この世界の片隅に_DVDパッケージa

Netflix この世界の片隅に

 この物語は、すずさんの目を通して描かれている。
 すずさんは本人が言うように、普段からぼんやりとしている。時々、日常と空想がふわりと混じっていく。このエピソードは実際なのか、空想なのか……どちらなのかわからないが、ただなんとも居心地のいい空気感を作ってくれる。
 絵はなんとなく子供っぽい。柔らかな線でふわりと描かれるキャラクターは、頭と手が極端に大きい。カメラの高さは、いつもやや上から。人物と風景を少し見下ろすように描かれる。キャラクターが並んで対面しているのに、顔は少しこちら側を向いている。料理が出てくる場面、器の形がおかしい。盛りつけている料理が見えやすいように、手前側に傾いている。水彩風の温かみのある風景描写は、大人になったすずさんのスケッチに色を付けた絵のようだ。
 おかしな絵も出てくるが、この作品の場合正しい。この作品はすずさんの目を通して描かれた物語だし、もしもの話をすると、「もしもすずさんが漫画家になっていたら描いていたであろう」という絵になっている。
 牧歌的で暖かな絵。しかしすぐにその物語が、すずさんがあたかも現実にいるものと信じさせてくれる。
 そう信じさせてくれるのは、恐ろしいまでの風景の描写。戦中に焼け野原となった広島や呉の風景を、見事なレベルで再生している。あの時代の人がどんな暮らしをしていて、どんな考え方をしていて、どんな言葉遣いをしていたのか……あの中で暮らしていたであろう人々を、生き生きと活写している。片渕須直作品はいくつか見ていて、研究者のような視点と描写には圧倒されるものがあったが、『この世界の片隅に』はその中でも群を抜いている。
 物語は一見すると、平和的で優しい世界のように見える。「平和的」という非日常の世界が描かれていく。だが、それは“一見”でしかない。戦争の影が迫り、夢のような世界観がぐらりぐらりと揺らいでいく。
 この作品はあちこちに笑える場面がある。なんでもない日常のやりとりやおかしくて愛おしい。楽しい物語のように思えてしまう。しかしその背景に迫ろうとしているものにどこかで気付いてしまって、動揺してしまう。この幸福に見える物語は、どこまで続くのだろう……と。
 中盤、日付が淡々と流れていく。おそらくは、実際に空襲が起きた日が描かれているのだろう(それで、“あの日”が刻々と近付いてきているのに気付いて、はらはらとする)。それでもみんな無事で、時々は笑いが起きて、すずさんを取り巻く世界は無事に過ぎていくように思える。
 それも、ある一点を越えたとき、がたがたと崩れていく。今まで見えなかった不幸と惨劇がじわりと染み出てくる。すずさんたちはつらさと不幸を背負いながら、日々笑っていたのだ、と気付かされる。
 すずさんは右手を失ってしまう。絵描きだったすずさんにとって、なにかを表現するための右手。不幸な世界の中を、ささやかな笑いと温かみで彩っていた右手……それが失われる。それは、すずさんにはもう、あの優しさあふれる世界を作れないことを意味している。
 すずさんは日常を送る、ということを戦っていたのだ。だがすずさんは、右手を失ったことで、戦う力を失ってしまった。
 後半は不幸と惨劇に溢れて、暗澹とした世界へと転落していく。それでも、すずさんはささやかな平和を見付け、人々と手を取り合い、非日常的ともいえる平和の中にいようとする。平和的な日常を送る、という戦いは、その後も終わってないのだ。
 これは、「日常系」が強力な力を持つアニメの中でも究極の作品だ。その日常が戦時下という状況だからこそ、力強さを持つ。日常の世界にこそ、平和で愛おしいものがある。作品を見終えた後も、しばらく残り香のように感じる作品の空気に浸っていたくなる。
 アニメーションだからこそ、『この世界の片隅に』はどこまでも優しく描けた。この作品をいつまでも残して、いつまでも語り継いでいたい。

4月11日

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