見出し画像

震災から今日で丸12年 ストラテラ服用日記963日目

今日で東日本大震災から丸12年になります。

その日に、FLATの一般社団法人化イベントの最終回、かつ自分が出演する回というのは、個人的なことながら感慨深いものがあります。

あの時も私は仙台にいて高層ビルの11階で勤務していました。(このあとは地震の時の描写があるので、きつい方はこの先は読まないで下さい)

その場にいた全員の携帯のアラームが鳴り響き、p波を感じた瞬間、「地震だ!でかいぞ!!!」と叫びました!
そのすぐ後に、感じたことのない揺れが襲ってきました。
最初の数秒間は、キャビネットなどを押さえていたのですが(かなり危険な行為です。絶対にやめましょう)、どんどん強くなる揺れ、終わりそうにない長さに、抑えることをやめて、机の下に隠れました。

それでも、全く収まらない揺れ。何メートル揺れたのか分かりませんでしたが、「ビルが倒れる」と思いました。
私の人生もここで終わりだな、本当にそう思いました。
「え?マジで?俺、ここで死ぬんだ」と諦めモードになり、妙に冷静になっていたのを覚えています。

よく行う走馬灯のようなものは私には流れて来ないて、ただあぁここで死ぬんだと言う感覚だけがありました。

何分間か大きな揺れが続いた後、少しずつ揺れが小さくなっていくのを感じ始めて、安堵したのを覚えています。

5分ぐらい揺れていたような感覚があり、やっとおさまってきて部屋のものが散乱しているのを見たとき、地震の大きさにおののいたのをよく覚えています。

とりあえずその後は、避難が優先と言うことで、その時のスタッフ全員で階段を使って、ビルの避難スペースまで降りていきました。

その後も何度も来る大きな余震、そして空からは雪が降ってきて、この世の終わりのような暗たんたる気持ちになっていました。

その後の被害は、皆さんもご存知の通りです。たくさんの大きな被害が出ました。たくさんの方がなくなりました。

幸いにも、私の近しい人は被災したとは言え大きな怪我もなく、無事でした。

本当に、一生忘れられない日になりました。

あれから早12年。
あっという間に過ぎたような気がします。

そのことに対して、私が何かできるわけではありませんが、残された命として、発達障害への支援と、日本に対話の文化を広めたいと言う2つのモチベーションで今動いています。

少しずつ形になってきた感触があり、この2つの柱が今生きている皆さんに少しでもプラスになるように寄与できたらいいなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?