでも、「台湾は独立国」は書いてしまうとどんな影響があるかわからない。note版では閲覧制限がかかる可能性がある。

 だが、はっきり明言しておこう。台湾は独立国だ。中国の一部ではない。歴史的にも地理的にも独立国だ。『返校』という作品の裏には、それを主張するメッセージがあり、私はそのメッセージを受け取った。
 エンターテインメントには「楽しい娯楽」という仮面を被りながら、様々な力がある。「教養」であったり、「啓蒙」であったり……さらにはその作者がどんな政治意思を持っているのか、発露する場所でもある。もちろん、エンタメという包装紙にくるまれているので、エンタメの背後にある政治性に気付かないという人は最後まで気付かない。
 『返校』にははっきりと台湾の過去を掘り起こそうという意思と、それによって台湾の若い人を、あるいは世界の人たちを目覚めさせようという意思があった。そうした政治意思に気付いていない人に対しても、少なからず影響を与えたはずだ。
 中国人ゲーマーだけが「大国・中国」の夢を見続けている。『返校』のストーリーを読んだ者は、そんな大国の夢を見続ける相手を向き合おうという意識を持ったはずだ。――中国人を除いて。『返校』にはそういう力のある作品だった。

 ゲームとしても啓蒙効果のある作品としても紛れもない傑作だった『返校』だが、残念ながらドラマ版ははっきり出来の悪い。いったい何をしたいのか不明瞭だし、どのシーンもダラダラと続くので、見ていてしんどくなるような内容だった。全話見終えた後でも「いったい何を見たんだろうか」と茫然とした気持ちになるような作品だった。ドラマを見る8時間の余裕があるなら、ゲーム版『返校』に時間を費やした方が絶対に有意義だ。ドラマ版よりも、ゲーム版をオススメしよう。私からは、そう報告しておきたい。


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